No title
正直言って、私に本音を話せる場所はほとんどない。そもそも私の本音すら、私が把握できてない。
わけもわからぬまま苦しいし、何かわからない勝手な怖さに怯えている。
理由がわからないことに怯えて、募っていくマイナスな感情を封じ込めるように、前向きに生きよう、強く在らねばって空回りを続けている。
去年も、一昨年も、同じようにこんな時期があった。
去年も一昨年も、人に会いたくなければ会わなくて済んだ。怖いものは見ずに済んだ。だから、時間が経てばもとに戻った。
だから、もうその怖さは勝手に克服したと思っていた。逃げていただけなのに。
でもそう思っていたから、高校卒業してすぐに大学へ進学することを決めた。色んな道だってあったし、大学進学こそ急がなくてもいい事柄だったのに。
結局のところ、全くもって怖さは克服できていないどころか、増大している有様。
トラウマにトラウマが重なっている。思い返したくないことばかりが頭に浮かんで、色んなことに恐怖や不安が押し寄せる。
今、人に会いたくない。というより、人が怖い。
元々は人間が好きで、勉強だって好きで、楽しかった。
のに、今は布団から起き上がって、電車に揺られるのがやっと。
毎日、どうしたらいいのかわからないまま、壊れかけの仮面と身体を使って生きている。
きっと、また嫌われる。また孤独になる。また……。
私には、私として愛してあげられる自信がないし、生きていく自信がない。
これまで自己肯定感少しずつ生まれてきたと思ってた。
でも履き違えてた。それは自己効力感で他人軸だった。
私は、周りの目線と感情に怯えて生きてる。周りのなにかに影響され続けている。
だから昔から仮面を被って生きてきた。もう結局、どれが素の私かわからないけど。
その弊害として、私は私がどんな感情を抱いているかわからなくなったし、漠然と恐怖を覚えることに怯えるようになった。
多分、恐怖とか怯えの要因はトラウマだってわかってるけど、何かを怖いと思う方が精神的に楽なのかもしれない。そんなわけないけど。
こんなこと書いたら、構ってちゃんだの、心配してほしいだの、ウザいだの、思われるんだろうけど、そうじゃないのかもしれないけど、
文章を書かないと、とにかく言葉や色んなものを文章として吐き出さないと、心が硬直してしまう。
このわけもわからない怖さすらも生きている証としないと、何も支えになってくれない。
私の気持ちや感情を吐き出す場所がどこにもないし、「いいよ」って言われたとしてもきっと吐き出せない。
せめて、ブログでも手帳でもノートでも、文章の世界だけでも、私の掃き出し窓になってくれないと……生きていて苦しい。
本当に、私は生きるのが下手くそすぎてどうしようもない。生きづらい。
もっと上手に生きられたらいいのに。そればっかり。
最近、こんなものばかり書いて申し訳ないな。ごめんなさい。
きっとね、理解されないと思っちゃうの。何もかも。
最近わかったのは、
私が如何に生きるのが不器用なのか、
そして周りの「当たり前」の尺度、「普通」の尺度は、随分違うし、しかもそれに厳格であること、
また、荒療治ではトラウマは治らないどころか悪化すること。
期待に満ちて、希望が見えた大学生活も、トラウマによって一気に恐怖の場に変わりました。
信用したくても信用出来ない不甲斐なさもトッピングされて。
おやすみ。
他人の感情に引きずられるのが怖い。
感情の行き場がないので、ここに。
今日は入院している大切なお姉ちゃんのような人のお見舞いに行く、予定だった。
要は行けなかった。
最寄り駅まで電車に揺られたし、タクシーで病院の目の前まで行った。でも苦しくて帰ってきてしまった。
正直、ずっと葛藤してた。
昨日の夜も、今日の授業中も、帰りも。
怖くて仕方なかった。
先日、その大切なお姉ちゃん本人から、入院することを伝えられた。死にたいくらい苦しかったんだって。
その連絡が来る前に「どこかご飯に行こうね」って話をしたら、「最近すごく辛いの。」って言われていたんだけど、
私は時間が過ぎたら、きっと和らぐって思ってた。
だから、
どうしたらいいか分からなかった。
その時は仕事の最中だったけど、手が震えて、口元がかたまった。
安易に考えていた私に腹が立った。もう手遅れだったのかもしれないけど、話を聞いたり出来たかもしれないのにって。
入院の連絡がきて程なくして、「お見舞いに来てほしい」って言われたから行こうと思った。
元気になってほしいとも思ったし、今のお姉ちゃんの状況を一旦見ておきたいと思った。
電車を乗り継いで、タクシーで向かった。
面会用の紙に色々記入して、バッジを付けて、病棟に足を運んだ。
かなり痩せたお姉ちゃんとたくさん話をした。
彼女の辛い苦しい感情が、自分の感情に乗り移ったかのように辛くてたまらなかった。
そんな話してなかったのに、楽しい話しかしてないはずなのに。
話の合間合間に、お姉ちゃんに「ずっと自殺したかった」「リスカもした」って聞かされて、すごく苦しかった。
何度も聞いたことがあるセリフだし、私自身も何度も行ったこともあるセリフだけど。
心臓に深くナイフが突き刺さるかのような痛さがずっと続いた。
正直、行ってよかったか分からなかった。
お姉ちゃんにとっては、お姉ちゃんのお母さんにとっては、良かったのかもしれないけど。
行ってからと言うもの、お姉ちゃんの感情かも分からないような他人の感情にずっと引きずられてコピーされている感覚。
それにズキズキと心臓の部分に痛みが残る感覚。
なにか分からないけど、とても辛いし苦しい。
お姉ちゃんが悪いわけでは全くなくて。
きっと私が他人の感情に引きずられやすい体質を持ってるせいなだけで。
でも、それは私が悪いわけでもないのかもしれない。
誰も悪いわけじゃない。
ただ、すごく苦しい。
だから、今日は行けなかった。
頑張って病院の前まで行ったけど、会いにいく勇気が持てなかった。
この苦しさを誰かに吐露しようと思っても、吐露できる人が周りには居なくて。
信頼できないってわけではさらさらない
ようやくできた新しい人間関係を壊したくはないし、
何でも話せるお姉ちゃん達は忙しいのをわかってるから申し訳ないし、
そもそも、誰かにどうやって助けを求めていいのか分からない。
今までまともに、助けてって言えなかったから。
生きづらい。
自分の不器用さに呆れてる。
最近はずっとそう。
梅干しの種をずっと口に入れてるような感じで、感情を抑えながら生きてる。
甘く優しい空気を伝染させたい。
こんにちは!お久しぶりです。ちはるです。
大学も後期突入したのですが、中々、大学生モードが戻らず苦戦しています。笑
秋やって言ってるのに、まだまだ全然暑いし尚更ですよね~。笑
可愛い秋冬服も買ったのに、まだ全然着れてないんです!早く着たい!!
皆さんはいかがお過ごしでしょうか?気温の上下変動が激しいですから、身体も心も気を付けて生きていきましょうね◎
最近は、もともと自分を甘やかすことが大好きなんですが、やっぱりそういう自分に甘いって大事だよなぁって話をば。
周りが厳しすぎるからこそ、自分には甘く♡
私の周りには本当に優しい人がいっぱいいるので、そのコミュニティの中では割とお風呂に浸かってるくらいストレスフリーに感じられるのですが、
そのコミュニティを抜けた大きな社会の中に入ると一転して、優しい人も怖い人も厳しい人にも出会います。
社会って厳しい……。荒波って感じ。
信念をもってやっていることでも、匿名ってことをいいことに叩かれたりもするし、嘲笑われたりもするし、「そんなことやって意味あるの?メリットあるの?」って言われるし……。
それ以外にでも、生きづらさに理解がない人やマジョリティであることが正義だと言わんばかりの人とか、意見を押し付けられて苦しい。
生きづらさって、こんなもんだよなぁって思って。虚しくなってみたりみなかったり。
もちろん、すてきな人も優しい人もいっぱいいるけど。その人たちのことも忘れてはいけないけど。
やっぱり、社会で生きていくには甘さ・糖分が足りないと思うんですよね。やっぱり糖分ないとカリカリしちゃうし。大事ですよね。
自分に厳しくって言ってる人も多いけど、きっと倒れちゃうわよ…!!!って思ってしまったので、自分には甘く生きたいなって思ったんです。
周りも厳しくて、自分も厳しくしなくちゃいけなくなったら、一体誰が甘さや糖分をくれるんだろう。水分を与えてくれるんだろう。
私たちは十分頑張ってるし、周りの尺度とは違っても努力していることは、自分自身が一番よくわかってる。
だから、周りが厳しくても、周りに頑張ってない、努力が足りないって言われても、
自分自身の尺度で頑張ってること、努力していることを認めてあげよう!!
最近はそう思って、頑張ったなぁと思う日にはちょっとしたご褒美をあげてます。
この前は、300円均一のアクセサリー屋さんでイヤリング。
その前には、少し前に記事で書いた池袋のタピオカチーズティー。
頑張って生きてるんだよ〜。私って努力してるんだよ〜。こういう暗示って実は大事。
周りって、自分のことだけで頭がいっぱいで褒めてくれないから。
感情は伝染するからこそ。
「自分に厳しく、周りに優しく」なーんて言う人いるじゃないですか。
正直、行動に現れてる人見たことない。笑
多分ね、自分に求めている尺度を、周りにも求めがちなんです。
だから、周りには優しくしているつもりでも、実際にそうだとしても、イライラしてしまったり、その感情を感じ取ってしまったり…、あると思うんですよね。
きっと自分に優しくできない人は、周りにも優しくできない。自分って1番身近な他人だって言いますから。
だから、まずは自分から甘く優しくしてあげよう。
そうすれば、自分自身が甘く柔らかく丸く変わっていくのが分かるはず。
そして、その空気が周りへ少しずつ伝染していくはず。
Twitterで仲の良い人が、
「不安や焦りって周りへ伝播していくけど、裏を返せば、勇気や安心、共感も、周りへ伝播していくことが出来るんじゃないか」
って教えてくれて、あっ確かに!って思いました。
だから、自分自身にしてあげたことって、自然と周りにできるようになっているだけではなくて、
自分自身が纏っている空気ですら、周りへ伝えていくことができるんじゃないかって。
柔らかくて、甘くて、優しい空気をみんなで伝染させていきましょう。
何かとカリカリしてしまいがちな毎日ですけど、なんか分からないけど苦しい社会に生きてるけど、
それでも、毎日生きてるだけでも頑張ってる。きっとそう。
まずは自分から、甘く優しくしてあげたら、ちょっと幸せになれるんじゃないかなぁって思いました◎
それでは今日は金曜日なので、ゆっくりまったりお家へ帰りたいと思います!(まだ学校なんですよね笑)
ではでは〜🍥😚🍜
自信を付けたくて、ちょっとやってみたこと。
こんにちは!
夏休みがそろそろ終わって何とも言えない気持ちになっている今日この頃です。
昨日から台風のせいか、高熱と頭痛と吐き気のフルコンボで倒れてました。皆さんは台風と体調大丈夫でしたか??
仕事とか学校とか、しんどくても行かなきゃってなってしまうけど、しっかり休んで健康な状態でいることも大事ですから。休める時は休みましょ🎶
最近は、自分自身に自信を付けようと思って生きています。
大学生になって、新しいことをはじめて、できることも増えてきました。
できることが増えても、それをできる機会に飛び込まないと意味がないのは分かっていながらも、自信が無さすぎて、できなかったことが多かったんです。
だから、色んなことをして自信を付けてみようと思って密かにやってみてます。
今日はそんなお話をば。
身を引き締めたくて、肩書き公開()
最近、自信を付けたくて始めたのは、肩書きを公開したこと。
手っ取り早く、メールの署名やヒカリテラスでのメール、Twitterのプロフィールに「言葉の発信地 ヒカリテラス 代表」と書きました。
なんでかと言うと、言葉の発信地ヒカリテラスをもっと頑張りたかったからって言うのが1つと、代表という大切なものを守る立ち位置であることを公開してヒカリテラスという存在に誇りを持ちたいと思ったから。
「生きづらさ」の問題って、社会で生きていく中で大切な問題かつ、一番身近な問題だと思っています。
だから私は「生きづらさ」への「共感」と「理解」の輪を広げる活動をすることで、解決したいって思って、日々活動しているし、言葉の発信地ヒカリテラスは大切なものだと考えてます。
でもテーマ的に見れば、楽しいことをやってるわけでもなく、明るいことをやってるわけでもなく、お金になることをやってるわけでもないから、
なんで?って思ってる人も多いだろうし、中々理解されないことがちょっと辛い…。
ちょっと前に、個人アカウントで匿名の質問箱を作ってみた時には、活動に対する非難の声もあって悔しかったし、悲しくて、
活動の代表であることを表に出さずに、水面下で活動していました。
でも言葉の発信地ヒカリテラスの代表として、活動できる幅がちょっと増えてきたことで、
私がヒカリテラスに対して自信を持たないと、愛してあげないとって思うようになりました。
言葉の発信地ヒカリテラスは、今も昔も、大切な場所だし、大切なことをしていると信じています。
その気持ちを表に出して、活動したいという気持ちの表れから、代表という肩書きを持って活動しようと考えてみました◎
やります!と言えるようになる
また最近は、できることはドンドン引き受けていこうと思って「やります!」と言ってみてます。
そこで最近知ったのは、
「難しいと思っても、意外とできる」
「意外とヒントや答えが転がってる」
「『やります!』に対してサポートしてくれる人がいる」
ということ。
今まで、できることがあっても引き受けられなかった理由として
- シンプルに自信が無い
- 年下だから烏滸がましい
- できなかった時に申し訳ない
ということがあげられました。
今もそれはずっと思ってるんですが、
できるのに引き受けられない方が後悔するんじゃないかって、できるようにしてくれた人や、認めてくれた人に対して失礼なんじゃないかって思うようになりました。
これまで、色んなスキルを教えてくれた人がいっぱいいました。だから、色んなことができるようになりました。
自分だけの力で、色んなことができるようになったわけではないからこそ、その力で貢献していきたいし、次の人たちに還元していきたいなって。
それに、せっかく同じフィールドに立っているのに勿体ないかもって考えるようになって、
最近は、年齢とか立場を超えていきたいと思っています。
申し訳ないな、烏滸がましいなって思ってたら、勿体ないかもしれないなって、
人間は勝手な生き物なんだから、もっと勝手に生きてもいいなって思うようになりました。
敬語とか、最低限のマナーは守りながらも。笑
素直に「ありがとう」と言えるようになる。
最近、褒められたり、認められて嬉しくなりました。
でも、それは自分だけの成果じゃなかったり、運が良かっただけだったり、まだまだ全然だったりして、素直に受け止められなかったんです。
自分を見て、評価したり、認めてくれたりしてくれる人がいることって本当にありがたいし、
その言葉があることで、自分の軸が磨かれていく感覚があります。
それが例え、自分がそうだと思わなくても。
だから、その言葉をもっと素直に受け入れて、「ありがとう」と言えるようになったら、自信も付けやすくなるんじゃないかなって。
色々思うことがあっても、まずは「ありがとう」って言えるようになりたいものです。
そして、その言葉が似合うようになるまで、いっぱい努力すれば、
その言葉が本当になるから結果オーライになれるのでは???と思ったりしてます。笑
色々、思ったことをバーっと書いてみました!
そろそろ夏休みも終わって、大学が始まります。自信を付けるを1つの緩い目標にして頑張っていきたいです◎
それでは〜=͟͟͞͞🍣=͟͟͞͞🍣=͟͟͞͞🍣=͟͟͞͞🍣
死ぬの1日だけ延長しない?#あなたの言葉は誰かのヒカリ
こんにちは!
事後報告にはなりますが、8月31日のNHKラジオ第1にて放送された、悩める若者たちへの応援歌「自殺の問題考えませんか」という番組に出演させていただきました。
自死について考えたことがある当事者として、言葉の発信地ヒカリテラスで自死や生きづらさの問題を解決しようとする支援者として、色んな話をさせていただきましたし、ゲストの尾木直樹さんや小林エリコさんのお話から学ぶことも多い2時間でした。
このようなステキな機会を作っていただいたたくさんの方に感謝ですね♪
【お知らせ】
— 言葉の発信地 ヒカリテラス (@hikari_terrace) 2019年8月30日
明日の17:05からNHKラジオ第1にて放送される『悩める若者たちへの応援歌「自殺の問題考えませんか」』に、言葉の発信地ヒカリテラスのちはるが出演します。
お時間のある方はぜひ聞いてくださいね✨https://t.co/f3XauhzvF5#言葉の発信地ヒカリテラス#nhk悩める若者たち
「悩める若者たちへの応援歌」、お聴きくださった皆さんありがとうございました✨
— 言葉の発信地 ヒカリテラス (@hikari_terrace) 2019年8月31日
とても緊張しましたが、なんとか無事に終わることが出来てほっとしてます🎶
最後に、NHKさんからチコちゃんのハンカチをいただきました💓可愛い💓#言葉の発信地ヒカリテラス#nhk悩める若者たち pic.twitter.com/RQJOmG5Xmu
9月1日は、若者の自殺が一番多い日とされていて、ラジオの言葉を借りるなら「生きづらさ」の象徴ともなる日です。
私にとっては、何かわからないけど心が苦しくなる日、他人事として考えられない日ですし、私の中で一番に考え解決していきたい問題です。
だから毎年、ブログでは8月の31日にそういう関連の記事を書いているのですが、今年は書けなくて遅くなってしまいました。悔しい。
今日は、ツイートした言葉を元に今考えていることをサクッとお話したいと思います。
生きてほしいなんて、言えるわけない。
私は自殺できなかった身。
生きててよかったとまだ言えない身。
生きてて良いことあるなんて口が裂けても言えるわけがない。
世の中はありえないくらいに生きづらい。正直、誰が感じてもおかしくない。生きづらさは。
自殺対策白書の自殺要因の分類を見ると、「家庭問題」「健康問題」「経済・生活問題」「勤務問題」「男女(恋愛)問題」「学校問題」と分類されていて、戦慄しました。どんな場所やコミュニティにいても自殺の原因、生きづらさの原因になりうる。
そんな中で「人生に希望を持ってもらいたい」だなんて、私は無理。だって私も希望持てないもん。
だから、私には「生きてほしい」とは言えない。死ぬことが悪いこととも言えない。
だって人は死に向かって生きているし、いずれ死ぬ生き物だから。それを悪いとは言えない。(こんなこと言ったら多方面から怒られるかもね笑)
死んではいけない理由も何度も何度も考えたことあったし、哲学や神様の本をいっぱい読んだけど、腑に落ちる答えは見つからなかった。
だから、自分が納得言っていないことを他人にも押し付けたくない。
ただやっぱり、会ったことのない誰かかもしれないけど自分で命を終わらせてしまうことは苦しい。
誰にも救えることができなかった、辛さや苦しさを気づいて受け止めてあげられなかった、そんな冷たい社会にまたなってしまった。そんな風に感じる。
だから本当はやっぱり、「生きてほしい」。
でも、何も状況を考えずに「生きてほしい」なんて酷いことは言いたくないし、個人的には、自分で生死の選択をする権利はあると思っているから、
せめて、後悔ない状態で死んでほしい。
死後の世界はフィクションでしか知らないからあれだけど、後戻りはできないし。
だから伝えたいのは、「やり残したことない?」「やり残したことあるなら、死ぬの1日だけ延長しようよ」という提案。
「死ぬの先延ばし」を延長して延長しようよ。
「生きてほしい」とか言えた口じゃないけど、「死」を考えてる人に「今日だけ死ぬの先延ばしにして欲しいな」って思っちゃう。「やり残したことない?」って言いたくなっちゃう。
— ちはる (@c_shv2) 2019年8月31日
結局「生きてほしい」って言っちゃってるようなものだけど。
「生きよう」、それが正解かは分からないけど。
生きるには辛い世の中だよ。自殺対策白書の自殺原因の分類見たら「家庭」「健康」「経済・生活」「勤務」「恋愛」「学校」ってあった。生きてく中で全部やんって思った。
— ちはる (@c_shv2) 2019年8月31日
辛くて、どうしようもなくて、絶望するし、死にたくなる。でも生きることで変わることもある。幸せかはさておき。
私もやっぱり死について考えたし、正直今も「生きてて良かった」とは言い難い。
— ちはる (@c_shv2) 2019年8月31日
でも確実に、1番苦しい時に見えた世界とは全く違う世界を生きてる。それだけが今の私の希望。
好きなことをして、友達や仲間がいて、大学にも通えて、珍しい経験もできた。
「未来は明るい」なんて言わないけど、
ちょっとずつ、未来は変えていける。全部、自分次第。そうやって考えたら可能性の塊なんだよね。凄いことだよね。
— ちはる (@c_shv2) 2019年8月31日
死んだら、そこで終わっちゃうからね、ちょっと勿体ないかも。
今日出会った人は「死ぬことはいつでもできる」って考えが生きる希望だったらしい。あー確かにって思った。
だから、
やりたいこと、やり残したことやってからでも良くない?
— ちはる (@c_shv2) 2019年8月31日
だから、「1日だけ死ぬの先延ばしにしてみよう」って言いたい。
その先延ばしを毎日延長して、なんだかんだ生きてくれてたら嬉しいなって言う自己満!
私も「死ぬの先延ばし期間」延長し続けてるし、「生きてて良かった」と思えるまでは延長し続けたいな。ここまで来たら笑
— ちはる (@c_shv2) 2019年8月31日
だから一緒に生きよう。まずは生きてるだけでいいと思うんだ。元気になったら色んな思いを伝えて、気持ちを教えて。そうやってみんなで生きていこう。
正直ね、今の私って、果てしなくうざいと思うんですよ。何も知らないくせにって思うと思うんですよ。当時の私だったら絶対Twitterブロックしてたもん。
でも、それでも、やっぱり生きてほしいんですよ。私も「死ぬの先延ばし延長期間」の真っただ中を生きているけど。一緒に生きてほしいなって。仲間になってほしいなって。
「自殺」を考えたとき、その直前、本当に何も見えなかった。いかにどうやって楽に死ぬことができるか、早く終わらせることができるか、そんなことしか頭に浮かばなかった。
暗闇、未来なんか見えるわけもないし、明るいどころか光すら入ってこない。
後悔も何も浮かばなかった。死ぬことにいっぱいいっぱいで。でもどこかで「生きるのやめて本当に大丈夫?」って自問自答していた。
その自問自答こそが、見えない後悔が残っているサインだったのかもしれない。今思えば。
「私なんて生きる価値ない」「生きていいのかわからない」「もう消えてなくなってしまいたい」
そうやっていっぱいノートにも、スマホにも書き込んだ。わけも分からずにググったりもした。はじめてお父さんにも叫んだ。
そこでいろんな話をした。何も知らないくせにって内心思いながら。
でも「何も考えずにやりたいことやってみたら?」って言われて、あぁそうかって思った。せっかく死ぬなら、後悔なく死んだ方がいいなって思った。
そこから、何が好きかを見つけようとした。たまたま辞書と本とノートが転がっていて、言葉が好きだと思った。だからライターの仕事をしようと探した。
そこでGoogleで引っかかったNPOのライター募集を見つけて応募して、はじめて1人で東京に行った。
そこから少しずつ人生は、見える世界は変わっていった。
気づいたら、ライターとしてお金をもらっていたし、団体を設立して講演もしたし、インタビューされてラジオにも出た。「生きづらさ」について研究し始めたし、大学にも通ってるし、孤独だったけど仲間も友達もできていた。
自分次第で未来も、自分が置かれている環境も変えることができる。そして助けてくれたり、チャンスをくれたりする人が導いてくれる。
だから、今の私の希望と原動力は、未来は変えられること。そして「私の傷が誰かの知恵や力に変える」瞬間を発見すること。
正直、まだまだ「生きててよかった」とは言えない。
いじめや体罰のトラウマが抜けきらなくて、人が怖い時もいっぱいある。そのたび申し訳ないなって思う。
だからまだ、「死ぬの先延ばし期間」の延長を続けている。
まずは誰も来ないようにバリケードを作ろう。その後、耳栓とかイヤホンを付けて布団に潜り込もう。そしてしっかり寝よう。寝れなかったら、呼吸をすることだけ考えて、ぼーっとしよう。
まずはそこからでいい。呼吸するだけで素晴らしい。
元気になったら、言葉にしよう。苦しい、死にたい、もう無理。なんでも良いから言葉にしよう。私にぶつけてもいいし、Twitterとか匿名のどこかに投げ込んでもいいよ。
きっと誰かが気づいてくれる。
そこから、やり残したこと、やってみたかったこと考えてみよう。そしてまたどこかにぶつけて。
アイス食べたい、海に行きたい、つけま付けたい。なんでもいい。誰かが力になってくれるきっと。
そうやって、毎日毎日「死ぬの先延ばし期間」を延長しよう。きっと君がいる世界は変わっていく。
いろんな世界がある。いろんな人間が生きている。
きっと私たちが生きている世界は井戸の中だ。大海を知ってみようよ。
最後に
大人の皆さん、社会に生きている同志の皆さん、
どうか「死ぬの先延ばし期間」に力を貸してあげてください。
「生きててよかった」と思わせてください。言わせてください。
私もそこから、今の私になりました。
思いや気持ちに寄り添ってください。
いろんな世界やいろんな人間を教えて、体験させてください。
「学校に行く」「会社に行く」「教室で勉強する」「働く」それが当たり前とは限りません。それが世の中全員の幸せとは限りません。
だから、せめて後ろ指をささないでください。馬鹿にしないでください。
手と手を取り合い、みんなで支えていく社会になってほしいです。
「自己責任」で片づけず、「相互扶助」の精神を大事にする社会になってほしいです。
もっと心に寄り添いあえる優しく暖かい社会になってほしいです。
私はまだまだ社会も何も知らない若造だけど、
「そんな若造が何を言ってるんだ」と思うかもしれないけど、
それでも。私はそんな社会になればいいなと願っているし、そのために今、勉強しています。
「死ぬの先延ばし期間」を一緒に生きてくれる人が1人でも多く増えてくれますように。その期間を支えてくれる人が1人でも多く増えてくれますように。
ヒカリテラス、もう1年かぁ。#あなたの言葉は誰かのヒカリ
皆さんこんにちは!
夏休みの過ごし方がだんだん分からなくなるうちに、夏休みが終わってしまいそうな、忙しい日々を過ごしております。
まぁまぁ、ひとまず、今日は私が一応代表をしている「言葉の発信地ヒカリテラス」が1歳になりました!
1歳になったとはいえ、まだまだ成長過程の赤ちゃんのような「言葉の発信地ヒカリテラス」。それでも思いが詰まりに詰まった「言葉の発信地ヒカリテラス」。
これまでを振り返ってみたり、初心に立ち返ってみたりして、いろんなお話をしたいと思います。
言葉の発信地ヒカリテラスと歩んできた。
私が「言葉の発信地ヒカリテラス」を設立したのは、2018年のお正月ですが、メディアとしてスタートしたのは半年後の9月1日のことです。
漠然と言葉の力で「生きづらさ」を感じている人の力になりたい。その一心ではじまりました。
その思いが強くなっていったのは、2018年夏頃。若者の自死の話が問題になっていると他団体の大人の方と話した時でした。
若者の自死率の問題は、私にとって他人事に思えることの出来ない身近な問題でした。
私も自殺を考えていた1人だったから。
私に何ができるのだろう、私は何をしたいんだろう、、、。
ぐるぐると「若者の自死率の問題」、そして常に考えている「生きづらさの問題」を目の前にしながら考えていました。
言葉の力で、より多くの苦しい思いを持っている人と繋がることができたら。
言葉で繋がることで、「独りじゃないよ」「仲間がいるよ」って伝えることができたら。
「言葉の発信地ヒカリテラス」を今始めようと2018年8月に決意。
その時、ここで「言葉の発信地ヒカリテラス」を始めないと、後悔すると思いました。
大学生になってからじゃ遅いかも知れない、今やりたいって思いました。
そこから「言葉の発信地ヒカリテラス」のために2本の記事を書きました。
大学受験のための小論文よりも、エントリーシートよりも、勉強よりも、私はこの記事に力を入れていました。
私だから出来ることであること、私だから紡げる言葉にこだわること、に必死だったから。
特に「死に損ない」が伝えたいこと、という記事には、自殺について色んな思いを持ちながら書いた記事です。
どうしたら、自殺しようと思っている子の気持ちに沿いながら、「生きる」選択を見せたらよいのか。むしろ「生きる」選択をさせることは酷ではないのか。これを読んだらなんて思うだろうか。絶望しないだろうか。
「生きてほしい」でも、「生きてほしい」とは言いたくない。だからどんな言葉であるべきか、毎晩毎晩考えて書きました。
言葉の発信地ヒカリテラスで紡ぐ言葉は何よりも、
・自分の言葉にこだわりぬくこと
・自分の感情に嘘をつかないこと
を大事にしてきました。
ラジオも、記事も、みんなの正直な気持ちや思いが詰まっています。
だから言葉の発信地ヒカリテラスが大好きなんです。
だからもっと頑張ろう、できないことばっかりだけど頑張ろうと思えました。
ヒカリテラスの1年の中で、メンタルが絶不調の時も何度かあって、運営できない期間、何も手つかずな期間もありました。
でも、言葉の発信地ヒカリテラスで、「生きづらさ」にヒカリを照らせる言葉を発信していきたい、「生きづらさ」を解決したい、という思いが心の中でメラメラし続けているから、今も少しずつ挑戦を続けています。
そんなこんなでまだまだハイハイしている赤ちゃんのようなヒカリテラスですが、また来年には成長した姿をお見せできるようになりたいものです◎
#あなたの言葉は誰かのヒカリ
言葉の発信地ヒカリテラスのメディアが始まる以前から、SNS公募企画というものをやりたいと思っていました。
言葉によって生きるヒカリを見つけたり、言葉を紡ぐことによって出来ることを見つけた原体験から、
辛いときにちょっとの暖かい言葉があるだけで、少しだけ明日を生きる希望になる機会や環境がもっと増えたらいいなという思い。
そして、生きる価値がない、何もできないと思っている人でも、暖かい言葉を紡ぐことで、ちょっとの勇気で発することで、誰もが誰かのヒカリなれたり、ヒーローになれることを感じてほしいという思い。
この2つの思いから、SNS公募企画を通じて、たくさんの暖かい言葉があふれる場所を作りたいと考えていました。
そしてそのSNS公募企画の名前が、#あなたの言葉は誰かのヒカリ というわけです。
この企画名は、私にとって本当に本当に大切な名前です。
どれだけ些細な一言でも、その言葉に支えられることがあって。
どれだけ些細な口癖も、その言葉に嬉しい気持ちでいっぱいになる人がいて。
どれだけ当たり前のような挨拶でも、その挨拶が生きる活力になっていくこともある。
誰もが、言葉の力を持っていて、その力は直接作用されるものではないけど誰かの力になれる。当たり前のように思えて、実は素晴らしいこと。
ちょっとの言葉を発する勇気で、誰もが誰かのヒカリになれる。そして自分である意味を見つけうるかもしれない。
そんな思いを込めた大切な名前を、1年越しにようやく皆さんと共有できたことがとても嬉しいです、ヒカリテラスありがとう……。
ぜひたくさんの人の言葉が「誰かのヒカリ」になる瞬間を増やしていきたいなと思っているので、皆さんご協力よろしくお願いします◎◎
最後に私も、このブログやヒカリテラスを通して、誰かのヒカリとなる言葉を発信できたらいいなと思います。
いつも読んでくださってありがとうございます。書きたいことを書き連ねた雑記ブログですが、読んでもらい、見守ってもらっていることで私の勇気に繋がっています…♡
それでは、おやすみなさい!
ラッキーガールは、「紡ぎにすと」でいたい。
こんばんは!
いろんな嬉しい気持ちで心がいっぱいになってる、ちはるです♡♡♡
夏休み真っ只中で、何をしよう〜〜って感じ!すごくワクワクしています。
せっかくなら女子大生っぽいことがしたいし、感性揺さぶられるような経験もしたいし、大好きな作家さんの個展にも行ってみたい。写真も撮りたい!
最近は言葉の可能性について、再確認して心が舞い上がってるのでその話とか、ラッキーすぎて幸せだなぁって話とか!したいなぁと思っております。
ラッキーって幸せだなぁ。
私はつくづくラッキー、運が良いお陰で生きていけてるなぁと思います。
辛いことも苦しいことも人並みにあるけれど、それでも乗り越えてこれたのは、周りの人が優しくて、ラッキーをくれるからだと思ってます。本当に!
この夏も、色んなチャンスをくださった方がいるから、私の夢へとまた1歩近づくことができます。ありがたすぎる涙
今までは、ラッキーで運が良かっただけで色んなチャンスを頂いたり、色んなことをさせてもらっていたことに違和感を感じてました。(今も少しある。)
実力にそぐわないことをさせてもらってて、申し訳ないな。
私になんて力不足すぎて、本当にごめんなさい…。
みたいな感じで。
でもそれって、チャンスを頂いた人ややりたくても出来なかった人に失礼だなって。
最近は、そうやって思うことをやめてみようって思うようになりました。
実力にそぐわない、力不足なんて、目に見えてるのだからその分、誰よりも吸収して、出来るようになる。この子にチャンスをあげて良かったって思えるような人になる。
そしてチャンスをくれた人にいっぱい恩を返せるような力をつけたい。
チャンスをチャンスのままで終わらせていたから、「私は運が良かっただけに過ぎないんだ」って思ってたんだと思うんです。
チャンスを何倍にも色んなものに変えて、力にしていくことができたら、今度は実力で色んなことに挑戦できる気がします。
ラッキーであること、実力でないこと、運が良かっただけに過ぎないこと、は変わらないけれど、
その環境が幸せであることに感謝して、のびのび〜っと成長していけたらいいなって思います。
そして、チャンスは巡り合わせとタイミングだと思ってます。だから、きっかりチャンスを掴み取れるのも才能だと信じることにしました笑
ラッキーガールの力をくれた神さまに感謝。(安直すぎる笑)
言葉ってやはり可能性に溢れてる。
チャンスとチャンスが積み重なって、大きなチャンスを手に入れて、届けたい人に届けたい言葉が届く瞬間を今、感じている最近です。
私はメディアに関心を持ってて、今もメディア事業をしている会社のインターンをしているのですが。
そのきっかけは、言葉が好きだったこと、本に書かれていたオプラ・ウィンフリーの言葉に、そして新聞記事に載っていたメッセージに救われたことがありました。
編集部として、ライターとして、記事を書いていったり、ふと漠然と将来を考えたりした時に、
「言葉で、誰かの力になりたい。言葉で、苦しい思いをしている人の何かになりたい。」
って思ったんです。
漠然と言葉の力を信じたい、言葉の可能性を見出してみたい。そんなことを思っていました。
言葉はコミュニケーションツールでしかないでしょ、って言われたこともあったけど。
それでも、私にとって言葉は大きな力を秘めてるんじゃないかって信じてやまなかったんです。
最近、言葉の力ってこれなんじゃないかなって形が見えてきました。
言葉の力は、場所や時を超えて繋がる事ができることで活きていくのではないかなって。
それによって、普通なら繋がることも手を差し伸べることもできない人とも、言葉を媒介することで繋がり、手を差し伸べることは出来なくても、隣で共にいることはできる。
そして、言葉には人の心を動かすこともできる。誰かのきっかけになったり、原動力になる。
そう考えてた時に、場所や年代の壁を超えた誰かと言葉を介して繋がって、伝えたかった言葉が届いた瞬間を見ることができたのです…!(感動)
すごく、すごく、嬉しかった。
でも、こんな感動する出来事が、このブログを通じてたくさん起こっているのかもしれないって思うとすごくすごく感動。
やっぱり、言葉を「紡ぎにすと」でいたいなって思いました。
伝えたい気持ちや考えたことや感情を届けたい、たくさんの人とシェアしたい。
嬉しいことも悲しいことも、楽しいことも苦しいことも、シェアすることで「仲間だよ」「一緒にがんばろう」「こんな日もあるよね」って言葉で繋がって隣にいたい。
言葉の力で私にできることっていったら、これぐらいしかないかもしれないけど。
もっと成長して、大きくなったら、
社会にいろんな「生きづらさ」を抱えた人同士の共感の輪と、社会へ届ける理解の輪を、言葉によって広げられるようになりたい。
今もヒカリテラスで頑張ってますけど!もっともっと!!
言葉の力を信じていきたい。そして言葉の力で、隣に居られる人になりたい。
そう思いました!!おやすみなさい!!