ちーちゃんのブログ。

ポンコツ系エニートが言葉を綴る何でも日記。

私たちは幸せに生きる権利がある。

こんにちは!お久しぶりです!w

約1ヶ月ぶりですね、如何でお過ごしでしょうか?

私は、うん、何とも言えません。www

夏が苦手で、この時期はいつも心の波が大荒れ状態です。w

 

今日は、ひとまず伝えたいこと書きます。

私たちは幸せに生きる権利がある。ってこと。

 

幸せか不幸かは自分が決める

最近あちこちで見かけます。# 不登校は不幸じゃないってやつ。

この取り組みすごく好きです。社会全体が不登校の今を知ってもらえる、学校に行かないが当たり前の選択肢としてある未来になるきっかけになる良い試みだと思います。

でも、モヤモヤはすごく残る。なんか嫌な感情が沸き立つ。そんな気分を正直抱いてます。

 

私はハッシュタグの通り、不登校だった過去は、黒歴史っちゃ黒歴史だけど、その過去があることは不幸だと思ってません。

だってその過去があったから人の痛みや苦しみを理解したいと思えるし、寄り添える人間になりたいと思えたから。

その過去を持つことで、昔の私と同じ苦しみを持つ人に知恵を1つプレゼントできるから。

 

でもそれって、不登校じゃなくなったから当事者から経験者になったからだと思うんです。

不登校だった頃は、不幸じゃないなんて絶対言えなかった。

根も葉もない噂が流れて、関わりのない人からも嫌われたし、

自分の実力で掴み取ったものでも、周りからは有ること無いこと言われたし、

気付いたら、人が信用出来なくなって、友達もいなくなってた。

 

今でもその出来事は、不幸じゃないって言えません。

でも、その出来事を上回るくらいに、不登校だった事で得たことが多かったから、総体的に見て、不幸じゃないって思えるんです。

かと言って、幸せではないですけどね。w

 

何が言いたいかって# 不登校は不幸じゃないっていう文言は、

不登校じゃなくなったから言える話で、当事者はそう思ってない場合が高い。むしろ、当事者は苦しむ気がする。って事。

 

ぶっちゃけ、不登校は不幸じゃないって不登校じゃなくなった経験者の意見の押し付けじゃないですか。

って私は思っちゃう。(ひねくれ過ぎな私)

 

私は、不幸だった過去は、不幸だったって片付けていいと思います。

不幸だと思ってることを、不幸じゃないって片付ける方が苦しいんですよ。

大嫌いなピーマンを、お母さんが「あなたはピーマンが大好きだ」って暗示を唱えて口の中に入れようとすること一緒です。()

 

不登校は不幸だ、不幸じゃない、とか蚊帳の外が騒いだところで、

不幸か、不幸じゃないか、決めて受け止めるのは自分しかいないし、周りが決めつけるものじゃ絶対ないんです。

 

私たちは幸せに生きる権利がある。

私たちは生まれてからずっと人権という、人が人として幸せに生きていくための権利があります。

日本でも、海外に行っていたとしても、国際人権法というものがあるので、どこで生きていたとしても保障されている権利です。

 ただ、あくまでも、権利です。

義務ではないので、必ずしも「この人生を不幸だと思ってはいけない」というわけではないのです。

さっきも書いた通り、不幸か、不幸じゃないか、を決めるのは自分自身で、誰からも決められるものではない。だから不幸だったら不幸だと思うままでいいんです。

 

だって誰かからどんな感情を抱いているかを押し付けられて決めつけられるなんて、人じゃないじゃん。その誰かの所有物じゃん。

人が人として幸せに生きていくための権利が守られてないじゃん。

って思います()

だから、不幸だと思ってるからって悪いことじゃない。不幸だと思うことがいけない事って思ってしまうことが不幸だと私は思ってます。

 

でも私たちは、少なくとも私は、人権というものを持っているからこそ、どうせなら幸せに生きたいと思ってるんです。

でも今の社会は残念ながら、幸せに生きられる環境かと言われればそうじゃないとも思ってます。

だってやっぱり、電車乗ったらお尻触られるし、高校生だからってバカにされるし、不登校も、引きこもりも、精神疾患も、発達障害も、LGBTs、認知や理解がされていないからこそ、苦しいことをわかってもらえない。

だから私もそうだし、不登校だったり、LGBTsだったり、発達障害だったりを認知しよう、理解してもらおうと社会に出て、叩かれるかもしれないけど前に出て、たたかってるんです。

「私は不登校でした。」「私は精神疾患を患っています。」「私はこんな障害を持っています。」

こうやって言うのをためらってしまうほど、受け入れられない社会なんです。周りは何も知らないから。

でも、そんな社会じゃ、幸せに生きられないかもしれないって思うから、たたかうんです。ただの法律だけじゃなくて、社会からも、幸せに生きる権利を掴むためにね。

 

そう思っているから、# 不登校は不幸じゃないの活動を陰ながら応援しているし、多くの人のきっかけになればいいなと祈ってます。

でも、当事者の子や、苦しいことがあって不幸だと思っている子は、決して不幸だと思うことが悪い事ではないと伝えたいし、私はその感情をも大切にしてあげてほしいと思います♪

 

 

それでは、、!

ウダウダしてたら、深夜だし、寝れないわ。()

じゃあ!良いお盆休みをお過ごしくださいませ💕