「私の中では変わったとは思いません。」
こんにちは!
最近「お話を聞きたいです」とおっしゃってくださる方がいて、私や活動のお話とか、質問をいただいたりすることが増えてきました。
内心、嬉しいような恐縮なようなで、ビビってます。
私のブログを読んでくださる方や、活動のことを応援してくださる方、暖かく見守ってくださる方も最近になって増えてきて、なんだか嬉しいです。
いつもありがとうございます。
今日は私のブログに出てきたり、よく質問でもいただく内容だったりする
「自分自身で変わったと感じますか?」
「なんで変わることができたんですか?」
という問いについて、心の中を深堀りしていきたいなと思います。
このブログでは「変わった」とは言いますが。
結局の所このブログの目的として、私自身が私の中の心情や色んな部分の成長・変化を知ったり、私の人生の色を実感する、という所があります。
だから、ほんの微々たる変化や感情の起伏、人生の中のほんのちょっとの出来事も、このブログでは事細かに記しています。
その結果、よく「過去と比べて変わった」という表現をしている所が多いし、私と同じように不登校だったり、引きこもりの経験がある人や生きづらさを抱える人は「変わった」と感じると思います。
でも本当に変わったのは、私自身ではなく、私が生きてる周りの環境だと感じています。
このブログを初めて約2年が経とうとしていますが、環境がメキメキと変わっていく様子が文面からも分かると思います。
学校を転校したり、バイトをしたり、辞めたり、色んな大人と出逢ったり、団体を立ち上げて活動したり……。
でも正直言うと環境が変わったところで、そう簡単には変われないだろうし、変わってないです。w
どんな環境にいても、どんな肩書きを持っていても、どんなことをしていても、私は私でしかなくて。
感じていることも、悩んでることも、苦しんでいることも、思ってることも、持っている傷も、光も、何も変わることはなくて。
環境が変わることで、見える色も変わっていくけど、私という形に変化はないと感じてるので、私は変わってないと思います。
私が苦しんでいた時、周りの優しい人は
「時間が解決してくれる」
と言ってくれてました。
でも時間が解決してくれるものは、時間に制限があるものだけでした。
生きづらいと感じる心も、私の中の傷も、何もかもに打たれ弱い私自身も何も変わらないまま、環境だけが変わっていきました。
そう思ってるから、「私の中では変わったと思ってません。」と前置きを添えてお話することが多いです。
そういう反応を聞きたいわけじゃないと思うけど、誠意を持って話を聞いてくださる方には嘘はつきたくないので。
変わることは、それほど重要なのか。
昔から、私が持つ性格や気質があまり好きではありませんでした。その為、何度も「変わろう」と色んなことをしてきました。
性格を繕ったり、偽ったり、心の違和感、苦しみを我慢したり。
そんなことを繰り返す度に、色んな人に嘘をついている罪悪感や、本当の私を知ったら離れていくんじゃないかという恐怖心、私らしさが消えていく喪失感に心が耐えきれなくなったり、何か生きづらさを感じていきました。
そう簡単に人が変われないことはわかってる。
変わることで得られることはなんだろう。
変わって、どんな事が起きるんだろう。
私にはよく分からなかった。あれだけ「変わろう」と思ってやってみて、残ったものがあまりにもしょうもないものだったから。
もしかしたら、「変わる」ことよりももっと大事なことがあるのではないか。
今の私が思うに、深く知る、そして認めることが大事なことな気がします。
ゲームに例えると、ゲームに勝ちたいならまずは自分が使うキャラクターの特性、弱点を探る所じゃないでしょうか。
ゲームのキャラとかって、得意なものをやらせるとめっちゃ強いし、苦手なものをやらせると全然弱いんです()
実社会も同じだと思っていて、誰もが得意なこと、苦手なこと、特性とかを持っていて、得意なことはめっちゃ強いし、苦手なことは激弱なのではないかなと。
だから、自分を深く知る、得意なことも苦手なことも自ら認めてあげることが大事で。
環境が大きく変わって、いろんな景色を見てきた中で、私は変われなかったと落ち込んできました。
でも、それだけじゃなくて「変わる」こと以上に「私自身を受け止める」ことが大切であったり、人間として豊かになれるのではと考え、少しずつ挑戦してきました。
私自身を理解していくために、このブログを含めて、日記やノート、言葉を綴るという行動はとても重要なもので、何が苦手でどんなことが得意で、どのような性格を持っているのかを文面から探っていくことができました。
受け止めるまでには至ってないけど、大きな進歩だと感じています。
「変わってない」とは言っても何もしていないわけではなく、私を知るために挑戦を重ねた期間でした。
嫌いで、嫌いで、たまらない。
そんな時ばっかりで、本当に変えたくなる。
「こんな性格だから友達できない」
「こんなんだから、生きづらい」
いっぱい責めて、自己嫌悪に押しつぶされる。
どうしても「変わる」=すごい事、ってなってしまう事が多くて。
憧れてる人が完璧な人間に見えてしまって。
だから、完璧を目指したくなって。
自分の嫌なところしか見えなくなってしまって。
自分の嫌な部分をひたすら削り落として。
そうすると、自分の好きな部分すらも嫌な部分に見えてしまって。
また、削り続ける。
気づいたら、何も無くなってしまってる。
「変わる」ってなんかかっこいい。
「変われたら」きっとすごくなれる。
でも、本当に必要なことでしょうか。
今じゃなきゃいけないことでしょうか。
嫌かもしれないけど、自分を見つめてみることで、いびつで完璧でない自分を受け止めることが出来るかもしれない。
そしたら、もう削らなくていい。
「ありのまま」なんて、くさいこと言うべきじゃないけど。
私は「ありのまま」で生きていきたいと思いました。
今書いて気づいたけど、この心情の変化こそ「変わった」って事なのかな?w
それでも私は「変わってません」を突き通すと思いますが、読んでくださってる皆さんもそうだと思っておいてくださいw
キリが良いので、今日はこれにて!
いつも読んでくださりありがとうございます(*'ω')