ちーちゃんのブログ。

ポンコツ系エニートが言葉を綴る何でも日記。

自信を付けたくて、ちょっとやってみたこと。

こんにちは!

夏休みがそろそろ終わって何とも言えない気持ちになっている今日この頃です。

 

昨日から台風のせいか、高熱と頭痛と吐き気のフルコンボで倒れてました。皆さんは台風と体調大丈夫でしたか??

仕事とか学校とか、しんどくても行かなきゃってなってしまうけど、しっかり休んで健康な状態でいることも大事ですから。休める時は休みましょ🎶

 

最近は、自分自身に自信を付けようと思って生きています。

大学生になって、新しいことをはじめて、できることも増えてきました。

できることが増えても、それをできる機会に飛び込まないと意味がないのは分かっていながらも、自信が無さすぎて、できなかったことが多かったんです。

 

だから、色んなことをして自信を付けてみようと思って密かにやってみてます。

 

今日はそんなお話をば。

 

身を引き締めたくて、肩書き公開()

最近、自信を付けたくて始めたのは、肩書きを公開したこと。

手っ取り早く、メールの署名やヒカリテラスでのメール、Twitterのプロフィールに「言葉の発信地 ヒカリテラス 代表」と書きました。

 

なんでかと言うと、言葉の発信地ヒカリテラスをもっと頑張りたかったからって言うのが1つと、代表という大切なものを守る立ち位置であることを公開してヒカリテラスという存在に誇りを持ちたいと思ったから。

 

「生きづらさ」の問題って、社会で生きていく中で大切な問題かつ、一番身近な問題だと思っています。

だから私は「生きづらさ」への「共感」と「理解」の輪を広げる活動をすることで、解決したいって思って、日々活動しているし、言葉の発信地ヒカリテラスは大切なものだと考えてます。

 

でもテーマ的に見れば、楽しいことをやってるわけでもなく、明るいことをやってるわけでもなく、お金になることをやってるわけでもないから、

なんで?って思ってる人も多いだろうし、中々理解されないことがちょっと辛い…。

 

ちょっと前に、個人アカウントで匿名の質問箱を作ってみた時には、活動に対する非難の声もあって悔しかったし、悲しくて、

活動の代表であることを表に出さずに、水面下で活動していました。

 

でも言葉の発信地ヒカリテラスの代表として、活動できる幅がちょっと増えてきたことで、

私がヒカリテラスに対して自信を持たないと、愛してあげないとって思うようになりました。

 

言葉の発信地ヒカリテラスは、今も昔も、大切な場所だし、大切なことをしていると信じています。

 

その気持ちを表に出して、活動したいという気持ちの表れから、代表という肩書きを持って活動しようと考えてみました◎

 

やります!と言えるようになる

また最近は、できることはドンドン引き受けていこうと思って「やります!」と言ってみてます。

 

そこで最近知ったのは、

「難しいと思っても、意外とできる」

「意外とヒントや答えが転がってる」

「『やります!』に対してサポートしてくれる人がいる」

ということ。

 

今まで、できることがあっても引き受けられなかった理由として

  • シンプルに自信が無い
  • 年下だから烏滸がましい
  • できなかった時に申し訳ない

ということがあげられました。

 

今もそれはずっと思ってるんですが、

できるのに引き受けられない方が後悔するんじゃないかって、できるようにしてくれた人や、認めてくれた人に対して失礼なんじゃないかって思うようになりました。

 

これまで、色んなスキルを教えてくれた人がいっぱいいました。だから、色んなことができるようになりました。

自分だけの力で、色んなことができるようになったわけではないからこそ、その力で貢献していきたいし、次の人たちに還元していきたいなって。

 

それに、せっかく同じフィールドに立っているのに勿体ないかもって考えるようになって、

最近は、年齢とか立場を超えていきたいと思っています。

 

申し訳ないな、烏滸がましいなって思ってたら、勿体ないかもしれないなって、

人間は勝手な生き物なんだから、もっと勝手に生きてもいいなって思うようになりました。

 

敬語とか、最低限のマナーは守りながらも。笑

 

素直に「ありがとう」と言えるようになる。

最近、褒められたり、認められて嬉しくなりました。

でも、それは自分だけの成果じゃなかったり、運が良かっただけだったり、まだまだ全然だったりして、素直に受け止められなかったんです。

 

自分を見て、評価したり、認めてくれたりしてくれる人がいることって本当にありがたいし、

その言葉があることで、自分の軸が磨かれていく感覚があります。

 

それが例え、自分がそうだと思わなくても。

 

だから、その言葉をもっと素直に受け入れて、「ありがとう」と言えるようになったら、自信も付けやすくなるんじゃないかなって。

 

色々思うことがあっても、まずは「ありがとう」って言えるようになりたいものです。

 

そして、その言葉が似合うようになるまで、いっぱい努力すれば、

その言葉が本当になるから結果オーライになれるのでは???と思ったりしてます。笑

 

 

 

 

 

色々、思ったことをバーっと書いてみました!

そろそろ夏休みも終わって、大学が始まります。自信を付けるを1つの緩い目標にして頑張っていきたいです◎

 

それでは〜=͟͟͞͞🍣=͟͟͞͞🍣=͟͟͞͞🍣=͟͟͞͞🍣

 

 

死ぬの1日だけ延長しない?#あなたの言葉は誰かのヒカリ

こんにちは!

事後報告にはなりますが、8月31日のNHKラジオ第1にて放送された、悩める若者たちへの応援歌「自殺の問題考えませんか」という番組に出演させていただきました。

自死について考えたことがある当事者として、言葉の発信地ヒカリテラスで自死や生きづらさの問題を解決しようとする支援者として、色んな話をさせていただきましたし、ゲストの尾木直樹さんや小林エリコさんのお話から学ぶことも多い2時間でした。

このようなステキな機会を作っていただいたたくさんの方に感謝ですね♪

 

9月1日は、若者の自殺が一番多い日とされていて、ラジオの言葉を借りるなら「生きづらさ」の象徴ともなる日です。

私にとっては、何かわからないけど心が苦しくなる日、他人事として考えられない日ですし、私の中で一番に考え解決していきたい問題です。

だから毎年、ブログでは8月の31日にそういう関連の記事を書いているのですが、今年は書けなくて遅くなってしまいました。悔しい。

 

今日は、ツイートした言葉を元に今考えていることをサクッとお話したいと思います。

 

生きてほしいなんて、言えるわけない。

私は自殺できなかった身。

生きててよかったとまだ言えない身。

生きてて良いことあるなんて口が裂けても言えるわけがない。

 

世の中はありえないくらいに生きづらい。正直、誰が感じてもおかしくない。生きづらさは。

自殺対策白書の自殺要因の分類を見ると、「家庭問題」「健康問題」「経済・生活問題」「勤務問題」「男女(恋愛)問題」「学校問題」と分類されていて、戦慄しました。どんな場所やコミュニティにいても自殺の原因、生きづらさの原因になりうる。

 

そんな中で「人生に希望を持ってもらいたい」だなんて、私は無理。だって私も希望持てないもん。

 

だから、私には「生きてほしい」とは言えない。死ぬことが悪いこととも言えない。

 

だって人は死に向かって生きているし、いずれ死ぬ生き物だから。それを悪いとは言えない。(こんなこと言ったら多方面から怒られるかもね笑)

死んではいけない理由も何度も何度も考えたことあったし、哲学や神様の本をいっぱい読んだけど、腑に落ちる答えは見つからなかった。

 

だから、自分が納得言っていないことを他人にも押し付けたくない。

 

ただやっぱり、会ったことのない誰かかもしれないけど自分で命を終わらせてしまうことは苦しい。

誰にも救えることができなかった、辛さや苦しさを気づいて受け止めてあげられなかった、そんな冷たい社会にまたなってしまった。そんな風に感じる。

 

だから本当はやっぱり、「生きてほしい」。

でも、何も状況を考えずに「生きてほしい」なんて酷いことは言いたくないし、個人的には、自分で生死の選択をする権利はあると思っているから、

せめて、後悔ない状態で死んでほしい。

 

死後の世界はフィクションでしか知らないからあれだけど、後戻りはできないし。

 

だから伝えたいのは、「やり残したことない?」「やり残したことあるなら、死ぬの1日だけ延長しようよ」という提案。

 

「死ぬの先延ばし」を延長して延長しようよ。

 

正直ね、今の私って、果てしなくうざいと思うんですよ。何も知らないくせにって思うと思うんですよ。当時の私だったら絶対Twitterブロックしてたもん。

 

でも、それでも、やっぱり生きてほしいんですよ。私も「死ぬの先延ばし延長期間」の真っただ中を生きているけど。一緒に生きてほしいなって。仲間になってほしいなって。

 

「自殺」を考えたとき、その直前、本当に何も見えなかった。いかにどうやって楽に死ぬことができるか、早く終わらせることができるか、そんなことしか頭に浮かばなかった。

暗闇、未来なんか見えるわけもないし、明るいどころか光すら入ってこない。

 

後悔も何も浮かばなかった。死ぬことにいっぱいいっぱいで。でもどこかで「生きるのやめて本当に大丈夫?」って自問自答していた。

その自問自答こそが、見えない後悔が残っているサインだったのかもしれない。今思えば。

 

「私なんて生きる価値ない」「生きていいのかわからない」「もう消えてなくなってしまいたい」

そうやっていっぱいノートにも、スマホにも書き込んだ。わけも分からずにググったりもした。はじめてお父さんにも叫んだ。

 

そこでいろんな話をした。何も知らないくせにって内心思いながら。

でも「何も考えずにやりたいことやってみたら?」って言われて、あぁそうかって思った。せっかく死ぬなら、後悔なく死んだ方がいいなって思った。

 

そこから、何が好きかを見つけようとした。たまたま辞書と本とノートが転がっていて、言葉が好きだと思った。だからライターの仕事をしようと探した。

そこでGoogleで引っかかったNPOのライター募集を見つけて応募して、はじめて1人で東京に行った。

 

そこから少しずつ人生は、見える世界は変わっていった。

気づいたら、ライターとしてお金をもらっていたし、団体を設立して講演もしたし、インタビューされてラジオにも出た。「生きづらさ」について研究し始めたし、大学にも通ってるし、孤独だったけど仲間も友達もできていた。

 

自分次第で未来も、自分が置かれている環境も変えることができる。そして助けてくれたり、チャンスをくれたりする人が導いてくれる。

 

だから、今の私の希望と原動力は、未来は変えられること。そして「私の傷が誰かの知恵や力に変える」瞬間を発見すること。

 

正直、まだまだ「生きててよかった」とは言えない。

いじめや体罰のトラウマが抜けきらなくて、人が怖い時もいっぱいある。そのたび申し訳ないなって思う。

 

だからまだ、「死ぬの先延ばし期間」の延長を続けている。

 

まずは誰も来ないようにバリケードを作ろう。その後、耳栓とかイヤホンを付けて布団に潜り込もう。そしてしっかり寝よう。寝れなかったら、呼吸をすることだけ考えて、ぼーっとしよう。

 

まずはそこからでいい。呼吸するだけで素晴らしい。

 

元気になったら、言葉にしよう。苦しい、死にたい、もう無理。なんでも良いから言葉にしよう。私にぶつけてもいいし、Twitterとか匿名のどこかに投げ込んでもいいよ。

きっと誰かが気づいてくれる。

 

そこから、やり残したこと、やってみたかったこと考えてみよう。そしてまたどこかにぶつけて。

アイス食べたい、海に行きたい、つけま付けたい。なんでもいい。誰かが力になってくれるきっと。

 

そうやって、毎日毎日「死ぬの先延ばし期間」を延長しよう。きっと君がいる世界は変わっていく。

 

いろんな世界がある。いろんな人間が生きている。

きっと私たちが生きている世界は井戸の中だ。大海を知ってみようよ。

 

最後に

大人の皆さん、社会に生きている同志の皆さん、

どうか「死ぬの先延ばし期間」に力を貸してあげてください。

「生きててよかった」と思わせてください。言わせてください。

 

私もそこから、今の私になりました。

 

思いや気持ちに寄り添ってください。

いろんな世界やいろんな人間を教えて、体験させてください。

 

「学校に行く」「会社に行く」「教室で勉強する」「働く」それが当たり前とは限りません。それが世の中全員の幸せとは限りません。

だから、せめて後ろ指をささないでください。馬鹿にしないでください。

 

手と手を取り合い、みんなで支えていく社会になってほしいです。

「自己責任」で片づけず、「相互扶助」の精神を大事にする社会になってほしいです。

もっと心に寄り添いあえる優しく暖かい社会になってほしいです。

 

私はまだまだ社会も何も知らない若造だけど、

「そんな若造が何を言ってるんだ」と思うかもしれないけど、

それでも。私はそんな社会になればいいなと願っているし、そのために今、勉強しています。

 

「死ぬの先延ばし期間」を一緒に生きてくれる人が1人でも多く増えてくれますように。その期間を支えてくれる人が1人でも多く増えてくれますように。

 

 

 

 

ヒカリテラス、もう1年かぁ。#あなたの言葉は誰かのヒカリ

皆さんこんにちは!

夏休みの過ごし方がだんだん分からなくなるうちに、夏休みが終わってしまいそうな、忙しい日々を過ごしております。

 

まぁまぁ、ひとまず、今日は私が一応代表をしている「言葉の発信地ヒカリテラス」が1歳になりました!

 

1歳になったとはいえ、まだまだ成長過程の赤ちゃんのような「言葉の発信地ヒカリテラス」。それでも思いが詰まりに詰まった「言葉の発信地ヒカリテラス」。

 

これまでを振り返ってみたり、初心に立ち返ってみたりして、いろんなお話をしたいと思います。

 

言葉の発信地ヒカリテラスと歩んできた。

私が「言葉の発信地ヒカリテラス」を設立したのは、2018年のお正月ですが、メディアとしてスタートしたのは半年後の9月1日のことです。

 

漠然と言葉の力で「生きづらさ」を感じている人の力になりたい。その一心ではじまりました。

 

その思いが強くなっていったのは、2018年夏頃。若者の自死の話が問題になっていると他団体の大人の方と話した時でした。

 

若者の自死率の問題は、私にとって他人事に思えることの出来ない身近な問題でした。

私も自殺を考えていた1人だったから。

 

私に何ができるのだろう、私は何をしたいんだろう、、、。

ぐるぐると「若者の自死率の問題」、そして常に考えている「生きづらさの問題」を目の前にしながら考えていました。

 

言葉の力で、より多くの苦しい思いを持っている人と繋がることができたら。

言葉で繋がることで、「独りじゃないよ」「仲間がいるよ」って伝えることができたら。

 

「言葉の発信地ヒカリテラス」を今始めようと2018年8月に決意。

 

その時、ここで「言葉の発信地ヒカリテラス」を始めないと、後悔すると思いました。

大学生になってからじゃ遅いかも知れない、今やりたいって思いました。

 

そこから「言葉の発信地ヒカリテラス」のために2本の記事を書きました。

hikari-terrace.themedia.jp

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 大学受験のための小論文よりも、エントリーシートよりも、勉強よりも、私はこの記事に力を入れていました。

 私だから出来ることであること、私だから紡げる言葉にこだわること、に必死だったから。

 

特に「死に損ない」が伝えたいこと、という記事には、自殺について色んな思いを持ちながら書いた記事です。

どうしたら、自殺しようと思っている子の気持ちに沿いながら、「生きる」選択を見せたらよいのか。むしろ「生きる」選択をさせることは酷ではないのか。これを読んだらなんて思うだろうか。絶望しないだろうか。

 

「生きてほしい」でも、「生きてほしい」とは言いたくない。だからどんな言葉であるべきか、毎晩毎晩考えて書きました。

 

言葉の発信地ヒカリテラスで紡ぐ言葉は何よりも、

・自分の言葉にこだわりぬくこと

・自分の感情に嘘をつかないこと

を大事にしてきました。

 

ラジオも、記事も、みんなの正直な気持ちや思いが詰まっています。

だから言葉の発信地ヒカリテラスが大好きなんです。

だからもっと頑張ろう、できないことばっかりだけど頑張ろうと思えました。

 

ヒカリテラスの1年の中で、メンタルが絶不調の時も何度かあって、運営できない期間、何も手つかずな期間もありました。

でも、言葉の発信地ヒカリテラスで、「生きづらさ」にヒカリを照らせる言葉を発信していきたい、「生きづらさ」を解決したい、という思いが心の中でメラメラし続けているから、今も少しずつ挑戦を続けています。

 

そんなこんなでまだまだハイハイしている赤ちゃんのようなヒカリテラスですが、また来年には成長した姿をお見せできるようになりたいものです◎

 

#あなたの言葉は誰かのヒカリ

言葉の発信地ヒカリテラスのメディアが始まる以前から、SNS公募企画というものをやりたいと思っていました。

 

言葉によって生きるヒカリを見つけたり、言葉を紡ぐことによって出来ることを見つけた原体験から、

 

辛いときにちょっとの暖かい言葉があるだけで、少しだけ明日を生きる希望になる機会や環境がもっと増えたらいいなという思い。

そして、生きる価値がない、何もできないと思っている人でも、暖かい言葉を紡ぐことで、ちょっとの勇気で発することで、誰もが誰かのヒカリなれたり、ヒーローになれることを感じてほしいという思い。

 

この2つの思いから、SNS公募企画を通じて、たくさんの暖かい言葉があふれる場所を作りたいと考えていました。

 

そしてそのSNS公募企画の名前が、#あなたの言葉は誰かのヒカリ というわけです。

 

この企画名は、私にとって本当に本当に大切な名前です。

 

 

どれだけ些細な一言でも、その言葉に支えられることがあって。

どれだけ些細な口癖も、その言葉に嬉しい気持ちでいっぱいになる人がいて。

どれだけ当たり前のような挨拶でも、その挨拶が生きる活力になっていくこともある。

 

誰もが、言葉の力を持っていて、その力は直接作用されるものではないけど誰かの力になれる。当たり前のように思えて、実は素晴らしいこと。

 

ちょっとの言葉を発する勇気で、誰もが誰かのヒカリになれる。そして自分である意味を見つけうるかもしれない。

 

そんな思いを込めた大切な名前を、1年越しにようやく皆さんと共有できたことがとても嬉しいです、ヒカリテラスありがとう……。

 

ぜひたくさんの人の言葉が「誰かのヒカリ」になる瞬間を増やしていきたいなと思っているので、皆さんご協力よろしくお願いします◎◎

 

hikari-terrace.themedia.jp

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 最後に私も、このブログやヒカリテラスを通して、誰かのヒカリとなる言葉を発信できたらいいなと思います。

 

いつも読んでくださってありがとうございます。書きたいことを書き連ねた雑記ブログですが、読んでもらい、見守ってもらっていることで私の勇気に繋がっています…♡

 

それでは、おやすみなさい!

ラッキーガールは、「紡ぎにすと」でいたい。

こんばんは!

いろんな嬉しい気持ちで心がいっぱいになってる、ちはるです♡♡♡

 

夏休み真っ只中で、何をしよう〜〜って感じ!すごくワクワクしています。

せっかくなら女子大生っぽいことがしたいし、感性揺さぶられるような経験もしたいし、大好きな作家さんの個展にも行ってみたい。写真も撮りたい!

 

最近は言葉の可能性について、再確認して心が舞い上がってるのでその話とか、ラッキーすぎて幸せだなぁって話とか!したいなぁと思っております。

 

ラッキーって幸せだなぁ。

私はつくづくラッキー、運が良いお陰で生きていけてるなぁと思います。

辛いことも苦しいことも人並みにあるけれど、それでも乗り越えてこれたのは、周りの人が優しくて、ラッキーをくれるからだと思ってます。本当に!

 

この夏も、色んなチャンスをくださった方がいるから、私の夢へとまた1歩近づくことができます。ありがたすぎる涙

 

今までは、ラッキーで運が良かっただけで色んなチャンスを頂いたり、色んなことをさせてもらっていたことに違和感を感じてました。(今も少しある。)

 

実力にそぐわないことをさせてもらってて、申し訳ないな。

私になんて力不足すぎて、本当にごめんなさい…。

みたいな感じで。

 

でもそれって、チャンスを頂いた人ややりたくても出来なかった人に失礼だなって。

最近は、そうやって思うことをやめてみようって思うようになりました。

 

実力にそぐわない、力不足なんて、目に見えてるのだからその分、誰よりも吸収して、出来るようになる。この子にチャンスをあげて良かったって思えるような人になる。

 

そしてチャンスをくれた人にいっぱい恩を返せるような力をつけたい。

 

チャンスをチャンスのままで終わらせていたから、「私は運が良かっただけに過ぎないんだ」って思ってたんだと思うんです。

 

チャンスを何倍にも色んなものに変えて、力にしていくことができたら、今度は実力で色んなことに挑戦できる気がします。

 

ラッキーであること、実力でないこと、運が良かっただけに過ぎないこと、は変わらないけれど、

その環境が幸せであることに感謝して、のびのび〜っと成長していけたらいいなって思います。

 

そして、チャンスは巡り合わせとタイミングだと思ってます。だから、きっかりチャンスを掴み取れるのも才能だと信じることにしました笑

ラッキーガールの力をくれた神さまに感謝。(安直すぎる笑)

 

言葉ってやはり可能性に溢れてる。

チャンスとチャンスが積み重なって、大きなチャンスを手に入れて、届けたい人に届けたい言葉が届く瞬間を今、感じている最近です。

 

私はメディアに関心を持ってて、今もメディア事業をしている会社のインターンをしているのですが。

そのきっかけは、言葉が好きだったこと、本に書かれていたオプラ・ウィンフリーの言葉に、そして新聞記事に載っていたメッセージに救われたことがありました。

 

編集部として、ライターとして、記事を書いていったり、ふと漠然と将来を考えたりした時に、

「言葉で、誰かの力になりたい。言葉で、苦しい思いをしている人の何かになりたい。」

って思ったんです。

 

漠然と言葉の力を信じたい、言葉の可能性を見出してみたい。そんなことを思っていました。

 

言葉はコミュニケーションツールでしかないでしょ、って言われたこともあったけど。

 

それでも、私にとって言葉は大きな力を秘めてるんじゃないかって信じてやまなかったんです。

 

最近、言葉の力ってこれなんじゃないかなって形が見えてきました。

 

言葉の力は、場所や時を超えて繋がる事ができることで活きていくのではないかなって。

それによって、普通なら繋がることも手を差し伸べることもできない人とも、言葉を媒介することで繋がり、手を差し伸べることは出来なくても、隣で共にいることはできる。

 

そして、言葉には人の心を動かすこともできる。誰かのきっかけになったり、原動力になる。

 

そう考えてた時に、場所や年代の壁を超えた誰かと言葉を介して繋がって、伝えたかった言葉が届いた瞬間を見ることができたのです…!(感動)

 

すごく、すごく、嬉しかった。

 

でも、こんな感動する出来事が、このブログを通じてたくさん起こっているのかもしれないって思うとすごくすごく感動。

 

やっぱり、言葉を「紡ぎにすと」でいたいなって思いました。

伝えたい気持ちや考えたことや感情を届けたい、たくさんの人とシェアしたい。

嬉しいことも悲しいことも、楽しいことも苦しいことも、シェアすることで「仲間だよ」「一緒にがんばろう」「こんな日もあるよね」って言葉で繋がって隣にいたい。

 

言葉の力で私にできることっていったら、これぐらいしかないかもしれないけど。

 

もっと成長して、大きくなったら、

社会にいろんな「生きづらさ」を抱えた人同士の共感の輪と、社会へ届ける理解の輪を、言葉によって広げられるようになりたい。

今もヒカリテラスで頑張ってますけど!もっともっと!!

 

言葉の力を信じていきたい。そして言葉の力で、隣に居られる人になりたい。

 

そう思いました!!おやすみなさい!!

 

 

 

 

 

さいきんのわたし。

みなさん、こんにちは!夏休み中のちはるです(((o(* ˙-˙ *)o)))

 

つい先日、大学怒涛のテスト期間が終わりまして、なんとか頭と首が繋がりました。えへ。

N高の時はテストというある意味テストを受けなかったし、受験もAOだったので、まともなテストは中学生ぶり。テスト期間は毎日、震えながら学校に行きました…笑

 

真面目に学校行っててよかったなぁ。それなり真面目に授業聞いててよかったなぁ。と思ったテスト期間でした。

 

さてさて今日は、最近の話とか日常とか、振り返りたいなぁと思って書いてます。

 

あれ、毎日外出てる私偉くない?笑

テストが終わって夏休みになって、ふと思ったんです。

「入学してから、毎日外出てるやん。私。」

周りの人から見れば、それが当たり前なんですけど、私にとってはかなりイレギュラーで我ながら凄い、頑張ったなぁと思いました。

 

かれこれ、水曜日を除く平日は学校に行って、全休である水曜日は朝から会社に行って、土日は活動とか遊びに行ったり、、、。

 

これ昔の私ならありえないことでした。

 

それこそ学校が無いから、平日は仕事したり、活動したりしてたんですけど。

それでも2日連続で外に出れたら良い方で、1日外に出たら、次の日は家で休まないと動けない身体してたんです。(引きこもり体質)

 

毎日、外に出ていたおかげで、人と関わる機会が増えたし、健康的な生活が出来るようになりました〜👏🏼

素晴らしい、私。。。!

 

それに、ほとんどの日に友達と会えたり、憧れのお兄さんお姉さんにすることって、本当に素晴らしいなぁと思いました。

 

だって、今までは約束取り付けないと、会えませんでしたからねっっっ!!!笑

 

そのせいか、夏休み、友達と会えないのが少し寂しいなぁなんて。近々、遊びに行くお誘いでもしようかしら…と思う今日この頃です。

 

夏らしいこととかしたいけど、暑いの得意じゃないので控えめに楽しみたいなぁ(* ´ ˘ ` *)フフフ

 

あっ、今回の夏休みは、ちょっとだけ会社でインターンして、ちょっとだけ言葉のお仕事をして、ちょっとだけ大きなチャレンジをする感じです。

 

いつもこのブログから、暖かい応援をして下さる皆さんにも、ちょっと良いお知らせが出来ると思うので待っててくださいね♡

 

無理をせず、身体と心を大事に過ごしたいなぁと思います!

 

女子力の話。~やっぱり難しかった~

また最近は、ちょっと可愛くなりたいな、女の子したいな期間でして、新しい香水を新調したり、パックを買ってみたり、してます。

あまり意味はなく自分のテンションをあげるためなんですが。

 

新しい香水は、ずーっと気になっていたブランドのミントヴァーベナという香りのもの。

優しくて甘さを感じるシトラスっぽい香りが心地よくてハマり中♡

朝、手首に1回付けると気持ちが晴れ晴れして、頑張るモードになります。おすすめ。

お店の人が「フランスの女の子はこの香水を筆箱の中に入れて、お守りがわりにしているんですよ」と話してくれて、思わず胸きゅん。笑

なんとヴァーベナというハーブは、「思いを寄せる人の気を引く」という言い伝えがあることから「恋を呼ぶハーブ」と言われているそう。

あまり私には関係ないんですけど、それもまたステキだなぁと思いました。♡

 

一番大きいのは、日焼け止めを買ったことですかね!

これまで、外に出る機会が少なかったからか、日焼け止めを塗って外に出るという概念が存在しませんでした。

でも、周りの女の子って女子力の塊なんですね。ちゃんと日焼け止めを塗って、日傘を持ってるんです。

その女子力の高さに感銘を受けた私は、それを見習って、日焼け止めを塗ろう!と決めました…!

 

でも1回だけ塗ってみたんですけど、それきり塗ってなくて()

女子力って難しいなぁと思いました。きっと向いてない笑

 

美容面に関しては女子力は皆無なんですが、やっぱり可愛いものが好きなので、アクセサリーとかコスメとかを見ると心が躍るなぁと感じてます。

 

最近は、イヤリングが気になってます。

髪の毛がボブになったので耳に掛けた時にちらっとイヤリングが揺れたら可愛いなぁとか、風でちらっと見えたら可愛いなぁと思ってて、シンプル可愛いデザインを探し中…♡

 

今年の3月あたりに買った、ガラスがキレイなハンドメイドイヤリングはずっとお気に入りで、気合を入れる時は付けてます!

シンプルなデザインだから服を選ばずに付けられるのと、私が好きなターコイズとオレンジのような色味が本当に気に入りすぎてる…!

この夏は、お気に入りのイヤリングに赤みのあるオレンジリップをラフに塗って、合わせてみたいなぁと思ったりしてます(灬´ ˘ `灬)

 

ピアスもデザインが可愛いなぁと思うのですが、なんせビビりなので穴開けられませんね。笑

最近はイヤリングでも可愛いデザインのものが出ていたり、ノンホールピアスというものも出てたりするらしいです。だから、ピアスの穴は当分あけない予定。

 

でも昔、ジュエリーショップ(?)のお姉さんが「ピアスが好きな人は、日常的にジュエリーを身につけることが出来るおしゃれさんなんですよ〜。」と言っていたことを思い出して、またいいなぁと。笑

 

(たまにはこんな話もいいですよね笑 需要ないけど笑)

 

 

 

 

前回もちょっと趣向を変えて、私の日常の話をしようと思ったけど、全然日常の話ができなかったので……

今回は、いつもの私!いつもの毎日!をイメージして書いてみました(* ´ ˘ ` *)

 

思った以上に、ガールズ感溢れるブログになってしまった。笑

でも書いてて楽しかったですヽ( ¨̮ )ノ

 

それでは、おやすみなさい🌗😌💤💤

 

「生きる」義務なのか、権利なのか。

こんにちは!

最近は、夏なのに寒くて、7月なのに長袖を着ていて、何だか不思議な気分ですね。

今年は「冷夏」になるそうです。張り切って買った夏のワンピースをどうしようか迷ってしまいます…笑

 

さて、夏休みが近くなりました。私にとっては数年ぶりの夏休みだし、少し心が締め付けられるような時期でもあります。

「9月1日」、若者の自殺の問題、毎年のように悩み、何かを発信したいと心が揺さぶられます。

 

今年は、ヒカリテラスでも、個人でも、チャレンジしていきたいなぁと思っているのですが…。

 

最近は「生きる」って義務なのか、それとも権利なのか、なんなんだろうって考えてるんです。

 

今日はそんなお話をここで書いていきたいなと思います。

 

「生命を大切に」ってどうして?

私は小心者の死に損ないなので、こうやって今も生きていているのですが、昔はGoogleとかTwitterとかで「死に方 簡単」「死にたい」「消えたい」って検索をかける時期もありました。匿名のサイトで「死にたいんです。」とかって投稿してみたりね。

 

そういう時って「生命を粗末にするな!」「生命は大切にしなきゃいけない!」とかって言葉がすごい勢いで入ってくるんですよ。

 

当時は、自身を真っ向否定されたような気がして、悲しかったり、苦しかったり、「何くそ!」と思ったりしてたんです。

 

でも今になって考えると、誰も「生命を大切にしなきゃいけない」理由は教えてくれなかったなって思い返しました。

親からもらった大切なものだから、とか。生命はひとつしかないから、とか。この世には生きたくても生きられない人がいるから、とか。答えになってない理由とか、感情論とか、ばっかりじゃないですか。

 

そもそもね、勝手にこの世に産み落とされて、勝手に生命をもらって、勝手に生きているだけ。じゃないですか。

お母さんのお腹の中にいる時の記憶が無いので、なんとも言えないのですが、生命が欲しいと思って、生きることを願って、この世に生まれて来たわけではないと思うんですよね。

 

なんか知らないけど、生まれて、生命が始まって。

気づいたら、「生きる」ことが素晴らしくて、「死ぬ」ことが良くないことみたいな価値観が蔓延していて。

気づいたら「生きる」ことが義務みたいになっていて。「死にたい」と思ったら、「生きる」義務を放棄するのか〜!?みたいな感じで社会から怒られて。

 

そんな社会で生きているけど、その社会の人たちは誰も「生命を大切にしなきゃいけない理由」は教えてくれないし、もしかしたら「生命を大切にしなきゃいけない理由」を知らないのかもしれない。

 

私たちはもしかしたら、「生命を持って生きる義務」を背負ってるわけじゃなくて、「生命を持って生きる権利」があるだけかもしれない。

 

と最近は思っていたりするわけです。

 

どうして「生きる」のか。

ちょうど1年前、虐待によって自殺した人について語ったことがあって。「その人は自殺を選んだことで、これ以上惨めな人生になることを食い止めたんだ。」って話をしたことを覚えてます。

 

その話を聞いてからというもの、「闇雲に死ぬのは良くない」ってメッセージを投げかけ続けるのはどうなんだろう、私たちが「生きる」ことは本当に義務化されているのだろうか、勝手に義務感に駆られているだけではないのか、って思うようになりました。

 

どうして生きなくてはいけないのか、って考えた時に、ちゃんと筋が通った理由が思い浮かばないんですよね。本当に個人的な話とか、感情論でしか、語れないんです。

 

きっと、義務的な意味で「生きなきゃいけない理由」や「生きる意味」は存在していなくて、あくまで自身で「生きる意味」を見出すものなんだろうなって。

そう思った時に、「生きる義務」は無くて、「生きる権利」を保有しているんだろうなって。

 

だったら、自殺について「自分で死ぬなんて何考えてるんだ」とか、「死ぬことなんて良くない」とかって言うのはお門違いじゃないのかなって。

 

それに「死ぬことは良くない」わけではないし。だって、今もたくさんの命が果てているわけで、私たちにもいずれ死はやってくるのでね。

 

自殺は悪いことではないのかもしれない。もしかしたらね。自分の人生をこれ以上惨めにしない為にも、自分自身の尊厳を守る為にも。

 

そんなことを思う中でも、自殺という選択は最後の最後にしてほしいって願いを込めて、今も自殺防止とか、若者の自殺問題について考えてたりします。

 

私自身が自殺できなくてよかったって思えてるし、自殺をしなかったからこそ、今、少しずつ幸せに生きることができているんだと思うので。

 

自分勝手だけど、私の価値観の押し売りだけど、自殺という選択肢もあるけど、できる限りなら一緒に生きて欲しいというか。せっかく、言葉を通じてとか、いろんな形で出逢えたのだから。

 

そんなことを考えた、1週間でした。

 

おやすみなさい!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心が壊れていないことに乾杯しよう。

こんにちは!夏が近づいてまいりましたが、いかがお過ごしでしょうか?

 

私は夏になると調子が悪くなりがちなので、ゆっくり心と会話しながら、一歩ずつ小さな幸せが重なっていくように計算しながら生きています。

本をいっぱい読んで、物思いに耽てみたり、言葉を紡いでみたり、美味しいものをたべたり、、、生きている感触と幸せだと感じる瞬間が重なるのがわかるので、こういう生き方もステキだなと思ったりしている今日この頃。

あと最近は、私が思っている以上に言葉や、日本語、文学が大好きで、考えていることが夢心地過ぎているので、政治学科向いてないんじゃねって思い始めています()

きっと哲学とか宗教とか向いてる!笑 これと言って宗教は信仰していないけど、神様とかは信じてるので!笑

 

そんなことはさておき、今日は心が壊れていないことはステキだなぁって話をしますね。

 

心が壊れていないこと。きっと当たり前じゃないよね。

最近は、昔ハマっていた曲にまたハマるのが好きで、洋楽を聞きます。歌詞がステキなのでYoutubeを載せますね。今日のBGM代わりにでもしてください。笑

 


Halestorm - Here's To Us [Official Video]

この曲にはまっていたのは、ちょうど心が壊れかかっていた時期。

Stuck it out this far together
Put our dreams through the shredder
Let’s toast cause things got better
and everything could change like that
And all these years go by so fast
But nothing lasts forever

ここまで一緒に頑張ってきたけど、夢はシュレッダーにかけて捨ててしまった。(なくなっちゃった。)

でも乾杯しよう。きっと良い風に変わっていくんだって。こんな風に全て変わっていくんだって。永遠に終わらないなんてことはないから。

という歌詞が好きで、サビで「私たちに、壊れていない心に乾杯」って歌うのが好きで。こうやって今思うと、言葉に救われて生きてきたんだなぁと感じました。

 

まぁ、そんな感じで。

 

皆さんは「心が壊れる」って経験をしたことはありますか?

人生経験が豊かな皆さんは一度や二度あるかもしれません。私も、万年ガラス細工のハートで生きているのであります。

 

何を持って、どういう定義で「心が壊れる」と言うのかは個人によって違うと思うのですが、私にとっては、大きな精神的アクシデントで思考ができなかったり、感情が湧き出てこないことを指しています。

挫折をしたり、生きている意味がわからなくなったり、人間性をどこかの誰かから踏みにじられたり、失恋したり…、きっと色んな事があるし、どんな心も全てが強くないから壊れることだってあるんだろうなって。

 

結構ね、生きるのしんどいなぁって思うんですよね。

誰かが放った心無い言葉を聞いてしまうと、誰かの蔑んだような冷たい視線を見てしまうと。

人ごみとか大学の空気に流れてくる感情とか、思っていることを感じたり、色んな場所で今の社会を横目で眺めていると。

どうやって、もらってしまった命をこの社会で消耗していったらいいのかわからなくなっちゃって。社会を斜に構えてみたくなっちゃいます。

「私たちは何をもって生きてるのか。」 - C - g.o.a.t

 

でもこれは、私が生きているから心がこうやって動いてるのだろうし、生きていく中での杞憂みたいなものなのかもしれないし、心が壊れていないって一番の証なんだろうって。

最近はそう思うようにしています。

 

心が色んな感情を持って揺らいでいることが、それが当たり前だと思わずに幸せだと思えることが、きっと生きてる証拠になるんだと信じていたいので。

 

当たり前でないことが、当たり前であることが幸せだと思いたくて。

心が壊れていないことは、当たり前のように思う人もいっぱいいると思います。

でもきっと、心が壊れるという経験をした人は、心が壊れていないことは当たり前ではない。だから心が壊れていない、至って当たり前で普通の日々を幸せに感じられるのではないかなって思うのですね。

 

頭の中で思考を巡らせること、誰かを想うこと、何かを見て感じること、何かを食べて味を感じること、感情が沸き立つこと、これらは当たり前のようにみえて、当たり前ではないこと。でも当たり前にできる今のこの瞬間は、きっと幸せなんだって私は思いたい。

 

私が思うことや感じていることを、そのまま心に取り留めておけることも、ブログや色んな媒体で発信し、色んな方と共有できることも、誰かから支配されずに自由な思考ができることも、

そんな当たり前にしているようなことも、明日明後日には誰かが権力を濫用したり、国が支配したりして、当たり前ではなくなってしまうかもしれない。

そんな大きなことは起きなくても、心が壊れて死にたいと思うかもしれないし、このブログを消してしまうかもしれない。

 

そう考えたら、今ここでパソコンの前で色んな思いと感情を持って、大好きな言葉で紡いでいることは幸せなんだって思うんですね。

 

心が壊れていない今日が何よりもステキで、言葉を紡いでいる今がとてもまばゆくて、当たり前でないことが当たり前にできている今が幸せで、生きているんだってね。

 

苦しいことも、悲しいことも、嫌なことも、心にはいっぱい感情として生まれるけど、生きている証なんだって。それすらも大事にしていきたくて。

きっと「生きている」という事象は、絶望でもあって希望でもあって、今ここにいる証の一瞬一瞬で、それを重ねていくことは奇跡なんだって。

 

当たり前でないかもしれないことが、当たり前にできる今が幸せで、心が壊れていない今が幸せで、そんな幸せにありがとうって。

 

今日はジンジャーエールで乾杯。ふふふ。

 

それでは、おやすみなさい。