ちーちゃんのブログ。

ポンコツ系エニートが言葉を綴る何でも日記。

死ぬの1日だけ延長しない?#あなたの言葉は誰かのヒカリ

こんにちは!

事後報告にはなりますが、8月31日のNHKラジオ第1にて放送された、悩める若者たちへの応援歌「自殺の問題考えませんか」という番組に出演させていただきました。

自死について考えたことがある当事者として、言葉の発信地ヒカリテラスで自死や生きづらさの問題を解決しようとする支援者として、色んな話をさせていただきましたし、ゲストの尾木直樹さんや小林エリコさんのお話から学ぶことも多い2時間でした。

このようなステキな機会を作っていただいたたくさんの方に感謝ですね♪

 

9月1日は、若者の自殺が一番多い日とされていて、ラジオの言葉を借りるなら「生きづらさ」の象徴ともなる日です。

私にとっては、何かわからないけど心が苦しくなる日、他人事として考えられない日ですし、私の中で一番に考え解決していきたい問題です。

だから毎年、ブログでは8月の31日にそういう関連の記事を書いているのですが、今年は書けなくて遅くなってしまいました。悔しい。

 

今日は、ツイートした言葉を元に今考えていることをサクッとお話したいと思います。

 

生きてほしいなんて、言えるわけない。

私は自殺できなかった身。

生きててよかったとまだ言えない身。

生きてて良いことあるなんて口が裂けても言えるわけがない。

 

世の中はありえないくらいに生きづらい。正直、誰が感じてもおかしくない。生きづらさは。

自殺対策白書の自殺要因の分類を見ると、「家庭問題」「健康問題」「経済・生活問題」「勤務問題」「男女(恋愛)問題」「学校問題」と分類されていて、戦慄しました。どんな場所やコミュニティにいても自殺の原因、生きづらさの原因になりうる。

 

そんな中で「人生に希望を持ってもらいたい」だなんて、私は無理。だって私も希望持てないもん。

 

だから、私には「生きてほしい」とは言えない。死ぬことが悪いこととも言えない。

 

だって人は死に向かって生きているし、いずれ死ぬ生き物だから。それを悪いとは言えない。(こんなこと言ったら多方面から怒られるかもね笑)

死んではいけない理由も何度も何度も考えたことあったし、哲学や神様の本をいっぱい読んだけど、腑に落ちる答えは見つからなかった。

 

だから、自分が納得言っていないことを他人にも押し付けたくない。

 

ただやっぱり、会ったことのない誰かかもしれないけど自分で命を終わらせてしまうことは苦しい。

誰にも救えることができなかった、辛さや苦しさを気づいて受け止めてあげられなかった、そんな冷たい社会にまたなってしまった。そんな風に感じる。

 

だから本当はやっぱり、「生きてほしい」。

でも、何も状況を考えずに「生きてほしい」なんて酷いことは言いたくないし、個人的には、自分で生死の選択をする権利はあると思っているから、

せめて、後悔ない状態で死んでほしい。

 

死後の世界はフィクションでしか知らないからあれだけど、後戻りはできないし。

 

だから伝えたいのは、「やり残したことない?」「やり残したことあるなら、死ぬの1日だけ延長しようよ」という提案。

 

「死ぬの先延ばし」を延長して延長しようよ。

 

正直ね、今の私って、果てしなくうざいと思うんですよ。何も知らないくせにって思うと思うんですよ。当時の私だったら絶対Twitterブロックしてたもん。

 

でも、それでも、やっぱり生きてほしいんですよ。私も「死ぬの先延ばし延長期間」の真っただ中を生きているけど。一緒に生きてほしいなって。仲間になってほしいなって。

 

「自殺」を考えたとき、その直前、本当に何も見えなかった。いかにどうやって楽に死ぬことができるか、早く終わらせることができるか、そんなことしか頭に浮かばなかった。

暗闇、未来なんか見えるわけもないし、明るいどころか光すら入ってこない。

 

後悔も何も浮かばなかった。死ぬことにいっぱいいっぱいで。でもどこかで「生きるのやめて本当に大丈夫?」って自問自答していた。

その自問自答こそが、見えない後悔が残っているサインだったのかもしれない。今思えば。

 

「私なんて生きる価値ない」「生きていいのかわからない」「もう消えてなくなってしまいたい」

そうやっていっぱいノートにも、スマホにも書き込んだ。わけも分からずにググったりもした。はじめてお父さんにも叫んだ。

 

そこでいろんな話をした。何も知らないくせにって内心思いながら。

でも「何も考えずにやりたいことやってみたら?」って言われて、あぁそうかって思った。せっかく死ぬなら、後悔なく死んだ方がいいなって思った。

 

そこから、何が好きかを見つけようとした。たまたま辞書と本とノートが転がっていて、言葉が好きだと思った。だからライターの仕事をしようと探した。

そこでGoogleで引っかかったNPOのライター募集を見つけて応募して、はじめて1人で東京に行った。

 

そこから少しずつ人生は、見える世界は変わっていった。

気づいたら、ライターとしてお金をもらっていたし、団体を設立して講演もしたし、インタビューされてラジオにも出た。「生きづらさ」について研究し始めたし、大学にも通ってるし、孤独だったけど仲間も友達もできていた。

 

自分次第で未来も、自分が置かれている環境も変えることができる。そして助けてくれたり、チャンスをくれたりする人が導いてくれる。

 

だから、今の私の希望と原動力は、未来は変えられること。そして「私の傷が誰かの知恵や力に変える」瞬間を発見すること。

 

正直、まだまだ「生きててよかった」とは言えない。

いじめや体罰のトラウマが抜けきらなくて、人が怖い時もいっぱいある。そのたび申し訳ないなって思う。

 

だからまだ、「死ぬの先延ばし期間」の延長を続けている。

 

まずは誰も来ないようにバリケードを作ろう。その後、耳栓とかイヤホンを付けて布団に潜り込もう。そしてしっかり寝よう。寝れなかったら、呼吸をすることだけ考えて、ぼーっとしよう。

 

まずはそこからでいい。呼吸するだけで素晴らしい。

 

元気になったら、言葉にしよう。苦しい、死にたい、もう無理。なんでも良いから言葉にしよう。私にぶつけてもいいし、Twitterとか匿名のどこかに投げ込んでもいいよ。

きっと誰かが気づいてくれる。

 

そこから、やり残したこと、やってみたかったこと考えてみよう。そしてまたどこかにぶつけて。

アイス食べたい、海に行きたい、つけま付けたい。なんでもいい。誰かが力になってくれるきっと。

 

そうやって、毎日毎日「死ぬの先延ばし期間」を延長しよう。きっと君がいる世界は変わっていく。

 

いろんな世界がある。いろんな人間が生きている。

きっと私たちが生きている世界は井戸の中だ。大海を知ってみようよ。

 

最後に

大人の皆さん、社会に生きている同志の皆さん、

どうか「死ぬの先延ばし期間」に力を貸してあげてください。

「生きててよかった」と思わせてください。言わせてください。

 

私もそこから、今の私になりました。

 

思いや気持ちに寄り添ってください。

いろんな世界やいろんな人間を教えて、体験させてください。

 

「学校に行く」「会社に行く」「教室で勉強する」「働く」それが当たり前とは限りません。それが世の中全員の幸せとは限りません。

だから、せめて後ろ指をささないでください。馬鹿にしないでください。

 

手と手を取り合い、みんなで支えていく社会になってほしいです。

「自己責任」で片づけず、「相互扶助」の精神を大事にする社会になってほしいです。

もっと心に寄り添いあえる優しく暖かい社会になってほしいです。

 

私はまだまだ社会も何も知らない若造だけど、

「そんな若造が何を言ってるんだ」と思うかもしれないけど、

それでも。私はそんな社会になればいいなと願っているし、そのために今、勉強しています。

 

「死ぬの先延ばし期間」を一緒に生きてくれる人が1人でも多く増えてくれますように。その期間を支えてくれる人が1人でも多く増えてくれますように。