ちーちゃんのブログ。

ポンコツ系エニートが言葉を綴る何でも日記。

肩書き「ただの人間」

こんにちは!

先日、まぶぃーず2周年イベントのトークセッションでお話してくれる子たちと打ち合わせをしました。

再出発というキーワードをどのように受け止めて考え、伝えていくか、というお話をしたのですが、打ち合わせの時点でハチャメチャに素晴らしかったです……!

真面目に聞きに来てほしいなぁと思いました!

 

世間話はさて置き、今日はどんな話をするかというと肩書きのようなものを持つと、そのままの自分を見てくれないよねーって話。世の常だろうけど。

 

「私」=「私」でしかないじゃん

 

ところで皆さん、私を何だとして認識しているでしょうか。

N高の子、ブログの子、まぶぃーずの子、不登校だった子、ヒキニートの子、おかしい子、マイプロの子、青春基地の子、ちーちゃん……。

色んな認識があるでしょう。色んな場所で関わってくださる方が多いですので。

 

でも最近、個人的にすごくその「○○な人」っていうレッテルというか肩書きのようなものに悩まされてたりします。

 

例えば自己紹介をする際に所属を言わないといけない時、「N高のちはるです。」と自己紹介しますよね。

そうするとN高というビッグワードによって、伝えたいと思ってるワードが全く伝わってくれてなかったり、

私として向き合ってくれる方がほとんど居なくなってしまうなぁと最近感じているわけです。

 

また、そのN高に転入した経緯を聞かれれば不登校の話をせざるを得ないので、ちょっと濁らせながらも話します。

ワードが出なくても、相手側がそう受け取ってしまった時点で、不登校の子というフィルターを貼られてしまいます。

すごく不登校というワード自体もイメージが先走りしすぎる印象で、勝手に可哀想だと決めつけられて「それはつらかったですね」「大変でしたね」と言われたり、距離置かれたりすることが多いです。

 

自分自身を知ってもらう上で、所属や肩書きのようなものをつけることはイメージに残りやすくするという点で大事なことなのかもしれませんが、私はあまり好きではないんです。

 

私として生きていたい身とすれば、私として向き合ってくれる方が居ないのはすごく悲しいのです。

 

ただの人間になりたかったり……

 

多分、大学生になったり、大人になれば、自ずと肩書きで自己紹介する時がいずれ来ると思うのですが、

日常生活とか今生きているうちはただの人間として、アグレッシブかつユルユルと過ごしていたいと言うのが本音です。

 

不登校について関わるのがもう嫌ってわけではないけど、元不登校として不登校について関わる現場に立つのは「もういいかなぁ」と思ってます。

それなら、元不登校ってだけでは出来ないスキルを身につけて「ただの人間、私」として、誰かの力になりたいです。

 

このブログだって、未来のN高生や後輩たちの力や不登校だったり引きこもりだったりと似たような境遇で苦しんでいる人の力になってくれたら、それは本当に嬉しいことです。

でも、N高の人だからでも、不登校の子、引きこもりの子だから誰かの役に立つんじゃなくて、そういう経験がある「ただの人間、私」として力になりたいです。

 

やっぱり、肩書きやレッテルのフィルターを貼られてる状態で見られていると、私はそういう人間である事が求められてるのかと思うようになったり、やりたい事でも出来る幅が狭くなってしまう気がしています。

 

これからも人生を歩み続けていく中で、色んな出来事があるだろうし、いろんな肩書きもレッテルも背負ったり、経験を積んでいくことでしょう。

でも、いろんな経験がある、ただの人間として、自身の心が心地良いと感じる方向性でやりたい事をしたり、誰かの力になったりと、緩く生きていけたらとても幸せだなぁと感じます。

 

今も私のことを○○な人と思って、接してくれている方も多いと思うし、それも幸せなことですけどね!

 

これから、ただの人間として生きてくために色んなことを学んで、習得し活かしたいなぁと思いまーす!

 

それでは!!