好きな見た目で、好きな私で生きていく。
こんにちは!電車に揺られて家に帰還している最中のちはるです。
やっぱり言葉を紡ぐのは落ち着きますね、好きなことの一つだし、私として生きてる心地がちょっとします。
最近は、授業中に先生たちがふと口に出すステキな言葉をノートに書き留めるのが好きです。
実は記憶力がとても乏しく(単純記憶とか)、覚える歴史系の授業は得意ではないのですが、政治史の先生の言葉のセンスが好きで、授業に出るのが少しだけ楽しくなりました。
あとは私の関心分野にぴったりハマる憲法の先生の言葉(というよりお話)も好きで、割と頑張って通ってたりしてます。
今日は、この前、憲法の先生が話していた内容から私が思ったこととかウダウダ書いていけたらなぁと思います。
# KuToo
この前、憲法の授業の冒頭に話題に上がったキーワードです。
ネットニュースを見たり、Twitterから流れてきたり、よく目にしていたワードだし、私の中でも興味や関心のある内容だったので、その話から感じたことや思ったことをノートに書き込んでいました。
# KuTooと言うのは、就活や仕事で、女性にヒールのある靴を強要するのはおかしい、みたいな話で。(多分そう)
そこから、その授業では、女性らしさや男性らしさってなんだろう、そのらしさを自らが表現したいと思って身にまとっているなら良いけど、強要されるのはきっと違うよね、みたいな話をしたんですね。(多分)
元々、ヒールのある靴、特にハイヒールは「女性が一人では生きられない、男性に守られなければ生きていけない生き物である」とイメージさせるように作られた靴だって話を聞いたことがありました。
だからハイヒールって歩きやすいように作られていないんですね。重心がつま先に集中するせいで足元が不安定ですし、履き続けていたら足の骨格が変形したりもします。
それで、ハイヒールを履くことを就活やフォーマルな場でのマナーにすることは、一人では生きていけないようなか弱い女性らしさや女性であることを強要していることに繋がるのでは?って思ったり思わなかったり。
そんなこと言っても、ハイヒールが好きな人や、女性らしいガーリーやフェミニンなファッションが好きな人は履き続けるんだろうなぁとも思うわけです。でもそれは全然OKですよね。?
この問題で、何が一番問題かって、女性が辛くて痛いハイヒールを履くことではなく、社会や見えないルールやマナーから、女性がハイヒールを履くことを強要されることや、女性がか弱い女性らしさを表現することを強要されることです。
だから、ハイヒールを履きたいなら履いたらいいし、それが男性でも女性でもいいし、履かなくてもいい。
ガーリーやフェミニン系のファッションだって、好きなら着たらいい、そのファッションが好きな理由が、女性らしさをアピールしたいでも、そうでなくても、好きなことに胸を張っていい。
でも女性は社会に女性らしさを表現したいから、オシャレをして、メイクをして、ハイヒールを履いているわけじゃないです。それが当たり前ではないです。
そして、女性だけじゃなく社会に生きる人全てが、好きな見た目で好きな私で生きていってもいいのです。
きっとこれを、人権で言うところの表現の自由と言うのですが(使ってみたがり)、好きなことを、自分自身で表現する自由だってあるんだって思います。
好きなものをまとえば、好きな私になれるはず
「何のために、好きなお洋服を着て、メイクをするの?」ってもし聞かれたら、私はきっとこう答えると思います。
「私を好きになって、自信を付けたいから。」
ファッションがマナーだとか、誰かのためとか、言う人もいるかもしれないけど。○○ウケとか雑誌とかで書かれるくらい、誰かのために感が強いけど。
私は、私が私自身を好きになるためにオシャレをするんだと思います。
メイクをすると「今日も頑張ろう!」って思えてメラメラ出来るし、可愛いお洋服を着れば、外に出るのが怖くても外に出られる。大きなチャンスに震えても好きなものを身にまとえば、チャンスを掴める?
それくらい、私に大きな影響を与えてくれるものだったりします。
好きなものを身にまとうことで、自ずとなりたい私や、好きな私へと変われるのです。
好きな私で生きることが、生きていく上で、安心になり、盾になり、力になるのです。
私は、高校生のときに女性向けのメディアでファッションやメイクなどの記事を書くライターをするくらい、可愛いものやオシャレというものが大好きでした。
いわゆる赤文字系と呼ばれるようなガーリーでフェミニンなファッションも、
柔らかいピンクブラウンのアイシャドウや、ぷるぷるなリップも大好きです。
初めて働いたお金で、コスメを買い、可愛いワンピースとバッグを買った時、胸がトキメキでいっぱいに溢れました。今でも忘れない。
そんなトキメキでいっぱいになったコスメでメイクをして、ワンピースとバッグを身にまとった時、好きな私で生きることに喜びを感じることが出来たんです。
好きな私で生きることは、私として生きるための勇気に繋がったのです。
それがいくら、外見から入っていたとしても。
好きなものが、可愛らしい女性らしさのある、一歩間違えたら「ぶりっ子」や「媚び売り」になりそうなものであっても。
それは誰かのためではなく、私のため。
私のためだけの社会で生き抜くための戦闘服だったわけです。
こんなにも自由にお洋服を身にまとえるのは、学生という身分だからなのかもしれませんが。
いつか、好きな見た目で、好きな私で生きてく、が増えていったらいいなぁなんて思いました。
女性らしさを強要されることなく、社会の当たり前を押し付けられることなく。
表現したい私を、好きなもので表現し、愛してあげられるようになったら、ステキですね。
それでは、おやすみなさい( *´꒳`*)