ちーちゃんのブログ。

ポンコツ系エニートが言葉を綴る何でも日記。

「ともだち」が怖いって話。

こんにちは!

今日は中学の頃から仲良しだった子と「Flowers by Naked」というイベントに行ってきました。

 

このイベントは昔から行きたいと願っていて、ようやく念願が叶いました。

わがまま聞いてくれて本当に嬉しい……。

 

さてさて、今日は「ともだち」という表現について思ってること書かせてくださいね。

 

「ともだち」って怖い。

私は「ともだち」という言葉に恐怖心を持っています。

 

小学校の頃に1番仲良かった「ともだち」にいじめられてから、

「ともだち」という存在を作ることを放棄してきたからです。

 

どうせ裏切られて心が痛むのなら、もう要らない

 

「ともだち」なんて信用できない

 

なんて思いながら過ごしていました。

 

(「そんな昔のこと、いつまで引きずってんの?笑」と思う方もいるかと思いますが、人間って嫌な思い出ほどしぶとく残り続けるものですよ。ふふ。)

 

 

でも高校を転校して、その考えを変えてくれるような出会いがありました。

 

一緒にいるだけで楽しかったり、心が落ち着いたり、素の自分を出せたり、そういう人達とたくさん出会いました。

 

これが「ともだち」ってことなのかなぁと思うようになったわけです。

 

でも「ともだち」ってどうなれば「ともだち」なんだろうと考えるようになりました。

 

「ともだち」という表現は、人によって尺度が全然違くて、

 

もし仮に自分自身が「ともだち」だと思っていたとしても、相手は「ともだち」ではなく「顔見知り」や「知り合い」という関係だと思ってる場合もあるなぁと。

 

だから簡単に「ともだち」という表現を使えなくなりました。

 

自分だけが「ともだち」だと思ってて、相手に迷惑かけるのは嫌だから。

 

「ともだち」だと思ってても相手がそうでなかったら、傷つくのは自分だから。

 

そもそも「ともだち」と特別な目線で見て、また裏切られたり、嫌われたら、また人を信用できなくなるから。

 

こういうブログやTwitter、全く関係ない第三者との会話など、文字数が限られたり、「ともだち」だと思っている人の視線がない場合は、

便宜上「ともだち」という表現を使いますが、

 

実際、「ともだち」という表現を使ったり、「ともだち」と思うことをやめました。

 

人を信用することが難しい私にとっては、「ともだち」という表現はハードルが高すぎるのです。

 

「ともだち」を使ってないから、嫌いというわけじゃない

 

ただ「ともだち」という表現を使わないからと言って、色んな人に無関心とか信用したくないとかってわけではないのです。

 

むしろ、関心があり、信用したいと思っているからこそ、「ともだち」という表現ができないのです。

 

だから「ともだち」と思うことができないのです。

 

私の中で、そういう人たちのことは「ともだち」ではない言葉で表してます。(思ってます。)

 

例えば、

言葉の発信地ヒカリテラスやまぶぃーずのメンバーのことは、「仲間」「大切な人」と表します。

マイプロで出会った人たちもそう思ってます。

 

学校でのそういう類いの人のことは、「仲良くしてくれる子」「仲良くなりたい子」と表します。

 

そうやって考えると「ともだち」と思っていることに違いはないのですが、

「ともだち」という表現に対して、あまりにも恐怖心が強く使いづらいです。

 

だから今回も、「友達」ではなく「ともだち」という言葉を使ってるんです。

 

 

ただもう最近、大学の交友関係に関しては「仲良くなりたい」とも思ってはいけないんじゃないかと考えてしまうほど、恐怖と不安でいっぱいです。

 

仲良くなりたいけど、ともだちを作ろう、信用しようと働きかけたことがないから、どうしたらいいかわからないでいます。

 

迷惑なんじゃないかな、ウザイんじゃないかな、とか考えれば考えるほど、ドツボにハマって動けません。これが今の状況です。

 

こういう感じで思っていることと裏腹に進んでいってしまうこともわかってるんですがねぇ〜…笑

 

どうしたら「ともだち」って思えるようになるんだろう

 

どうしたら「ともだち」として関われるようになるんだろう

 

悩みは尽きません。2年生になる前に干からびちゃいそうだ。

 

 

人間関係って本当に難しいですね。常に感じてます。

 

 

おやすみなさい。!