ちーちゃんのブログ。

ポンコツ系エニートが言葉を綴る何でも日記。

「それでもいい」、か。

ここ最近ずーーーーーっと、心がざわざわ、ごわごわする気がする。

気づいたら、何かに悔しがって、悲しくなって、虚しくなって、涙をこらえる。

 

私はずっと、自分に自信が持てない。

「なんで、私はこんなに何も出来ないの?」って自分に嫌気が指して、嫌いになる。

 

未だに、私は負の塊で、自分自身の粗探しに没頭する。

開き直ることも出来ないし、それを改善したくても、やり方が分からなくて、地団駄踏んでるのも嫌になる。

 

「それでもいい」、そうやって落ち着けようとするけど、意味が無い。

「それでもいい」っていつまでもそうじゃいられない、ずっとこのままじゃ変われない。

 

悔しい。悲しい。虚しい。

そんな感情に囚われてる。

 

自信が持てない私に、前を向けない私に、立ち上がれない私に、何度も絶望する。

 

いつもそうじゃん。

また同じ事を繰り返すつもり?

何度も何度も自分を責めるのも、いつも通り。

 

嫌になるよ、何度も。

自分に絶望するよ。

「私なんか殺してしまえ」って思うよ。

 

でもそれでも、変わりたいって思うから。

何度も絶望して、立ち上がってみて。

 

もしかしたら、変われるかもしれないって、夢を見て。

 

何回泣いても、自分で自分の背中を叩いて、立ってみる。

 

ゆっくりでも。周りに置いていかれてても。

 

どうせだったら、生きててよかったって思いたいから。

自分のこと、大嫌いでも、殺したくても、絶望しても、いつか自分を好きになりたいから。

 

そういう自分を知ったら、スタートだって。

変わりたいって思ったら、スタートだって。

絶望は、自分への期待だって、伸びしろだって。

 

まぁ、前向きな言葉を自分に言い聞かせても、明日も明後日も、泣くのは変わらないし、いつも悔しいし、虚しい。

 

でも、やるしかなくて、立ち上がるしかなくて、コンディション最悪でも戦わなくちゃいけなくて。

 

半べそで、立ち上がる。

 

今はそれでもいい。

 

 

 

 

 

 

ブログのデザイン、変えました💓

こんにちは!ちーちゃんです🎶

 

はい!

このブログを何回か見に来て下さている方はお気づきでしょうが……、

ブログのデザインを変えました~!!!(パチパチ👏👏👏)

 

はてなブログはデザインをいじるのが楽しい」と、このブログを開設した時から聞いていたのですが、中々手を出すことができませんでした😢

 

デザイン変更に踏み切ったきっかけ

 

簡単にデザインを変えられなかった理由は、3つ。

  1. スマホの画面では、せっかくのデザインを楽しめない
  2. そもそも、デザインってどうするの?状態w
  3. CSSがイマイチ理解できずにいた。w

ていう感じで、難しそう~、出来なさそう~、って思って出来ずにいました。

 

でも何で今更、デザインを変えてみることに踏み切ったのかと言うと……

最近、PCの画面からこのブログを見ることが増えて、今のデザインが飽きてきた……、というのと、もっと大人っぽくシンプルにしてみたい!っていう願望です。()

そして何より、スマホのブログのアプリからも見えるのですが、読んでくださっている方が増えている、PV数が少しずつ伸びているのを感じて、もっとシンプルに文章が読みやすいデザインにしたい!と思うようになりました。

 

私のこのブログは、文章しかないので……w

どうせなら、シンプルかつ読んでいても目が疲れないデザインにして、いつも長ったらしい文章を読んでくださっている皆さんにもっと読んでもらいたいなと。www

 

デザインでこだわったポイント!

今回、「minimalism」というブログテーマがデザインをいじりやすくてオススメとの口コミがあったので、テーマストアからダウンロードしてきました。

こだわりの一つに入れていたシンプルデザインで、まさにピッタリでした!

初期設定から、余計なものが最初から削がれていて、見ていても文章に集中できる感じ~✨

 

ただ、モノトーンカラー、白の背景?って少し見過ぎてしまうと、目がチカチカ、疲れてしまうことってありませんか?

私は結構そのタイプらしくて、ずっとワードやスプレッドシートとにらめっこしてると疲れちゃうんですよね。

私のブログにそんな長時間滞在?することはあまりないかもしれないけど、文章量はそれなりにある方だと思っているので、出来るだけ読んでいても疲れないようにしたかったんです。

 

初期設定の時は、白の背景に、グレーと黒の文字とデザインだったので、

ひとまず、背景を淡い黄色に設定してみました。

よく小説やページ数の多い本の紙の色が、淡い黄色だったり、私が愛用しているロルバーンの手帳やメモ用のノートの紙にも、淡い黄色が使われているんですよね。

きっと、淡い黄色が背景だったら、目が疲れにくいんじゃないかなぁと…!!

 

そして、その背景の色に合うように

記事タイトルの枠の色とマーカーラインの線を、花緑青という、青緑に、

大きな見出しの下の線には、珊瑚朱色という、少し渋めのオレンジを

差し色として変更してみました!!

 

中見出しや、小見出しの線はまだ加えていないので、またゆっくり変更できたらと思います( *´艸`)

 

そして、ヘッダー画像と、アイキャッチ画像には、大好きなポピーの花を使ってみました💓💓

そこにちょっと存在感強めに入ってる文字のフォントは、筑紫B丸ゴシックというちょっと可愛い感じのを使ってみました。

 

すると以前のデザインよりかは、かなりシンプルに!でも私の好きなものがいっぱい詰まったレトロで可愛い感じに仕上がりました♪

 

このデザインを気に入ってくだされば、とっても嬉しいです!!

 

それではっ💞

私たちは幸せに生きる権利がある。

こんにちは!お久しぶりです!w

約1ヶ月ぶりですね、如何でお過ごしでしょうか?

私は、うん、何とも言えません。www

夏が苦手で、この時期はいつも心の波が大荒れ状態です。w

 

今日は、ひとまず伝えたいこと書きます。

私たちは幸せに生きる権利がある。ってこと。

 

幸せか不幸かは自分が決める

最近あちこちで見かけます。# 不登校は不幸じゃないってやつ。

この取り組みすごく好きです。社会全体が不登校の今を知ってもらえる、学校に行かないが当たり前の選択肢としてある未来になるきっかけになる良い試みだと思います。

でも、モヤモヤはすごく残る。なんか嫌な感情が沸き立つ。そんな気分を正直抱いてます。

 

私はハッシュタグの通り、不登校だった過去は、黒歴史っちゃ黒歴史だけど、その過去があることは不幸だと思ってません。

だってその過去があったから人の痛みや苦しみを理解したいと思えるし、寄り添える人間になりたいと思えたから。

その過去を持つことで、昔の私と同じ苦しみを持つ人に知恵を1つプレゼントできるから。

 

でもそれって、不登校じゃなくなったから当事者から経験者になったからだと思うんです。

不登校だった頃は、不幸じゃないなんて絶対言えなかった。

根も葉もない噂が流れて、関わりのない人からも嫌われたし、

自分の実力で掴み取ったものでも、周りからは有ること無いこと言われたし、

気付いたら、人が信用出来なくなって、友達もいなくなってた。

 

今でもその出来事は、不幸じゃないって言えません。

でも、その出来事を上回るくらいに、不登校だった事で得たことが多かったから、総体的に見て、不幸じゃないって思えるんです。

かと言って、幸せではないですけどね。w

 

何が言いたいかって# 不登校は不幸じゃないっていう文言は、

不登校じゃなくなったから言える話で、当事者はそう思ってない場合が高い。むしろ、当事者は苦しむ気がする。って事。

 

ぶっちゃけ、不登校は不幸じゃないって不登校じゃなくなった経験者の意見の押し付けじゃないですか。

って私は思っちゃう。(ひねくれ過ぎな私)

 

私は、不幸だった過去は、不幸だったって片付けていいと思います。

不幸だと思ってることを、不幸じゃないって片付ける方が苦しいんですよ。

大嫌いなピーマンを、お母さんが「あなたはピーマンが大好きだ」って暗示を唱えて口の中に入れようとすること一緒です。()

 

不登校は不幸だ、不幸じゃない、とか蚊帳の外が騒いだところで、

不幸か、不幸じゃないか、決めて受け止めるのは自分しかいないし、周りが決めつけるものじゃ絶対ないんです。

 

私たちは幸せに生きる権利がある。

私たちは生まれてからずっと人権という、人が人として幸せに生きていくための権利があります。

日本でも、海外に行っていたとしても、国際人権法というものがあるので、どこで生きていたとしても保障されている権利です。

 ただ、あくまでも、権利です。

義務ではないので、必ずしも「この人生を不幸だと思ってはいけない」というわけではないのです。

さっきも書いた通り、不幸か、不幸じゃないか、を決めるのは自分自身で、誰からも決められるものではない。だから不幸だったら不幸だと思うままでいいんです。

 

だって誰かからどんな感情を抱いているかを押し付けられて決めつけられるなんて、人じゃないじゃん。その誰かの所有物じゃん。

人が人として幸せに生きていくための権利が守られてないじゃん。

って思います()

だから、不幸だと思ってるからって悪いことじゃない。不幸だと思うことがいけない事って思ってしまうことが不幸だと私は思ってます。

 

でも私たちは、少なくとも私は、人権というものを持っているからこそ、どうせなら幸せに生きたいと思ってるんです。

でも今の社会は残念ながら、幸せに生きられる環境かと言われればそうじゃないとも思ってます。

だってやっぱり、電車乗ったらお尻触られるし、高校生だからってバカにされるし、不登校も、引きこもりも、精神疾患も、発達障害も、LGBTs、認知や理解がされていないからこそ、苦しいことをわかってもらえない。

だから私もそうだし、不登校だったり、LGBTsだったり、発達障害だったりを認知しよう、理解してもらおうと社会に出て、叩かれるかもしれないけど前に出て、たたかってるんです。

「私は不登校でした。」「私は精神疾患を患っています。」「私はこんな障害を持っています。」

こうやって言うのをためらってしまうほど、受け入れられない社会なんです。周りは何も知らないから。

でも、そんな社会じゃ、幸せに生きられないかもしれないって思うから、たたかうんです。ただの法律だけじゃなくて、社会からも、幸せに生きる権利を掴むためにね。

 

そう思っているから、# 不登校は不幸じゃないの活動を陰ながら応援しているし、多くの人のきっかけになればいいなと祈ってます。

でも、当事者の子や、苦しいことがあって不幸だと思っている子は、決して不幸だと思うことが悪い事ではないと伝えたいし、私はその感情をも大切にしてあげてほしいと思います♪

 

 

それでは、、!

ウダウダしてたら、深夜だし、寝れないわ。()

じゃあ!良いお盆休みをお過ごしくださいませ💕

ポジティブだけが正義か。

こんにちは!

今日はサクッと本題行きますね。「ポジティブ至上主義」の話です。

 

そりゃ、ポジティブがあれば、ネガティブもあるさね。

私この前から、AmebaOwndのブログをまた作り直しまして、この前こんな記事を出しました。

c-kotoba.themedia.jp

(あ、気になった方、読んでくださいね。あ、恥ずかしいんで感想要りません笑)

 

ここで、綺麗事とか、ポジティブとか、光当たってる部分だけで世界が回ってると思うな、クソくらえと言い、挙句の果てには、綺麗事なんて社会に溢れかえってるから、その分、影を受け入れる努力をせんかい。と愚痴りまして…笑

 

まぁ、普通に考えて無理ですよね。だって、みんな影嫌いだもん。笑

だから、除け者扱いするし、邪険にするんですもんね。

ネガティブだったり、暗い事、影の部分より、

どうせなら、ポジティブだったり、綺麗事だったり、光の部分だけを見ていたいし、聞いていたいし、近くに寄せときたい。

普通はそう思いますよね。

私も元々が根暗なんで、めちゃくちゃネガティブな事言ったり、ここに書いたりしますけど、すっごく嫌いですもん。

 

でも、そうやって、除け者扱い、邪険に扱った結果、生きづらい世の中を作ってるわけなんじゃないかなと思うわけです。

 

だって、みんな光の部分ばっかり注目してるけど、光があれば影が出来て当然ですよね。

誰かがスポットライトをあててもらうためには、誰かがライトをあてなきゃならないし、誰かはライトはあたれない。そうでしょ?

また、誰かが良い思いをすれば、ほとんどの場合、誰かは嫌な思いをしている。

 

結局光があれば、すぐ後ろに影が出来るし、影があるから光は際立つわけです。

 

どうやっても社会に、光、ポジティブな部分が5割あれば、影、ネガティブな部分も5割あるんじゃないかと考えております。

 

のくせに、社会は徹底的に影を嫌って邪険にして、悪者扱い。

それってどうなんやろ?と思うわけですよ。

 

だから、本屋さんに行くと自己啓発本

「ポジティブな人間はあーだこーだ」とか、「ハッピーに生きるには」とか、っていういかにポジティブな人間に見せるか、なれるか、ポジティブな感情を増やすかみたいな事が書かれているんですね。

 

でもね、本当に必要なのは、

「ポジティブな感情を増やすか」より

「ネガティブな感情とどう向き合うか」なんだと思うんです。

自分自身も、社会全体も。

 

ネガティブを受け止めてやる。

ぶっちゃけて言うと、社会的なバランスを見て、ポジティブな感情だけを増やすのは難しいんではと思います。さっき書いたようにポジティブもあれば、同じ量のネガティブが潜んでるから。

じゃあ、何が必要かというと

「上手にネガティブを受け止めること」「上手にネガティブを消化すること」かなと。

 

それが嫌い、もしくは苦手な人が多すぎるから、個人でも受け止めきれないし、社会の中にも受け止めてくれる場所も少なすぎるんですよね。きっと。

だから、生きづらいんですよ。この世の中。

 

ネガティブな自分って大っ嫌いです。でも受け止められたら最強だと思いませんか?

「あ~今、ネガティブだけどそんなこともあるよな。」

「ネガティブな感情が芽生えてるから、それに浸ってようか。」

「自分の感情と向き合ってみようか~。」

なんて、自分の心をあやすように向き合えたら、ネガティブな感情を上手に受け止められるんじゃないかと思ってるんです。

 

「そんなん、無理に決まってろ~が!!」

って思う人も多いと思うし、私もややそう思います。((

 

そんな人が大勢だからこそ、社会にネガティブ、生きづらさを受けとめる居場所が必要なんです。

その居場所や社会から、ネガティブを受け止められる場を持ち、受け止められるようになると、個人でも感覚を掴んで、受け止められるようになるんです。

 

そういう居場所から、ネガティブを受け止められる種をまいて、社会から受け止められるようにしたいなぁ。

 

今の社会は、ぶっちゃけポジティブじゃなきゃ(装わなきゃ)、やっていけないじゃないですか。

ある種のポジティブハラスメントが、社会全体で起こっているものじゃないですか。

 

そうじゃなくて、ポジティブもネガティブも上手く共存できる社会になればいいなぁ。

 

そのために、居場所づくりという不思議で面白いことにチャレンジしているんですがね。

 

てなわけで、今日はこんな感じです!(終わり方がいつも雑wwww)

何かご意見あれば、いつでもください💕

それでは~~~!!

 

 

 

お風呂か、温泉か。

どうもー!こんにちは!ちーです!

この前から素敵なことがいっぱいありました💕

久しぶりにお友達に会ったり、その子が頑張ってる姿を間近で見たり、おネイルのモデルというものにチャレンジさせてもらったり…!!!

(とどのつまり、久々の友達にネイリストの検定のモデルをお願いされた、ってこと。)

他にも、洋服のリメイクが上手く出来たり、好きなアイドルのMVが公開されたり…!

 

最高でした。

 

まぁ、そんな中でも嫌な出来事も幾つかあるんですがね……ww

比べる、比べられる、マウンティングと言いますか、今日はそーゆー事について、書きたいと思います。

 

「マウンティング」こわひ。

笑顔で「貴方より私の方が上」だとアピールしてくる、いわゆるマウンティング。

今の学校だとあんまり居ないけれど、前の学校の子にはちょっといました。

普通に遊びに行ったり、お茶をしたりするのは、すっごく楽しいんですが……。

話を聞くたびに、心がチクチクする気がして、ちょっぴり苦手。

 

大抵の話が、

「頭の良い彼氏」「良い学歴の親戚」「都会の友人」「高いコスメやお洋服」

そんなお話。

 

こんな世界があるのかぁ、彼女も楽しそうだなぁ、なんて初めは聞いていたけれど、どうもそうではないみたい。

 

彼女は、こういう話をすることによって、意識的にか無意識的にかは分からないけれど、

「周りのみんなと違う私」「私の方がすごい」

ということをアピールしていたのです。

 

だからか人一倍、SNSには力をいれているように見えました。

おしゃれなカフェの写真や、スタバの新作、デパコスなどなど。

 

そうやって人と比べることでしか、自分を認められなかったり、自分の価値を見い出せなかったりするのが、私は悲しかったんです。

 

(私は、そこまで頭が良い方ではないから「マウンティング」も出来ないんだけれど。だからか、すごいなとも思ってる。)

 

もしかして:人と比べなきゃ、  自己肯定できない?

ここで、自己肯定感の話をぶち込みますが。

彼女たちは、マウンティングという行為で人と比べなきゃ、自己肯定が出来ないんじゃないかと、思いました。

それって、あんまり幸せになれない方法なんじゃないかなとも思いました。

 

私は、自己肯定の形は大きく分けて、2つあると思っています。

1つ目は、誰かの物差しではかる自己肯定。

これは、先ほどのマウンティングだったり、テストの順位だったりする、誰かからの評価を元に自己肯定する方法。

2つ目は、自分の物差しではかる自己肯定。

これは、誰かがどうだとか置いといて、自分の中の考えや思いで自己肯定する方法。

 

皆さんはどちらの自己肯定の方が幸福度が高いと思いますか?

私は、間違いなく後者だと思います。

 

前者の方が、自己肯定するのはとても簡単です。だって、誰かの評価という証拠があるから。

でも、誰かの評価が無くなれば、その自己肯定は出来なくなります。

また、その形の自己肯定をすることによって、常に他人と比べなければならなくなります。

それって幸せだと思いますか?

私はそうだとは思えません。

 

私は、周りの評価を気にする、周りと比べると心が苦しくなるんです。

きっと、周りにはいっぱい素敵な人がいて凹む自分がいるからかもしれないし、トラウマがあるのかもしれないけれど。

これについては、長くなるのでまた今度にしますが。

 

それに対して、後者の方法の方が難しいけれど、幸福度は高いと思います。

というのも、後者は自分を見つめて、嫌な自分も好きな自分も受け入れて、「どんな私でも大丈夫!」と言えるようになる方法だから。

この方法って、本当に苦しい。

見たくもない自分自身を認める事だから。

 

でも、出来るようになれば、他の人の評価を気にしなくても、比べなくても、自分の中で「大丈夫」だと言えるようになるんです。

 

前者と後者の自己肯定を例えるなら、

前者は、ボタンを押せばお湯が出てくるお風呂なら

後者は、何もしなくても湧き上がってくれる温泉です。

 

前者の方法は、誰かの評価をいちいち確認しなきゃボタンを押せない、お湯も出てこないのに、

後者の方法なら、掘り当てちゃえば何もしなくてもお湯が湧き上がってくれる。

 

私は、そんな温泉のような自己肯定をしてもらいたいなって思うし、私もそう出来るように頑張ってる最中です!

 

どうせ自己肯定するなら、ハッピーな方が良いですもんね!!

 

 

(あ、終わり方がわかんねぇ。)

はい!今日はここまで!それでは!!

何か意見があれば、コメントなり、リプなりどうぞ!

頭悪いなりに考えます!!www

 

 

 

信じてくれる人の言葉を信じていたい。

こんにちは!ちーです。

 

まぶぃーずオフ会@蓮田、無事に終わりました~👏👏

色んな事をして、色んな感情を抱いて、色んな人と出逢いました。

そして何より、自分から考えて企画して、動いてみるっていう、一番最初から最後までをやりのける(?)事が出来ました。

 

まぶぃーずのみんなが信じてくれたから、できたことだなぁと思って感謝してます。切実に。

 

今日は、そんなお話を。

 

「出来る!」って信じてくれたから。

私は今まで、

誰かの後ろで支えるサポーターだ、誰かの存在を際立たせる脇役だ、

私はその方が性に合ってると思っていました。(今も思ってる。)

 

でも、それは私なりの逃げでもあって、甘えでもありました。

だって、そのほうが楽だから。

ゴールを設定するより、ゴールのためにちまちま動いていく方が楽だったりします。

だから今まで、大きなゴール(例えば、この場所でオフ会をする!とか)は、誰かが持ってきてもらって、それまでの道のりを組んで、タスクを出して、こなしていくってことをしていました。

 

だからこそ、私じゃなくてもいいんじゃないか、私の代わりなんかいくらでもいる、って思っていました。

 

そんな環境を自ら作ってるんじゃないのか、って思って。

気づいたら、自分でまぶぃーずのために何が出来るかを考えてました。

夢中で、地元のことを考えて、まぶぃーずのことを考えて、ご飯を食べるのを忘れて企画書を書いて、まぶぃーず一人ひとりに見せに回りました。

 

まぶぃーずのみんなが

「やろう!」「やりたい!」

って言ってくれたから、私はこのオフ会の準備をすることが出来ました。

 

特に真衣ちゃんは、私のために、2時間近くかかるにも関わらず、何回も地元に足を運んで来てくれました。

そのたびに色んな話をしては、オフ会開催のために動いて、下調べもしてくれました。

彼女がいなかったら、きっと開催できてないんじゃないかなって思います。

 

みんなが、私のことを思って、期待して、信じてくれた、その思いが私を動かしてくれました。

本当にありがとう。

(これを言いたかった。www)

 

私の可能性を信じてくれる人がいるってこと。

今の私は、たくさんの人に思われている、期待してもらっている、信じてもらっている、その思いで動けています。

「ちーちゃんなら出来る!」

「ちーちゃんは、こんなに出来るんだよ!」

「応援してるよ!」「頑張ってね!」

そんな言葉があって、私は今も昔も、これからも、動いていくんだなって思います。

 

私は、本当に何にもない人間だと思っていました。

だから、自分のマイナスな所でしかアイデンティティがないと思って、自虐して、それに固執していました。

 

でもね、ちゃんと見てくれる人はいるんだなって。

良いところを見つけてくれて、光を照らしてくれる人はいるんだなって。

そんな素敵な人から、私の良いところを教えてもらって、私は少しずつ自分に自信が持てるようになりました。

私には見えなかった部分を、見せてくれる人がいて、その人たちは私の可能性を信じてくれている、その事が嬉しいんです。

 

そんな素敵な人の言葉に見合う人になれるか分からないけれど、私はその人のその言葉に支えられているからこそ、信じていたい。

 

だからね、ちゃんと素敵な人にもらった言葉は覚えているし、実践してたりするんですよ。

例えば、一回だけ話したおじさんに言われた

「人に見せなくても、言葉で表現する機会を作りなさい」って言葉も実践したりしてます。

言葉を綴っている時間が一番好きなんです。その時間が一番自分らしくあれるから。

自分の中で、この思いを伝えたいんだ、こんな思いを抱いてるんだって、言葉を通してわかるようになりました。

 

だから、そうやって言ってくれたおじさんに「ありがとう」と言いたい…!

 

これから先、どんな私になってるかわからないし、未来なんてわからない。

でも、信じてくれる人がいるから怖くないし、信じていたいから頑張れるんです。

ありがとうございます。本当に。

 

自分だけでいるとどうしても、嫌いな自分しか見えてこないけれど頑張ります。w

 

これからも、暖かい目で見守っていただけたら嬉しいです🎶

 

それでは!!!

 

 

運命が変わるかもしれない日の前日。

こんにちは!ちーです。

 

なんとなく時間に追われているような、全く時間とか関係ないゆるゆる空間で過ごしているような、そんな気分です。

あと、ちょっと憂鬱。w

暑い日はじっとり汗かいちゃうし、図書館行きたいと思ったら雨が降っている…。

・・・いつも通りです。!!

 

明日のことについて、書かせてくださいね!

 

変わりたくて。変わりたいんです。

 

いよいよ。明日に迫ってきました。

「まぶぃーずオフ会@蓮田」

mavie-s-41.themedia.jp

 

何気初めて、ゼロの段階から考えて、迷って、作った企画。w

色んな活動してきたけれど、今までは、引っ張ってくれる人がいて、引き上げてくれる人がいて、土台を作ってくれる人がいて、階段を作ってくれる人がいたから、ゼロから作り上げることはありませんでした。

 

私はすごく、甘やかされていると思うし、人に恵まれてると思ってます。

 

それと同時に、私には甘やかしてくれる人が周りにいっぱいいるから、覚悟がなくても守ってくれる人がいて、自分の100%出さなくても、受け止めてくれる人がいて、その存在に漬けこんでる私がいました。

 

でも、ちょっとそんな私が虚しくて、変わろうと思いました。

覚悟を持とう、自分の力を出し切ろう、強くなろう、自分に自信をつけよう!!

ってね。

 

そんな強い思いを持って、企画段階から3か月間頑張ってきました。(つもり)

 

地元を駆け回ってフライヤー貼ってもらったり、会場探したり、色んな場所で宣伝したり……。

フォームやフライヤーも何個か作ったり、まぶぃーずのTwitterやってみたり。

そんな日々が楽しくて仕方がなかったです。

 

もちろん当日、まぶぃーずを通して色んな人と会えることも楽しみの一つですが!

 

でも、一番苦手意識のある地元での開催は、やっぱり怖いし、中学の同級生には会いたくないし、この活動を知られたら、どんな事思われて、どんな事言われるんだろうって怯えてます。

 

明るいだとか、キラキラ感だとか、物怖じしないだとか、そんな事思われてるし、それはそれで嬉しいけれど、

実際は全然そんな事なくて、意地張って笑顔を作ってるだけで、中身はすごくどす黒くて、弱虫です。w

 

自分にすごく自信ないんだ~!!、そんな自分が嫌い。w

 

明日、そんな自分を変えられる、超えられるきっかけになればいいなって思います。

 

 

明日は、すっごく楽しみです。

しーちゃんもこの日のためにお休みもらって蓮田に来てくれます。

まいちゃんも同じ埼玉民として頑張ってきてくれます。

のんちゃんは誰よりも早起きして来てくれます。

ゆいみんは来れないけれど、成功を祈ってくれてます。

 

こんな素敵な仲間がいて、居場所があって、幸せです。

みんなで「まぶぃー」を参加してくれる方に感じてもらいましょう♡

 

不安ではあるし、怖さも拭えきれないけれど、きっと大丈夫って信じて頑張ります🎶