ちーちゃんのブログ。

ポンコツ系エニートが言葉を綴る何でも日記。

行動の物差しはどこに存在するのか。

こんにちは!ちはるです!

高校卒業ロスがすごくて、大学生になる実感も湧かないまま、大学のガイダンスに行ってきました。

優しい子が周りに多くて、めちゃくちゃ安心.....!

インターンも、先輩や同期のお兄さんお姉さんがとても優しくて、最近は忙しいけどとても楽しいです!

 

今回は、行動の指標である物差しについて、最近いろんなことを思うのでそのはなしをば。

 

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」

この言葉、恐らく私が小学校に上がった時から当たり前のようにボキャブラリーとして入っていた言葉。若いうちから知っている人も多いかと思います。

 

最近、行動の指標である物差しはどこに存在しているのか、どこに存在しているのがベストなのかを考えています。

どうしてかというと、安直に周りと同じようにしていれば間違いないと思っている人が多いんじゃないかと感じることが増えたからです。

 

例えば大人数のLINEグループで、自己アピールが多い人がいてその人を一人が責めたらみんなで袋叩きにする、一人がコミュニティのルールを破ったらみんなで破り始める、Twitterで一人が悪口を言ったら、それをに続くように悪口合戦が始まる。

 

悪いことだけじゃなくても、みんなが提出書類を持って行ってるから持っていく、みんながここに集まってるから向かうとか。

 

赤信号、みんなで渡れば怖くない精神はやっぱり、昔の昔から染みついているみたいです。私たちには。最近は少しずつ薄れつつある、多数派が正しいという考え方もまだまだ根深いのも関係はしていそうです。

 

どこで良し悪しを判断しているのか、自分の行動を何で判断して決定しているのか、どこを指標として、物差しとして行動しているのか。

 

多くの人が周りの誰かや、大多数を指標に行動を決定しているのなら、ちょっと怖い。

 

何も考えず、流されるまま行動することで、何も感じずに人を容易く攻撃できてしまうし、間違いであることに気が付かないまま、進んでしまうことだってあります。

 

また、その大多数の意見に固執することで、自分自身の幅を狭めたり、苦しめたりすることもあります。

 

だから、行動の物差しは自分の考えの芯の部分に存在しておくべきなんだと思います。

 

多数派であることだけで慢心しちゃいけない

この世の中、多数派のルートなら正解、多数派の意見が絶対だ、なんてことは少なくなりました。多数派であることで安心なんて言えなくなりました。

いろんな肌の色、いろんな性格、特徴、思考など、いろんなものを持ったもの同士が共存する世界で、お互いを尊重し合う世の中に変わっていっていますし、そのスピードはこれから更に増していきます。きっとね。

 

そんな世の中で、多数派であることに慢心していると、多数派という何かが無くなった時に、行動の指標の物差しを無くしたも同然になります。

物差しを無くして、どうやって善し悪しや行動を選択し決定するのか…。

 

多数派でいることは決して悪いことではないし、むしろよく有ることです。でも、周りと一緒だから、周りと同じだから、という安易な理由で行動決定する前に、一度、自分の物差しで考え、判断してみて欲しいです。

 

今やろうとしている事が、どんな影響があるのか、やった後どんなことが起こるのか、これは自分にとって正しい行いか。

 

多分じっくり考えれば、周りの意見があっても揺らがない自分の芯の部分が見えてくるはずです。

これは絶対にやらない、人に嫌な思いをさせない、自分の心が楽になる選択をする、など。

 

その芯を大切にしてほしい。そう最近はずーっと思ってます。

 

その自分の物差しが周りとメモリや大きさが違くても、周りから「有り得ない」と笑われても、それが自分の生き方になっていくはずです。

 

その考え方や選択が、自分自身の力になり、自信にも繋がっていくはずです。

 

そう信じて、私も自分の物差しを大事にしていきたいなと思います(* ´ ˘ ` *)

 

それでは〜❤