ちーちゃんのブログ。

ポンコツ系エニートが言葉を綴る何でも日記。

みんなバラバラが、大切で素敵である。#ことヒカ

こんにちは!ちーです。

少し寒くなってきたかと思ったら、そうでもなくって、ワクワクして秋服を出した私は軽くショックを受けました。w

ずっと前から、冬が好きって言ってますけども、服も秋冬服が好きで(ニットとかが好き)楽しみにしてたんですね。🍂

 

というわけで、今日は気づきというか、考えたことみたいな。そんな事を書きたいので書かせてくださいね。

 

「一人ひとりの感情を大事にする」人でありたいね。

ヒカリテラスをはじめた時に、何よりも最初に決めていたことがありました。

「一人ひとりの感情、思い、考えを大事にできる人になる」ということ。

 

これはヒカリテラスを始めた時から課しているんですけど、自分の物差しで色んなものを測らないようにしたいと思っていて。特に、誰かの意見だったり、感情だったり。

 

そういったものは、同じ経験をしていたとしても、その経験から感じ取ることも、学ぶことも、様々なため、100%全く同じように理解することは難しいから。

そして、自分の意見や感情は、一番自分が良く分かっていて、周りから指図されたり、教えられるものではないから。

 

同じように不登校であっても、引きこもりであっても、いじめ・体罰を受けていたとしても、どれくらいの苦しみ・痛みを受けてきたかは、人によって様々。

同じ出来事だったとしても、それぞれの受け取り方や、器の大きさはそれぞれだしね。

経験したこともないことなら、尚更自分の物差しで測ることは難しいし、むしろ失礼。

 

そして何よりも、そういった価値観や感情、思い、考えは、その人自身が語るからこそ、素敵になっていくものだと感じています。

いくら、人から避けられてしまいがちなネガティブな感情であったとしても、どんな感情でも、その人の考え方・価値観に触れられる貴重なものだと思ってるので。

(だと思ってるから、お涙頂戴とか、ポジティブに繕ったりとかっていう味付けが好きじゃないし、それはフィクションの世界でやってくれと思う。)

 

てなわけで、自分の価値観で人を測らない、一人ひとりの感情とか価値観を大事に出来る人になろうと決めたわけです。

これは、ヒカリテラスだけじゃなくて、色んな場面でも。

 

そうなることで、よりもっと色んな人の素敵な所を知ることができるから。

 

みんなバラバラが、何よりも大切で素敵なこと。

最近の好きな歌の歌詞を貼り付けますね。

 

なんてことない今日も 
誰かの大切なもの 
なんてことない明日も 
待ち望む人がいる
 

never ender/kz

 

ボカロの歌詞なんですけど、初めて聞いたときに目頭がじんわりしました。

きっとこれは、みんながそれぞれ感じるモノも価値観もバラバラだからこそ、これは誰かにとっては大切なモノで、これは私にとって大切なモノで、みんな誰かにとっては大切なモノなんじゃないかって感じられる。

 

こういうことじゃないかもしれないけど、誰かと違う感情を持っていたとしても、誰かから避けられてしまう感情だったとしても、それは自分自身を作りあげる感情で大切なモノなんだと思うし、

それが自分自身にとっては大切ではない感情だとしても、誰かにとっては貴重な意見だったり、希望になるヒカリの一つかもしれない。

 

それと同じように、周りの人が違う感情を持っていたとしても、自分には受け入れられない感情だったとしても、それはその人にとって必要で大事なモノかもしれないし、

また違う誰かにとっての、大切なモノかもしれない。

 

きっと価値観や感情や思いなんかは、誰かの大切になれるモノだと思っているからこそ、その大切なモノを私も大事にしたいなぁと感じました!

 

終わりが見えないけども()、今日はこんなところでおさらばしましょう!

 

それでは~~~~!

「自分らしい」「存在価値」って何なの???#ことヒカ

こんにちは!ちーです。

只今、ヒカリテラスでスタート企画「#言葉はキミのヒカリになれるのか」をしています。それで、その企画の募集期間に投稿する全てのブログ(こっちもkotobaの方も)に#ことヒカハッシュタグをつけていきたいなと思います!

ご理解・ご協力のほど、よろしくお願いします。(言ってみたかっただけ)

 

最近、「ヒカリテラス」がバタバタしてます。ウェブマガジンの方も、ラジオの方も、中身の方も。(その話もしたいね、いっぱい収穫がありますw)

私が前を突っ切って引っ張る事なんて、今まで無かったし、誰かの作った道を通っていくだけだったので、すごくすごく大変だなぁなんて。

漠然とした光がぼんやりとある感じで、底なし沼にはまってるような感じで。w

たくさんの「わからない」「どうしよう」を抱えて、少しずつ分解・吸収している真っ最中です。

でも、そんな「もがき」シーズンも楽しみたいなって思ってたりもしてます。(余裕うもないけど。www)

 

今日は、「自分らしい」ってなんだよ!「存在価値」ってなんだよ!ってお話がしたいので、お付き合いくださいね。

 

「自分らしさ」「存在価値」って考える時期あるよね~。

普通に生活していると割とどうでも良くなるけど、気持ちが落ち込む時期とか病み期とか、自分の世界に引きこもりたい時期とかって、「自分らしさ」「存在価値」について考えませんか?

私はすごく考えるタイプ。

自分には何もないように感じたり、自分という存在を見失いかけたり、もう既に見失ってたり、周りと比べたり、比べられたりして、落ち込んだり。

なんでこんなに何もないんだろう、生きている価値なんてないんじゃないか、って。

何か心のどこかに空白を感じて、虚無感に駆られて、一人で静かに悲しんだりして。

 

「自分らしい」って本当になんなんだよ!

「存在価値」なんてもってるわけないだろ!

最近はそんなことを思ってるし、何なんだろうって毎日お風呂で3時間ほど考えてます。w

 

きっと「自分らしさ」も「存在価値」も他人に教えてもらって、他人に決めつけられるものじゃない。

だから「自分らしさ」や「存在価値」を考えても、見つけようとしても、答えを見つけるのは簡単な事じゃない。

だから、苦しいんだよ。w

 

それもあるし、人って一人で生きてるわけじゃないし、いつでも誰かしら存在してるから、人と自分を比べちゃいがち。しかもきっと無意識に。

だから、人の良い部分を見つけては「私よりも彼の方が優れている」って落ち込んだり、悪い部分を見つけては「これなら私の方が優れてる」って落ち着かせたり。

 

だから、どんどん「自分らしさ」「存在価値」の脳内議論は泥沼に落ちていって、苦しむ。それは、難しい話だし、人と比べてしまいがちだから尚更。

 

私が考えた「自分らしさ」「存在価値」とは。

色々考えてみた結果、私の中では、自分の心の中に存在している感情や思い、考えが「自分らしさ」や「存在価値」の根っこになっている、のではないかと考えました。

私がこうやって自分の感情とか思いを大事にしているから、こういう考えになってしまった感は否めないんですけど。

 

この考えに行きついたのは、やっぱり「自分らしさ」も「存在価値」も、他人に決めつけられたり、教えてもらうも違うし。比べるのだって絶対違うなって。

比べられる価値と言ったら、人よりも何かが出来る、役立つスキルを持ってる、誰にも負けない特技があるくらい?それもすごいし、私にとっては憧れる対象。

でも、それってナンバーワンかもしれないけど、オンリーワンではなくない?(某アイドルみたいだな)

そのコミュニティの中では、ずば抜けて一番かもしれないし、自分にしかできないことかもしれない。でもそういうのって、上には上がいるのかもしれないし。やっぱりオンリーワンではない分、代わりはいるんだろうなと。

 

あと、もう一つは、小学校の時の読書感想文でお父さんに言われたこと。

昔、読書感想文が大の苦手で書けなかったんです。その時、読んでいた本はアンネフランクの伝記で、お父さんに読書感想文を見てもらってました。

「伝記には、どれくらい凄い人かではなくて、この人がどんな考えや感情を持って人生を歩んできたかが書かれているんだよ。」

結局、「自分らしさ」や「存在価値」って、自分はどれだけ凄いか、特別か、稀有な存在かではなくて、どんな感情や思いを持っていて、どう人生を歩もうとしているか、なのかなと。

 

それに、そういった感情や思いとか考えって、絶対に自分にしか持てないものだと思ってます。

似ている部分はあるかもしれないけど、どの部分でその感情が沸き立ったか、どんな経緯で思ったか、まで似ることは限りなくないんじゃないかと。

 

だって一人ひとり、どう生きてきたかなんてバラバラだし。

 

だからこそ、人の人生も、命も、尊いものなんじゃないかなと!思った!

 

そう感じたからこそ、どんな感情も思いも、考えも!もっともっと大事にできる人になりたいなと思いました。( ゚д゚)ウム

 

自分自身も、周りの人も。

 

 

今日はそんな感じです。

それじゃ!!!!

 

 

 

言葉の発信地、作ります。【ヒカリテラス】

こんにちは……!ちーです。

ついに、ついに、この時がやって来ました。

今年の1月から考え作り始めたモノが、ようやく形になりました。

知っている方は知ってるであろう、《ヒカリテラス》のお話です。

 

見つけた、私が本当にやりたい事。

高校2年の時に、まぶぃーずと夢を還るキャンパスで居場所づくりのプロジェクトをはじめました。

イベントを開催したり、取材をしたり、経験を多くの人に話したり、色んなことに挑戦させてもらいました。

その経験は、社会問題や社会への生きづらさを抱えて苦しんでいる人が多く存在することの現状を肌感覚で知り、彼らが一生懸命生きていることを感じることができました。

 

だからこそ、彼らの力になりきれない自分自身にやるせない気持ちになったり、無性に悔しかったり、どうしたら彼らの力になれるんだろうとグルグルと考えまくったり……。

 

でも活動を続けていくことで、自分が本当にやりたかった事が見えてくるようになりました。

それが《ヒカリテラス》を作ることでした。

 

私は昔から言葉が好きだったこと。

苦しい時に1番に支えてくれたのが言葉の存在であったこと。

そして私にとって、言葉の力が心の光だったこと。

 

そこから私は、言葉の力で誰かの力になりたいと思うようになったんです。

 

また、前の職場の編集長さんの言葉が《ヒカリテラス》を立ち上げる決定打となりました。

 

「自分のことは自分でしか変えられない。

でも、言葉の力は、背中を押してもらったり、背中を支えてもらうことができる。

言葉の力は、心を明るくさせたり、前向きにさせることができる。

それは、小さな変化かもしれないけど、確実に言葉の力は人の心を動かせる。」

 

私はこの言葉を聞いてから、言葉の力の可能性を再確認しました。

 

私が救われた言葉の力の可能性を信じ抜いて、挑戦することが、今も生きづらさと立ち向かっている人の力になれるのではないか。

 

じゃあ、私がやらなきゃ!やりたい!

 

言葉の力で、心に光を照らす。

昔、私が救われたあの時のように。

そんな思いを込めて、《ヒカリテラス》と名付けました。

 

こんな感じで《ヒカリテラス》は始まったんです。

 

《ヒカリテラス》を本格スタートするまで。

《ヒカリテラス》を思い立ってから、今日まで9ヶ月経ちました。

 

元々、ウェブマガジンだけの予定だったものを、ラジオや色んな媒体にチャレンジする「言葉の発信地」を作ろうと決めたり、

一人で盛り上がって、ホームページやSNS、ロゴまで作ってしまったり、

初めてマトモなパワーポイントを作って、色んな人にプレゼンして回ったり、ヘッドハンティングしたり、

本当に色んなことをやってみた気がします。

 

始めたばかりの頃は、誰にも《ヒカリテラス》の事を言えなくて、一人ぼっちだったのに、今では5人の仲間が出来ました。

 

何だか、この準備期間である9ヶ月の中で、たくさんの大きな経験を繰り返した気がしているし、ちょっとだけでも成長出来たんじゃないかなって思います。

すごくあっという間でした。

 

でも、ここからが本番です。

 

ようやく、9月15日のプロジェクト本格始動、ウェブマガジンのローンチ、ラジオ放送のスタートにこじつけました。

 

この結果は、たくさんの人の支えとアドバイス、優しい眼差し、期待があったからこそだと思います。

だから先に言わせてください。

ありがとうございます。

そして、これからも応援よろしくお願いします。

 

 

 

そして9月15日の《ヒカリテラス》本格始動を祝しまして(?)、ステキな企画を用意しました!

 

SNS公募展

#言葉はキミのヒカリになれるのか 

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ヒカリテラスのコンセプトは「言葉の力で光を照らす」となっているので、そんなステキな言葉の溢れる企画を作りたいなと思って企画しました……!!

 

期間は9月1日からの一か月間となっているので、SNSハッシュタグをつけて投稿してみてください♡

 

そして最後に、言葉の発信地プロジェクト《ヒカリテラス》のお知らせと宣伝です。

 

ヒカリテラスのローンチ企画『#言葉はキミのヒカリになれるのか 公募展』の企画期間は9月1日~10月1日です!!

そして、ウェブマガジンのローンチとラジオ放送が9月15日になります♡

 

詳しい情報は、ヒカリテラスのSNSからお伝えいたします!!

ぜひ、フォローをしていただけると嬉しいです✨

Twitterヒカリテラス (@hikari_terrace) | Twitter

Facebook言葉の発信地『ヒカリテラス』 - ホーム | Facebook

 

それでは、また更新します♪

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでもいい」、か。

ここ最近ずーーーーーっと、心がざわざわ、ごわごわする気がする。

気づいたら、何かに悔しがって、悲しくなって、虚しくなって、涙をこらえる。

 

私はずっと、自分に自信が持てない。

「なんで、私はこんなに何も出来ないの?」って自分に嫌気が指して、嫌いになる。

 

未だに、私は負の塊で、自分自身の粗探しに没頭する。

開き直ることも出来ないし、それを改善したくても、やり方が分からなくて、地団駄踏んでるのも嫌になる。

 

「それでもいい」、そうやって落ち着けようとするけど、意味が無い。

「それでもいい」っていつまでもそうじゃいられない、ずっとこのままじゃ変われない。

 

悔しい。悲しい。虚しい。

そんな感情に囚われてる。

 

自信が持てない私に、前を向けない私に、立ち上がれない私に、何度も絶望する。

 

いつもそうじゃん。

また同じ事を繰り返すつもり?

何度も何度も自分を責めるのも、いつも通り。

 

嫌になるよ、何度も。

自分に絶望するよ。

「私なんか殺してしまえ」って思うよ。

 

でもそれでも、変わりたいって思うから。

何度も絶望して、立ち上がってみて。

 

もしかしたら、変われるかもしれないって、夢を見て。

 

何回泣いても、自分で自分の背中を叩いて、立ってみる。

 

ゆっくりでも。周りに置いていかれてても。

 

どうせだったら、生きててよかったって思いたいから。

自分のこと、大嫌いでも、殺したくても、絶望しても、いつか自分を好きになりたいから。

 

そういう自分を知ったら、スタートだって。

変わりたいって思ったら、スタートだって。

絶望は、自分への期待だって、伸びしろだって。

 

まぁ、前向きな言葉を自分に言い聞かせても、明日も明後日も、泣くのは変わらないし、いつも悔しいし、虚しい。

 

でも、やるしかなくて、立ち上がるしかなくて、コンディション最悪でも戦わなくちゃいけなくて。

 

半べそで、立ち上がる。

 

今はそれでもいい。

 

 

 

 

 

 

ブログのデザイン、変えました💓

こんにちは!ちーちゃんです🎶

 

はい!

このブログを何回か見に来て下さている方はお気づきでしょうが……、

ブログのデザインを変えました~!!!(パチパチ👏👏👏)

 

はてなブログはデザインをいじるのが楽しい」と、このブログを開設した時から聞いていたのですが、中々手を出すことができませんでした😢

 

デザイン変更に踏み切ったきっかけ

 

簡単にデザインを変えられなかった理由は、3つ。

  1. スマホの画面では、せっかくのデザインを楽しめない
  2. そもそも、デザインってどうするの?状態w
  3. CSSがイマイチ理解できずにいた。w

ていう感じで、難しそう~、出来なさそう~、って思って出来ずにいました。

 

でも何で今更、デザインを変えてみることに踏み切ったのかと言うと……

最近、PCの画面からこのブログを見ることが増えて、今のデザインが飽きてきた……、というのと、もっと大人っぽくシンプルにしてみたい!っていう願望です。()

そして何より、スマホのブログのアプリからも見えるのですが、読んでくださっている方が増えている、PV数が少しずつ伸びているのを感じて、もっとシンプルに文章が読みやすいデザインにしたい!と思うようになりました。

 

私のこのブログは、文章しかないので……w

どうせなら、シンプルかつ読んでいても目が疲れないデザインにして、いつも長ったらしい文章を読んでくださっている皆さんにもっと読んでもらいたいなと。www

 

デザインでこだわったポイント!

今回、「minimalism」というブログテーマがデザインをいじりやすくてオススメとの口コミがあったので、テーマストアからダウンロードしてきました。

こだわりの一つに入れていたシンプルデザインで、まさにピッタリでした!

初期設定から、余計なものが最初から削がれていて、見ていても文章に集中できる感じ~✨

 

ただ、モノトーンカラー、白の背景?って少し見過ぎてしまうと、目がチカチカ、疲れてしまうことってありませんか?

私は結構そのタイプらしくて、ずっとワードやスプレッドシートとにらめっこしてると疲れちゃうんですよね。

私のブログにそんな長時間滞在?することはあまりないかもしれないけど、文章量はそれなりにある方だと思っているので、出来るだけ読んでいても疲れないようにしたかったんです。

 

初期設定の時は、白の背景に、グレーと黒の文字とデザインだったので、

ひとまず、背景を淡い黄色に設定してみました。

よく小説やページ数の多い本の紙の色が、淡い黄色だったり、私が愛用しているロルバーンの手帳やメモ用のノートの紙にも、淡い黄色が使われているんですよね。

きっと、淡い黄色が背景だったら、目が疲れにくいんじゃないかなぁと…!!

 

そして、その背景の色に合うように

記事タイトルの枠の色とマーカーラインの線を、花緑青という、青緑に、

大きな見出しの下の線には、珊瑚朱色という、少し渋めのオレンジを

差し色として変更してみました!!

 

中見出しや、小見出しの線はまだ加えていないので、またゆっくり変更できたらと思います( *´艸`)

 

そして、ヘッダー画像と、アイキャッチ画像には、大好きなポピーの花を使ってみました💓💓

そこにちょっと存在感強めに入ってる文字のフォントは、筑紫B丸ゴシックというちょっと可愛い感じのを使ってみました。

 

すると以前のデザインよりかは、かなりシンプルに!でも私の好きなものがいっぱい詰まったレトロで可愛い感じに仕上がりました♪

 

このデザインを気に入ってくだされば、とっても嬉しいです!!

 

それではっ💞

私たちは幸せに生きる権利がある。

こんにちは!お久しぶりです!w

約1ヶ月ぶりですね、如何でお過ごしでしょうか?

私は、うん、何とも言えません。www

夏が苦手で、この時期はいつも心の波が大荒れ状態です。w

 

今日は、ひとまず伝えたいこと書きます。

私たちは幸せに生きる権利がある。ってこと。

 

幸せか不幸かは自分が決める

最近あちこちで見かけます。# 不登校は不幸じゃないってやつ。

この取り組みすごく好きです。社会全体が不登校の今を知ってもらえる、学校に行かないが当たり前の選択肢としてある未来になるきっかけになる良い試みだと思います。

でも、モヤモヤはすごく残る。なんか嫌な感情が沸き立つ。そんな気分を正直抱いてます。

 

私はハッシュタグの通り、不登校だった過去は、黒歴史っちゃ黒歴史だけど、その過去があることは不幸だと思ってません。

だってその過去があったから人の痛みや苦しみを理解したいと思えるし、寄り添える人間になりたいと思えたから。

その過去を持つことで、昔の私と同じ苦しみを持つ人に知恵を1つプレゼントできるから。

 

でもそれって、不登校じゃなくなったから当事者から経験者になったからだと思うんです。

不登校だった頃は、不幸じゃないなんて絶対言えなかった。

根も葉もない噂が流れて、関わりのない人からも嫌われたし、

自分の実力で掴み取ったものでも、周りからは有ること無いこと言われたし、

気付いたら、人が信用出来なくなって、友達もいなくなってた。

 

今でもその出来事は、不幸じゃないって言えません。

でも、その出来事を上回るくらいに、不登校だった事で得たことが多かったから、総体的に見て、不幸じゃないって思えるんです。

かと言って、幸せではないですけどね。w

 

何が言いたいかって# 不登校は不幸じゃないっていう文言は、

不登校じゃなくなったから言える話で、当事者はそう思ってない場合が高い。むしろ、当事者は苦しむ気がする。って事。

 

ぶっちゃけ、不登校は不幸じゃないって不登校じゃなくなった経験者の意見の押し付けじゃないですか。

って私は思っちゃう。(ひねくれ過ぎな私)

 

私は、不幸だった過去は、不幸だったって片付けていいと思います。

不幸だと思ってることを、不幸じゃないって片付ける方が苦しいんですよ。

大嫌いなピーマンを、お母さんが「あなたはピーマンが大好きだ」って暗示を唱えて口の中に入れようとすること一緒です。()

 

不登校は不幸だ、不幸じゃない、とか蚊帳の外が騒いだところで、

不幸か、不幸じゃないか、決めて受け止めるのは自分しかいないし、周りが決めつけるものじゃ絶対ないんです。

 

私たちは幸せに生きる権利がある。

私たちは生まれてからずっと人権という、人が人として幸せに生きていくための権利があります。

日本でも、海外に行っていたとしても、国際人権法というものがあるので、どこで生きていたとしても保障されている権利です。

 ただ、あくまでも、権利です。

義務ではないので、必ずしも「この人生を不幸だと思ってはいけない」というわけではないのです。

さっきも書いた通り、不幸か、不幸じゃないか、を決めるのは自分自身で、誰からも決められるものではない。だから不幸だったら不幸だと思うままでいいんです。

 

だって誰かからどんな感情を抱いているかを押し付けられて決めつけられるなんて、人じゃないじゃん。その誰かの所有物じゃん。

人が人として幸せに生きていくための権利が守られてないじゃん。

って思います()

だから、不幸だと思ってるからって悪いことじゃない。不幸だと思うことがいけない事って思ってしまうことが不幸だと私は思ってます。

 

でも私たちは、少なくとも私は、人権というものを持っているからこそ、どうせなら幸せに生きたいと思ってるんです。

でも今の社会は残念ながら、幸せに生きられる環境かと言われればそうじゃないとも思ってます。

だってやっぱり、電車乗ったらお尻触られるし、高校生だからってバカにされるし、不登校も、引きこもりも、精神疾患も、発達障害も、LGBTs、認知や理解がされていないからこそ、苦しいことをわかってもらえない。

だから私もそうだし、不登校だったり、LGBTsだったり、発達障害だったりを認知しよう、理解してもらおうと社会に出て、叩かれるかもしれないけど前に出て、たたかってるんです。

「私は不登校でした。」「私は精神疾患を患っています。」「私はこんな障害を持っています。」

こうやって言うのをためらってしまうほど、受け入れられない社会なんです。周りは何も知らないから。

でも、そんな社会じゃ、幸せに生きられないかもしれないって思うから、たたかうんです。ただの法律だけじゃなくて、社会からも、幸せに生きる権利を掴むためにね。

 

そう思っているから、# 不登校は不幸じゃないの活動を陰ながら応援しているし、多くの人のきっかけになればいいなと祈ってます。

でも、当事者の子や、苦しいことがあって不幸だと思っている子は、決して不幸だと思うことが悪い事ではないと伝えたいし、私はその感情をも大切にしてあげてほしいと思います♪

 

 

それでは、、!

ウダウダしてたら、深夜だし、寝れないわ。()

じゃあ!良いお盆休みをお過ごしくださいませ💕

ポジティブだけが正義か。

こんにちは!

今日はサクッと本題行きますね。「ポジティブ至上主義」の話です。

 

そりゃ、ポジティブがあれば、ネガティブもあるさね。

私この前から、AmebaOwndのブログをまた作り直しまして、この前こんな記事を出しました。

c-kotoba.themedia.jp

(あ、気になった方、読んでくださいね。あ、恥ずかしいんで感想要りません笑)

 

ここで、綺麗事とか、ポジティブとか、光当たってる部分だけで世界が回ってると思うな、クソくらえと言い、挙句の果てには、綺麗事なんて社会に溢れかえってるから、その分、影を受け入れる努力をせんかい。と愚痴りまして…笑

 

まぁ、普通に考えて無理ですよね。だって、みんな影嫌いだもん。笑

だから、除け者扱いするし、邪険にするんですもんね。

ネガティブだったり、暗い事、影の部分より、

どうせなら、ポジティブだったり、綺麗事だったり、光の部分だけを見ていたいし、聞いていたいし、近くに寄せときたい。

普通はそう思いますよね。

私も元々が根暗なんで、めちゃくちゃネガティブな事言ったり、ここに書いたりしますけど、すっごく嫌いですもん。

 

でも、そうやって、除け者扱い、邪険に扱った結果、生きづらい世の中を作ってるわけなんじゃないかなと思うわけです。

 

だって、みんな光の部分ばっかり注目してるけど、光があれば影が出来て当然ですよね。

誰かがスポットライトをあててもらうためには、誰かがライトをあてなきゃならないし、誰かはライトはあたれない。そうでしょ?

また、誰かが良い思いをすれば、ほとんどの場合、誰かは嫌な思いをしている。

 

結局光があれば、すぐ後ろに影が出来るし、影があるから光は際立つわけです。

 

どうやっても社会に、光、ポジティブな部分が5割あれば、影、ネガティブな部分も5割あるんじゃないかと考えております。

 

のくせに、社会は徹底的に影を嫌って邪険にして、悪者扱い。

それってどうなんやろ?と思うわけですよ。

 

だから、本屋さんに行くと自己啓発本

「ポジティブな人間はあーだこーだ」とか、「ハッピーに生きるには」とか、っていういかにポジティブな人間に見せるか、なれるか、ポジティブな感情を増やすかみたいな事が書かれているんですね。

 

でもね、本当に必要なのは、

「ポジティブな感情を増やすか」より

「ネガティブな感情とどう向き合うか」なんだと思うんです。

自分自身も、社会全体も。

 

ネガティブを受け止めてやる。

ぶっちゃけて言うと、社会的なバランスを見て、ポジティブな感情だけを増やすのは難しいんではと思います。さっき書いたようにポジティブもあれば、同じ量のネガティブが潜んでるから。

じゃあ、何が必要かというと

「上手にネガティブを受け止めること」「上手にネガティブを消化すること」かなと。

 

それが嫌い、もしくは苦手な人が多すぎるから、個人でも受け止めきれないし、社会の中にも受け止めてくれる場所も少なすぎるんですよね。きっと。

だから、生きづらいんですよ。この世の中。

 

ネガティブな自分って大っ嫌いです。でも受け止められたら最強だと思いませんか?

「あ~今、ネガティブだけどそんなこともあるよな。」

「ネガティブな感情が芽生えてるから、それに浸ってようか。」

「自分の感情と向き合ってみようか~。」

なんて、自分の心をあやすように向き合えたら、ネガティブな感情を上手に受け止められるんじゃないかと思ってるんです。

 

「そんなん、無理に決まってろ~が!!」

って思う人も多いと思うし、私もややそう思います。((

 

そんな人が大勢だからこそ、社会にネガティブ、生きづらさを受けとめる居場所が必要なんです。

その居場所や社会から、ネガティブを受け止められる場を持ち、受け止められるようになると、個人でも感覚を掴んで、受け止められるようになるんです。

 

そういう居場所から、ネガティブを受け止められる種をまいて、社会から受け止められるようにしたいなぁ。

 

今の社会は、ぶっちゃけポジティブじゃなきゃ(装わなきゃ)、やっていけないじゃないですか。

ある種のポジティブハラスメントが、社会全体で起こっているものじゃないですか。

 

そうじゃなくて、ポジティブもネガティブも上手く共存できる社会になればいいなぁ。

 

そのために、居場所づくりという不思議で面白いことにチャレンジしているんですがね。

 

てなわけで、今日はこんな感じです!(終わり方がいつも雑wwww)

何かご意見あれば、いつでもください💕

それでは~~~!!