ちーちゃんのブログ。

ポンコツ系エニートが言葉を綴る何でも日記。

ラッキーガールは、「紡ぎにすと」でいたい。

こんばんは!

いろんな嬉しい気持ちで心がいっぱいになってる、ちはるです♡♡♡

 

夏休み真っ只中で、何をしよう〜〜って感じ!すごくワクワクしています。

せっかくなら女子大生っぽいことがしたいし、感性揺さぶられるような経験もしたいし、大好きな作家さんの個展にも行ってみたい。写真も撮りたい!

 

最近は言葉の可能性について、再確認して心が舞い上がってるのでその話とか、ラッキーすぎて幸せだなぁって話とか!したいなぁと思っております。

 

ラッキーって幸せだなぁ。

私はつくづくラッキー、運が良いお陰で生きていけてるなぁと思います。

辛いことも苦しいことも人並みにあるけれど、それでも乗り越えてこれたのは、周りの人が優しくて、ラッキーをくれるからだと思ってます。本当に!

 

この夏も、色んなチャンスをくださった方がいるから、私の夢へとまた1歩近づくことができます。ありがたすぎる涙

 

今までは、ラッキーで運が良かっただけで色んなチャンスを頂いたり、色んなことをさせてもらっていたことに違和感を感じてました。(今も少しある。)

 

実力にそぐわないことをさせてもらってて、申し訳ないな。

私になんて力不足すぎて、本当にごめんなさい…。

みたいな感じで。

 

でもそれって、チャンスを頂いた人ややりたくても出来なかった人に失礼だなって。

最近は、そうやって思うことをやめてみようって思うようになりました。

 

実力にそぐわない、力不足なんて、目に見えてるのだからその分、誰よりも吸収して、出来るようになる。この子にチャンスをあげて良かったって思えるような人になる。

 

そしてチャンスをくれた人にいっぱい恩を返せるような力をつけたい。

 

チャンスをチャンスのままで終わらせていたから、「私は運が良かっただけに過ぎないんだ」って思ってたんだと思うんです。

 

チャンスを何倍にも色んなものに変えて、力にしていくことができたら、今度は実力で色んなことに挑戦できる気がします。

 

ラッキーであること、実力でないこと、運が良かっただけに過ぎないこと、は変わらないけれど、

その環境が幸せであることに感謝して、のびのび〜っと成長していけたらいいなって思います。

 

そして、チャンスは巡り合わせとタイミングだと思ってます。だから、きっかりチャンスを掴み取れるのも才能だと信じることにしました笑

ラッキーガールの力をくれた神さまに感謝。(安直すぎる笑)

 

言葉ってやはり可能性に溢れてる。

チャンスとチャンスが積み重なって、大きなチャンスを手に入れて、届けたい人に届けたい言葉が届く瞬間を今、感じている最近です。

 

私はメディアに関心を持ってて、今もメディア事業をしている会社のインターンをしているのですが。

そのきっかけは、言葉が好きだったこと、本に書かれていたオプラ・ウィンフリーの言葉に、そして新聞記事に載っていたメッセージに救われたことがありました。

 

編集部として、ライターとして、記事を書いていったり、ふと漠然と将来を考えたりした時に、

「言葉で、誰かの力になりたい。言葉で、苦しい思いをしている人の何かになりたい。」

って思ったんです。

 

漠然と言葉の力を信じたい、言葉の可能性を見出してみたい。そんなことを思っていました。

 

言葉はコミュニケーションツールでしかないでしょ、って言われたこともあったけど。

 

それでも、私にとって言葉は大きな力を秘めてるんじゃないかって信じてやまなかったんです。

 

最近、言葉の力ってこれなんじゃないかなって形が見えてきました。

 

言葉の力は、場所や時を超えて繋がる事ができることで活きていくのではないかなって。

それによって、普通なら繋がることも手を差し伸べることもできない人とも、言葉を媒介することで繋がり、手を差し伸べることは出来なくても、隣で共にいることはできる。

 

そして、言葉には人の心を動かすこともできる。誰かのきっかけになったり、原動力になる。

 

そう考えてた時に、場所や年代の壁を超えた誰かと言葉を介して繋がって、伝えたかった言葉が届いた瞬間を見ることができたのです…!(感動)

 

すごく、すごく、嬉しかった。

 

でも、こんな感動する出来事が、このブログを通じてたくさん起こっているのかもしれないって思うとすごくすごく感動。

 

やっぱり、言葉を「紡ぎにすと」でいたいなって思いました。

伝えたい気持ちや考えたことや感情を届けたい、たくさんの人とシェアしたい。

嬉しいことも悲しいことも、楽しいことも苦しいことも、シェアすることで「仲間だよ」「一緒にがんばろう」「こんな日もあるよね」って言葉で繋がって隣にいたい。

 

言葉の力で私にできることっていったら、これぐらいしかないかもしれないけど。

 

もっと成長して、大きくなったら、

社会にいろんな「生きづらさ」を抱えた人同士の共感の輪と、社会へ届ける理解の輪を、言葉によって広げられるようになりたい。

今もヒカリテラスで頑張ってますけど!もっともっと!!

 

言葉の力を信じていきたい。そして言葉の力で、隣に居られる人になりたい。

 

そう思いました!!おやすみなさい!!

 

 

 

 

 

さいきんのわたし。

みなさん、こんにちは!夏休み中のちはるです(((o(* ˙-˙ *)o)))

 

つい先日、大学怒涛のテスト期間が終わりまして、なんとか頭と首が繋がりました。えへ。

N高の時はテストというある意味テストを受けなかったし、受験もAOだったので、まともなテストは中学生ぶり。テスト期間は毎日、震えながら学校に行きました…笑

 

真面目に学校行っててよかったなぁ。それなり真面目に授業聞いててよかったなぁ。と思ったテスト期間でした。

 

さてさて今日は、最近の話とか日常とか、振り返りたいなぁと思って書いてます。

 

あれ、毎日外出てる私偉くない?笑

テストが終わって夏休みになって、ふと思ったんです。

「入学してから、毎日外出てるやん。私。」

周りの人から見れば、それが当たり前なんですけど、私にとってはかなりイレギュラーで我ながら凄い、頑張ったなぁと思いました。

 

かれこれ、水曜日を除く平日は学校に行って、全休である水曜日は朝から会社に行って、土日は活動とか遊びに行ったり、、、。

 

これ昔の私ならありえないことでした。

 

それこそ学校が無いから、平日は仕事したり、活動したりしてたんですけど。

それでも2日連続で外に出れたら良い方で、1日外に出たら、次の日は家で休まないと動けない身体してたんです。(引きこもり体質)

 

毎日、外に出ていたおかげで、人と関わる機会が増えたし、健康的な生活が出来るようになりました〜👏🏼

素晴らしい、私。。。!

 

それに、ほとんどの日に友達と会えたり、憧れのお兄さんお姉さんにすることって、本当に素晴らしいなぁと思いました。

 

だって、今までは約束取り付けないと、会えませんでしたからねっっっ!!!笑

 

そのせいか、夏休み、友達と会えないのが少し寂しいなぁなんて。近々、遊びに行くお誘いでもしようかしら…と思う今日この頃です。

 

夏らしいこととかしたいけど、暑いの得意じゃないので控えめに楽しみたいなぁ(* ´ ˘ ` *)フフフ

 

あっ、今回の夏休みは、ちょっとだけ会社でインターンして、ちょっとだけ言葉のお仕事をして、ちょっとだけ大きなチャレンジをする感じです。

 

いつもこのブログから、暖かい応援をして下さる皆さんにも、ちょっと良いお知らせが出来ると思うので待っててくださいね♡

 

無理をせず、身体と心を大事に過ごしたいなぁと思います!

 

女子力の話。~やっぱり難しかった~

また最近は、ちょっと可愛くなりたいな、女の子したいな期間でして、新しい香水を新調したり、パックを買ってみたり、してます。

あまり意味はなく自分のテンションをあげるためなんですが。

 

新しい香水は、ずーっと気になっていたブランドのミントヴァーベナという香りのもの。

優しくて甘さを感じるシトラスっぽい香りが心地よくてハマり中♡

朝、手首に1回付けると気持ちが晴れ晴れして、頑張るモードになります。おすすめ。

お店の人が「フランスの女の子はこの香水を筆箱の中に入れて、お守りがわりにしているんですよ」と話してくれて、思わず胸きゅん。笑

なんとヴァーベナというハーブは、「思いを寄せる人の気を引く」という言い伝えがあることから「恋を呼ぶハーブ」と言われているそう。

あまり私には関係ないんですけど、それもまたステキだなぁと思いました。♡

 

一番大きいのは、日焼け止めを買ったことですかね!

これまで、外に出る機会が少なかったからか、日焼け止めを塗って外に出るという概念が存在しませんでした。

でも、周りの女の子って女子力の塊なんですね。ちゃんと日焼け止めを塗って、日傘を持ってるんです。

その女子力の高さに感銘を受けた私は、それを見習って、日焼け止めを塗ろう!と決めました…!

 

でも1回だけ塗ってみたんですけど、それきり塗ってなくて()

女子力って難しいなぁと思いました。きっと向いてない笑

 

美容面に関しては女子力は皆無なんですが、やっぱり可愛いものが好きなので、アクセサリーとかコスメとかを見ると心が躍るなぁと感じてます。

 

最近は、イヤリングが気になってます。

髪の毛がボブになったので耳に掛けた時にちらっとイヤリングが揺れたら可愛いなぁとか、風でちらっと見えたら可愛いなぁと思ってて、シンプル可愛いデザインを探し中…♡

 

今年の3月あたりに買った、ガラスがキレイなハンドメイドイヤリングはずっとお気に入りで、気合を入れる時は付けてます!

シンプルなデザインだから服を選ばずに付けられるのと、私が好きなターコイズとオレンジのような色味が本当に気に入りすぎてる…!

この夏は、お気に入りのイヤリングに赤みのあるオレンジリップをラフに塗って、合わせてみたいなぁと思ったりしてます(灬´ ˘ `灬)

 

ピアスもデザインが可愛いなぁと思うのですが、なんせビビりなので穴開けられませんね。笑

最近はイヤリングでも可愛いデザインのものが出ていたり、ノンホールピアスというものも出てたりするらしいです。だから、ピアスの穴は当分あけない予定。

 

でも昔、ジュエリーショップ(?)のお姉さんが「ピアスが好きな人は、日常的にジュエリーを身につけることが出来るおしゃれさんなんですよ〜。」と言っていたことを思い出して、またいいなぁと。笑

 

(たまにはこんな話もいいですよね笑 需要ないけど笑)

 

 

 

 

前回もちょっと趣向を変えて、私の日常の話をしようと思ったけど、全然日常の話ができなかったので……

今回は、いつもの私!いつもの毎日!をイメージして書いてみました(* ´ ˘ ` *)

 

思った以上に、ガールズ感溢れるブログになってしまった。笑

でも書いてて楽しかったですヽ( ¨̮ )ノ

 

それでは、おやすみなさい🌗😌💤💤

 

「生きる」義務なのか、権利なのか。

こんにちは!

最近は、夏なのに寒くて、7月なのに長袖を着ていて、何だか不思議な気分ですね。

今年は「冷夏」になるそうです。張り切って買った夏のワンピースをどうしようか迷ってしまいます…笑

 

さて、夏休みが近くなりました。私にとっては数年ぶりの夏休みだし、少し心が締め付けられるような時期でもあります。

「9月1日」、若者の自殺の問題、毎年のように悩み、何かを発信したいと心が揺さぶられます。

 

今年は、ヒカリテラスでも、個人でも、チャレンジしていきたいなぁと思っているのですが…。

 

最近は「生きる」って義務なのか、それとも権利なのか、なんなんだろうって考えてるんです。

 

今日はそんなお話をここで書いていきたいなと思います。

 

「生命を大切に」ってどうして?

私は小心者の死に損ないなので、こうやって今も生きていているのですが、昔はGoogleとかTwitterとかで「死に方 簡単」「死にたい」「消えたい」って検索をかける時期もありました。匿名のサイトで「死にたいんです。」とかって投稿してみたりね。

 

そういう時って「生命を粗末にするな!」「生命は大切にしなきゃいけない!」とかって言葉がすごい勢いで入ってくるんですよ。

 

当時は、自身を真っ向否定されたような気がして、悲しかったり、苦しかったり、「何くそ!」と思ったりしてたんです。

 

でも今になって考えると、誰も「生命を大切にしなきゃいけない」理由は教えてくれなかったなって思い返しました。

親からもらった大切なものだから、とか。生命はひとつしかないから、とか。この世には生きたくても生きられない人がいるから、とか。答えになってない理由とか、感情論とか、ばっかりじゃないですか。

 

そもそもね、勝手にこの世に産み落とされて、勝手に生命をもらって、勝手に生きているだけ。じゃないですか。

お母さんのお腹の中にいる時の記憶が無いので、なんとも言えないのですが、生命が欲しいと思って、生きることを願って、この世に生まれて来たわけではないと思うんですよね。

 

なんか知らないけど、生まれて、生命が始まって。

気づいたら、「生きる」ことが素晴らしくて、「死ぬ」ことが良くないことみたいな価値観が蔓延していて。

気づいたら「生きる」ことが義務みたいになっていて。「死にたい」と思ったら、「生きる」義務を放棄するのか〜!?みたいな感じで社会から怒られて。

 

そんな社会で生きているけど、その社会の人たちは誰も「生命を大切にしなきゃいけない理由」は教えてくれないし、もしかしたら「生命を大切にしなきゃいけない理由」を知らないのかもしれない。

 

私たちはもしかしたら、「生命を持って生きる義務」を背負ってるわけじゃなくて、「生命を持って生きる権利」があるだけかもしれない。

 

と最近は思っていたりするわけです。

 

どうして「生きる」のか。

ちょうど1年前、虐待によって自殺した人について語ったことがあって。「その人は自殺を選んだことで、これ以上惨めな人生になることを食い止めたんだ。」って話をしたことを覚えてます。

 

その話を聞いてからというもの、「闇雲に死ぬのは良くない」ってメッセージを投げかけ続けるのはどうなんだろう、私たちが「生きる」ことは本当に義務化されているのだろうか、勝手に義務感に駆られているだけではないのか、って思うようになりました。

 

どうして生きなくてはいけないのか、って考えた時に、ちゃんと筋が通った理由が思い浮かばないんですよね。本当に個人的な話とか、感情論でしか、語れないんです。

 

きっと、義務的な意味で「生きなきゃいけない理由」や「生きる意味」は存在していなくて、あくまで自身で「生きる意味」を見出すものなんだろうなって。

そう思った時に、「生きる義務」は無くて、「生きる権利」を保有しているんだろうなって。

 

だったら、自殺について「自分で死ぬなんて何考えてるんだ」とか、「死ぬことなんて良くない」とかって言うのはお門違いじゃないのかなって。

 

それに「死ぬことは良くない」わけではないし。だって、今もたくさんの命が果てているわけで、私たちにもいずれ死はやってくるのでね。

 

自殺は悪いことではないのかもしれない。もしかしたらね。自分の人生をこれ以上惨めにしない為にも、自分自身の尊厳を守る為にも。

 

そんなことを思う中でも、自殺という選択は最後の最後にしてほしいって願いを込めて、今も自殺防止とか、若者の自殺問題について考えてたりします。

 

私自身が自殺できなくてよかったって思えてるし、自殺をしなかったからこそ、今、少しずつ幸せに生きることができているんだと思うので。

 

自分勝手だけど、私の価値観の押し売りだけど、自殺という選択肢もあるけど、できる限りなら一緒に生きて欲しいというか。せっかく、言葉を通じてとか、いろんな形で出逢えたのだから。

 

そんなことを考えた、1週間でした。

 

おやすみなさい!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心が壊れていないことに乾杯しよう。

こんにちは!夏が近づいてまいりましたが、いかがお過ごしでしょうか?

 

私は夏になると調子が悪くなりがちなので、ゆっくり心と会話しながら、一歩ずつ小さな幸せが重なっていくように計算しながら生きています。

本をいっぱい読んで、物思いに耽てみたり、言葉を紡いでみたり、美味しいものをたべたり、、、生きている感触と幸せだと感じる瞬間が重なるのがわかるので、こういう生き方もステキだなと思ったりしている今日この頃。

あと最近は、私が思っている以上に言葉や、日本語、文学が大好きで、考えていることが夢心地過ぎているので、政治学科向いてないんじゃねって思い始めています()

きっと哲学とか宗教とか向いてる!笑 これと言って宗教は信仰していないけど、神様とかは信じてるので!笑

 

そんなことはさておき、今日は心が壊れていないことはステキだなぁって話をしますね。

 

心が壊れていないこと。きっと当たり前じゃないよね。

最近は、昔ハマっていた曲にまたハマるのが好きで、洋楽を聞きます。歌詞がステキなのでYoutubeを載せますね。今日のBGM代わりにでもしてください。笑

 


Halestorm - Here's To Us [Official Video]

この曲にはまっていたのは、ちょうど心が壊れかかっていた時期。

Stuck it out this far together
Put our dreams through the shredder
Let’s toast cause things got better
and everything could change like that
And all these years go by so fast
But nothing lasts forever

ここまで一緒に頑張ってきたけど、夢はシュレッダーにかけて捨ててしまった。(なくなっちゃった。)

でも乾杯しよう。きっと良い風に変わっていくんだって。こんな風に全て変わっていくんだって。永遠に終わらないなんてことはないから。

という歌詞が好きで、サビで「私たちに、壊れていない心に乾杯」って歌うのが好きで。こうやって今思うと、言葉に救われて生きてきたんだなぁと感じました。

 

まぁ、そんな感じで。

 

皆さんは「心が壊れる」って経験をしたことはありますか?

人生経験が豊かな皆さんは一度や二度あるかもしれません。私も、万年ガラス細工のハートで生きているのであります。

 

何を持って、どういう定義で「心が壊れる」と言うのかは個人によって違うと思うのですが、私にとっては、大きな精神的アクシデントで思考ができなかったり、感情が湧き出てこないことを指しています。

挫折をしたり、生きている意味がわからなくなったり、人間性をどこかの誰かから踏みにじられたり、失恋したり…、きっと色んな事があるし、どんな心も全てが強くないから壊れることだってあるんだろうなって。

 

結構ね、生きるのしんどいなぁって思うんですよね。

誰かが放った心無い言葉を聞いてしまうと、誰かの蔑んだような冷たい視線を見てしまうと。

人ごみとか大学の空気に流れてくる感情とか、思っていることを感じたり、色んな場所で今の社会を横目で眺めていると。

どうやって、もらってしまった命をこの社会で消耗していったらいいのかわからなくなっちゃって。社会を斜に構えてみたくなっちゃいます。

「私たちは何をもって生きてるのか。」 - C - g.o.a.t

 

でもこれは、私が生きているから心がこうやって動いてるのだろうし、生きていく中での杞憂みたいなものなのかもしれないし、心が壊れていないって一番の証なんだろうって。

最近はそう思うようにしています。

 

心が色んな感情を持って揺らいでいることが、それが当たり前だと思わずに幸せだと思えることが、きっと生きてる証拠になるんだと信じていたいので。

 

当たり前でないことが、当たり前であることが幸せだと思いたくて。

心が壊れていないことは、当たり前のように思う人もいっぱいいると思います。

でもきっと、心が壊れるという経験をした人は、心が壊れていないことは当たり前ではない。だから心が壊れていない、至って当たり前で普通の日々を幸せに感じられるのではないかなって思うのですね。

 

頭の中で思考を巡らせること、誰かを想うこと、何かを見て感じること、何かを食べて味を感じること、感情が沸き立つこと、これらは当たり前のようにみえて、当たり前ではないこと。でも当たり前にできる今のこの瞬間は、きっと幸せなんだって私は思いたい。

 

私が思うことや感じていることを、そのまま心に取り留めておけることも、ブログや色んな媒体で発信し、色んな方と共有できることも、誰かから支配されずに自由な思考ができることも、

そんな当たり前にしているようなことも、明日明後日には誰かが権力を濫用したり、国が支配したりして、当たり前ではなくなってしまうかもしれない。

そんな大きなことは起きなくても、心が壊れて死にたいと思うかもしれないし、このブログを消してしまうかもしれない。

 

そう考えたら、今ここでパソコンの前で色んな思いと感情を持って、大好きな言葉で紡いでいることは幸せなんだって思うんですね。

 

心が壊れていない今日が何よりもステキで、言葉を紡いでいる今がとてもまばゆくて、当たり前でないことが当たり前にできている今が幸せで、生きているんだってね。

 

苦しいことも、悲しいことも、嫌なことも、心にはいっぱい感情として生まれるけど、生きている証なんだって。それすらも大事にしていきたくて。

きっと「生きている」という事象は、絶望でもあって希望でもあって、今ここにいる証の一瞬一瞬で、それを重ねていくことは奇跡なんだって。

 

当たり前でないかもしれないことが、当たり前にできる今が幸せで、心が壊れていない今が幸せで、そんな幸せにありがとうって。

 

今日はジンジャーエールで乾杯。ふふふ。

 

それでは、おやすみなさい。

 

 

上手に生きようと思ったり。

おはようございます!電車の中でポチポチ書いてます(ふふふ)

 

最近は、太宰治並の感情ジェットコースター気質が爆発してまして、毎日いろんな感情を行ったり来たりしてます。

この時期は気圧のせいか、感情の壁が薄くて大変です。笑

 

昨日は全然悲しくないけど、涙がポロポロしちゃってデトックスみたいな感じがしました()

 

まぁ、言っても理解されないんですけど。笑

 

今日はそんなこんなで「上手に生きたいなぁ」と思った話をば。

 

ひしひし感じる「生きづらさ」

私、傍から見たら、割と上手に生きてるというか、割と人生上手くいってるように見えてるんだろうなって思うのですが、そんな人から見たら何が?って思うかもなんですが、

 

最近、ひしひしと社会で生きてる中で「生きづらさ」を感じます。

 

ポツポツと体調が悪くなったり、他の人の感情を感じ取りやすくなったり、感受性が暴走し始めたり、

特にこれといって原因は見当たらないけど、心苦しい日々を送ってます。

 

何が「生きづらさ」を感じさせているんだろうって、欲張りなのかなって思っちゃったりして、色々と考えてしまう今日この頃です。

 

新しいコミュニティに属したというのもあるかもしれないなぁ。

人付き合いが増えたというのも可能性にあるし、単純に心が疲れているのかもしれない……。

 

元々、人付き合いが少なかったり、居心地良すぎるコミュニティに属していたので、ギャップが凄いのかもしれませんね。

 

色々考えてたんですけど、結局のところ、私は単純に生きるのが不器用すぎるという結論に至りました。

 

上手な生き方が何かは分からないけど、少なくともお世辞にも上手な生き方とは言えないので。きっとそうなんだと思うんですね。

 

自分が誘発した感情じゃなく、他人から触発された感情に一喜一憂してしまったり

本の主人公の感情に持ってかれて、憂鬱な感情で過ごしてしまったり

感情の切り替えがとてつもなくスローリーだったり

生きるのに無駄が多すぎるんだと思います。

 

こういうもの変なのがある、しかも生きていくのに邪魔になる、私自身も発見して理解するのにとてつもなく時間がかかったし、だからこそ、社会に受け入れられないのではって、理解されないのではって、怯えてるなぁって感じてます。

 

生きづらさは、社会に対する不安や怯え、恐怖心からはじまる。特に理解と共感が乏しいコミュニティになるほど。

 

そんな風に生きづらさについて考えてた時期もあったなぁとふと思い返したりしました。

 

上手に生きたいって思ってる。

辛いことに慣れる、苦しいことに慣れるって一番危険だと思ってます。

かく言う私も理解されないことに慣れてしまってる節はあって、信憑性の欠片もないんですけど。

 

深刻化したいじめとかと似たようなイメージで、いじめられることに慣れてしまうと、自分が悪いと卑下するようになったり、信じられないことや信用出来ないことが当たり前になるので、信じることが出来なくなったり。頼れなくなってしまうのと同じように危ない…気がする。

 

そう考えたら、私が生きている中で「生きづらさ」を感じていられるのは、正常に心が動いている証だからまだいいのかななんて思ったり。

 

楽観的に考えたらそうなんですけど、いつまでも「生きづらさ」を抱えたまま、生きて死んでくなんて真っ平御免だし、なんか早死しそう…()

 

なんとか「生きづらさ」を軽減しようと努力はしてみてはいて、

 

理解してもらえるようにまずは自己開示してみたり、

自分自身の「生きづらさ」が何なのか調べてみたり、

感情を自分のものと他人のものと区別が着くように香水を付けたり、イヤホンを付けたり、

 

やっぱり、周りと比べて、格段に生きるのが不器用だから、その分、工夫をして頑張らないとって思うわけです。

 

どうしたら、「生きづらさ」の苦しみから脱却出来るんだろうって日夜考えて、挑戦して、失敗しての繰り返しで。

 

最近は、とても空回りしている気分です。

 

この前、すごく困らせてしまって、心が痛くなりました。

あぁぁ、ごめんなさい。。。ってすごく思った。言わなきゃよかった、我慢すればよかった、ってすごく思った。

 

私のことなんか、押し殺しちゃえばよかったって、また仮面被っちゃえばよかったって、何度も何度も何度も思った。

 

どうして周りの人は、他人と柔軟に形を変えて、溶け込むように生きていけるのに、上手に生きているのに、

私はこんなに生きるのが下手くそなんだろうって。

 

すごく生きていることに自信が無くなりました。それでも、悔しいから生きるわけなんですが。

 

なんでこんなに上手に生きられないの!!!って自分に呆れて、泣きながら帰りました()

 

悔しくて、悲しくて、もういっそ虚しくて。

 

もっと私の心にフィットする生き方と、社会との向き合い方を研究しようと思いました。

 

不器用すぎる生き方だけど、いつかは上手に生きられるようになりたい。

 

今日は昨日より、明日は今日より、もっと上手に、もっと幸せに、生きたい。

 

毎日、「明日は上手に生きられますように。笑って生きられますように。」って願いながら、生き方を研究して生きています。

 

まだまだ長い道のりだけど、ちょっとずつ生きていくのが上手になればいいなぁ。

 

 

 

ステキな思い出は宝箱へ。

こんにちは!大学生活にも随分と慣れて、少し中だるみしている気がする今日この頃です。笑

 

穏やかで平和なお友達が周りにいるので、何だかいつも夢心地ですね。幸せだなぁ(ほくほく)。

 

今日はさくっと書きたいことを書きたくて、スマホから…。

 

そう今日は、地味に私の思い出が詰まった新宿タウンへちょっと遊びにいっていたのです。(授業終わりにね。)

私が密かに大天使さまと呼んでいるお友達を引っ掻き回して、

N高でお世話になった代ゼミタワーや代々木キャンパス、青春基地や夢キャンで走り回った思い出の高島屋タイムズスクエア近辺をブラブラしてきたわけです。

 

高校3年間いろんなことがあったなぁ、今でも鮮明に思い返せるのに思い出なのかぁ、と思うと何だか寂しい気持ちっていうか感慨深いですね。

 

毎日のように新宿に逃げ込むかのように通って、お金もないからずーっと歩き回って、マックに入ったり、デパートに入ってみたり、公園にも行ったりしたなぁ。

 

そんな何気ない光景とか街並みが、私にとってはステキな思い出だったんですね。

 

私は、高校以前のことがあまり上手に思い出せません。日記を辿ってみたり、トラウマのように思い浮かぶことを辿ってみたりでしか、思い出せなくてプツプツとしているんです。

たまにぶわっと思い返す時があって、その時はその思い返したものをブログなり記事なり日記なりにしたためて、できるだけ私が生きた証を残すようにしたりしています。

 

だから、高校3年間からの思い出が色濃く鮮明に思い出されるんだろうなって思うのですね。それに、この3年間の思い出は私にとって、人生で一番幸せで、甘美で、時にスパイシーなものだったのだと思うのです。

 

それで、今日、思い出の場所に足を運んでみて、

そんな大切な思い出たちを、いろんな形にして、何かしらの宝箱に大事に残せていたことに、気づいて感動しました。

 

ちゃんと生きている証が、いろんな場所に、いろんな形で散らばっていることが、とても嬉しかった。

 

なんで生きているんだろう、

なんで私がここに立っているんだろう、

なんて深すぎる問題なんか吹き飛ばしたくなるほど、上手には言葉にできないけど暖かい何かが心に染みていく気がしました。

 

ここに立っていた私は幸せだったし、今ここに立っている私も幸せ。

 

こうやって思い出は、振り返って、思い出す度に、深みが増して、きらめいて、よりステキな思い出になっていくんだって思いました。

 

ステキな思い出は宝箱にしまって、それで終わりにしない。

また、ふとした時に取り出して、生きてきた証を再確認してあげる。

 

そうやって思い出が増えて、積み重なって、私たち一人ひとりが生命を持って生きてきた証になるんだろうと思いました。

 

今日は何気ない小さなことに感動できるステキな一日だったなぁ。

何かある訳では無いけど、こんな何も無い一日がとても素晴らしく恋しく思えました。

 

こーゆー時に、本の一番後ろに書くようなスペシャルサンクスみたいなものが書けたらいいのにな。笑

 

今日書くとしたら、

私が高校生の時に出逢ってくれたステキな方々

親愛なる大学のお友達、大天使さま

ですかね❤

 

ステキな一日をありがとう。

 

それでは〜!!

 

 

好きな見た目で、好きな私で生きていく。

こんにちは!電車に揺られて家に帰還している最中のちはるです。

 

やっぱり言葉を紡ぐのは落ち着きますね、好きなことの一つだし、私として生きてる心地がちょっとします。

 

最近は、授業中に先生たちがふと口に出すステキな言葉をノートに書き留めるのが好きです。

実は記憶力がとても乏しく(単純記憶とか)、覚える歴史系の授業は得意ではないのですが、政治史の先生の言葉のセンスが好きで、授業に出るのが少しだけ楽しくなりました。

 

あとは私の関心分野にぴったりハマる憲法の先生の言葉(というよりお話)も好きで、割と頑張って通ってたりしてます。

 

今日は、この前、憲法の先生が話していた内容から私が思ったこととかウダウダ書いていけたらなぁと思います。

 

# KuToo 

この前、憲法の授業の冒頭に話題に上がったキーワードです。

ネットニュースを見たり、Twitterから流れてきたり、よく目にしていたワードだし、私の中でも興味や関心のある内容だったので、その話から感じたことや思ったことをノートに書き込んでいました。

 

# KuTooと言うのは、就活や仕事で、女性にヒールのある靴を強要するのはおかしい、みたいな話で。(多分そう)

そこから、その授業では、女性らしさや男性らしさってなんだろう、そのらしさを自らが表現したいと思って身にまとっているなら良いけど、強要されるのはきっと違うよね、みたいな話をしたんですね。(多分)

 

元々、ヒールのある靴、特にハイヒールは「女性が一人では生きられない、男性に守られなければ生きていけない生き物である」とイメージさせるように作られた靴だって話を聞いたことがありました。

だからハイヒールって歩きやすいように作られていないんですね。重心がつま先に集中するせいで足元が不安定ですし、履き続けていたら足の骨格が変形したりもします。

 

それで、ハイヒールを履くことを就活やフォーマルな場でのマナーにすることは、一人では生きていけないようなか弱い女性らしさや女性であることを強要していることに繋がるのでは?って思ったり思わなかったり。

 

そんなこと言っても、ハイヒールが好きな人や、女性らしいガーリーやフェミニンなファッションが好きな人は履き続けるんだろうなぁとも思うわけです。でもそれは全然OKですよね。?

 

この問題で、何が一番問題かって、女性が辛くて痛いハイヒールを履くことではなく、社会や見えないルールやマナーから、女性がハイヒールを履くことを強要されることや、女性がか弱い女性らしさを表現することを強要されることです。

 

だから、ハイヒールを履きたいなら履いたらいいし、それが男性でも女性でもいいし、履かなくてもいい。

ガーリーやフェミニン系のファッションだって、好きなら着たらいい、そのファッションが好きな理由が、女性らしさをアピールしたいでも、そうでなくても、好きなことに胸を張っていい。

 

でも女性は社会に女性らしさを表現したいから、オシャレをして、メイクをして、ハイヒールを履いているわけじゃないです。それが当たり前ではないです。

 

そして、女性だけじゃなく社会に生きる人全てが、好きな見た目で好きな私で生きていってもいいのです。

 

きっとこれを、人権で言うところの表現の自由と言うのですが(使ってみたがり)、好きなことを、自分自身で表現する自由だってあるんだって思います。

 

好きなものをまとえば、好きな私になれるはず

「何のために、好きなお洋服を着て、メイクをするの?」ってもし聞かれたら、私はきっとこう答えると思います。

「私を好きになって、自信を付けたいから。」

 

ファッションがマナーだとか、誰かのためとか、言う人もいるかもしれないけど。○○ウケとか雑誌とかで書かれるくらい、誰かのために感が強いけど。

 

私は、私が私自身を好きになるためにオシャレをするんだと思います。

 

メイクをすると「今日も頑張ろう!」って思えてメラメラ出来るし、可愛いお洋服を着れば、外に出るのが怖くても外に出られる。大きなチャンスに震えても好きなものを身にまとえば、チャンスを掴める?

それくらい、私に大きな影響を与えてくれるものだったりします。

 

好きなものを身にまとうことで、自ずとなりたい私や、好きな私へと変われるのです。

 

好きな私で生きることが、生きていく上で、安心になり、盾になり、力になるのです。

 

 

私は、高校生のときに女性向けのメディアでファッションやメイクなどの記事を書くライターをするくらい、可愛いものやオシャレというものが大好きでした。

 

いわゆる赤文字系と呼ばれるようなガーリーでフェミニンなファッションも、

柔らかいピンクブラウンのアイシャドウや、ぷるぷるなリップも大好きです。

 

初めて働いたお金で、コスメを買い、可愛いワンピースとバッグを買った時、胸がトキメキでいっぱいに溢れました。今でも忘れない。

 

そんなトキメキでいっぱいになったコスメでメイクをして、ワンピースとバッグを身にまとった時、好きな私で生きることに喜びを感じることが出来たんです。

 

好きな私で生きることは、私として生きるための勇気に繋がったのです。

それがいくら、外見から入っていたとしても。

 

好きなものが、可愛らしい女性らしさのある、一歩間違えたら「ぶりっ子」や「媚び売り」になりそうなものであっても。

 

それは誰かのためではなく、私のため。

 

私のためだけの社会で生き抜くための戦闘服だったわけです。

 

こんなにも自由にお洋服を身にまとえるのは、学生という身分だからなのかもしれませんが。

いつか、好きな見た目で、好きな私で生きてく、が増えていったらいいなぁなんて思いました。

 

女性らしさを強要されることなく、社会の当たり前を押し付けられることなく。

 

表現したい私を、好きなもので表現し、愛してあげられるようになったら、ステキですね。

 

それでは、おやすみなさい(​ *´꒳`*​)