「孤独」と「居場所」の話をしよう
「孤独」というものは「生きづらさ」を助長すると思ってる。
誰にも理解も共感もされない、仲間もいない。不安だし、生きてる社会が冷たく感じるし、息が出来ない感覚になる。
きっとそんな状況下が「生きづらい」で、「生きづらさ」を更に助長してるんじゃないかって。
私は、人が多い場所が苦手だ。竹下通りも、新宿駅の構内も、渋谷のハチ公前、清水寺の大きな坂道も。酷い時は、学校の子がお喋りしている廊下ですらも苦手で、吐きそうになっていたほど。
人酔いっていうか、行きかう人々の感情に酔ってしまう。
怒り、苦しみ、悲しみ、嫉妬、殺意とか、喜び、憧れ、安心、そういう感情がゴロゴロと転がってて、揺さぶられる。
知らないうちに、心も体も疲れ果てて帰ってきたりする。何故か、冷たくて、息が出来なくて、苦しい。
私だけ取り残された気分になる。並々ならぬアウェー感を覚える。
かといって、地元に帰ってきてからも、知り合いに会うたびに怖くて逃げてるから、私には「居場所なんてないんじゃないか」って孤独を感じた。
私は今も昔も、ずっと「生きづらい」。多分、虐められたとか、体罰にあったとかなんて関係ない。不登校になったのも、学校には「居場所がない」と感じたからなんだと思う。
外の世界を知らないだけだ、思い過ごしに違いない、そんな事ない。
誰からもそう言われた、私自身も何度も何度もそう思おうとした。
「孤独」は人の視界を暗く狭くしていくものだ。よく言われることで、だからそう思いたかった。
両親とか、塾の先生とか、相談員の人とか、色んな大人に話してみたりもした。でも大抵の人は「もっと苦しい思いをしている人がいる」「私の方が苦しい」って簡単に言う。
私の苦しみを理解してくれる人はもういないと思ってた。孤独だなぁって思った。息が苦しいなぁ、もう嫌だなって。
更に心にふたをして、塞ぎ込んでいった。
カウンセリングを受けても、せっかく相談にのってくれても、「何でもない」と言い張った。
私が感じる違和感も、苦しみも、息苦しさも、誰からも理解できるものでない限り、私の中でなかったことにした。
私の中で起きる不調や、違和感を無視して、でも周りの感情に揺さぶられて、その揺れだけは無意識に反応し続けているサマを見て、「からっぽ」と感じるようになった。
何が起こってるのかもわからない。ただただ悲しい。訳も分からずに泣き、叫び、怒り、私を傷つけた。
私は空っぽ。何もない人間。価値がない人間。
そっから変わりたかった。一歩でも前に進んでみたかった。その一歩までに何年もかかった。
その一歩がつい最近かもしれない。
未だに何も言えないけど、簡単に苦しいことも、今起きていることも言えないけど、居場所づくりというモノを通して変わろうとしている。
私が欲しいと感じた居場所をつくろうとしている。
共感と理解が生まれる場所を、孤独を和らげられる居場所を。
私がこの社会で生きていくために必要だと思った。
居場所づくりを始めた時は、私がどうしてこんなに苦しいのかわからなかった。何かわからないけど、無性に息苦しい、そんな感情を抱いていた。
勝手に、不登校になったからだ、引きこもりになったからだ、うつ病だったからだ、と決めつけていた。
本当の理由はもっともっと深いところにあった。
「孤独」と「共感」と「居場所」。
だから、「孤独」と「圧倒的な共感のある居場所不足」は「生きづらい」を助長するだろうし、
「生きづらい」は何かの病気、何かの障害とかに関わらず、そのような孤独を含めた苦しみ、辛さを感じたことで、社会参加が難しい状態を指すのではないかと思った。
そのように指した時に、誰しもが「生きづらい」と感じる可能性がある。「生きづらい」によって苦しむ可能性がある。し、「生きづらい」はマイノリティではないと思う。
だから、共感・理解が生まれる場所をつくることに意味がある。私にとっても、当事者にとっても、きっと社会にとっても。
傷を負ったからこそ、それは知恵にでも力にでも変えられる。
今は自信がないけど、正直めちゃくちゃ怖いけど。
ポジティブに、ハッピーに生きよう!前向きになろう!なんて言わない。いつか、そうなりたいけど、心が痛い。そんな居場所、私はお呼びじゃない。
出来るのは、理解と共感。寄り添うだけ。何もできない。だけど私はそれで充分。
上手く生きられなくて、不器用で、敏感で、弱くて、傷つきやすいなら、その傷だけでも癒せる場でありたい。また傷ついたら戻ってリスタートすればいい。
私はそれだけのために立っていたいなと思った。みんなが戻ってこれるように旗を持ってお留守番役をしたい。
そういう居場所をつくりたい。言葉の力で。リアルな世界で。
だって今、生きづらいから。居場所が少なくて、欲しいから。
私も一緒。生きるの自信ない。生きづらい。不器用。
だから、居場所づくりをしています。