ちーちゃんのブログ。

ポンコツ系エニートが言葉を綴る何でも日記。

20になる私はもう「不登校当事者」なんて言えないかも。

こんにちは。かれこれ長いこと不登校について語ってきてるんだなぁとしみじみしています。

 

私が不登校生活をスタートしたのは、今から7年も前のことになるんですね。逆に終止符を打ったのは今から4年前。

 

歳を重ねるにつれてたったの数年はあっという間だと言いますが、もうとっくに昔の出来事なんだと感じます。

 

今日は当事者意識の話を書きますね。

 

 

何を以て当事者なんだろう。

 

まず当事者という言葉は、

その事に直接関係を持つ人のこと。また、起きている物事を直接体験し、影響を受けた人のことを指します。

 

はっきり言うと、不登校当事者だとどんな時も言い切って大丈夫なようです。

 

ただ、現在進行形で不登校という訳ではないので、普通に生きていけば、不登校だった時の話は過去に過去にしまわれていくわけです。

 

そうやって過去へとしまわれていく中でも、

他の不登校生は、今不登校生として何かしらの影響を受けていて、

 

その影響は、過去の私と今の不登校生ではまた違うものである時、

 

同じ境遇だった、同じ経験をした当事者同士になりうるのかと考えてしまいます。

 

不登校になった経緯、不登校時代の苦しい記憶や心の傷は消えるわけはありません。

 

時間が解決してくれるんじゃないかと思ったこともあったけど、傷は薄くもなってはくれませんでした。

 

だから、記憶が薄れていくわけではないんです。

 

でも、人間の記憶って自分の都合の良いように書き換えてしまえるデタラメなものですし、

 

社会や私たちを取り巻く環境は、日々刻々と変わっていくから、昔と今では不登校生が受ける影響も変わっていく。

 

私はそんな古い不登校当事者としての思いを抱きながら、今この瞬間に苦しんでいる不登校生に、

 

寄り添う気持ちがあったとしても、当事者として寄り添えるのか。時代が違えど、共感できるのか。

 

疑問点がポツポツと出てくるのです。

 

 

「当事者」だったからできること

 

昔、元不登校として活動していた時、大人の人にこんなことを言っていました。

 

「私たちは当事者だからこそ、共感ができ寄り添えます。それが一番の強みです。」

 

今でもそう思うことがあります。

 

不登校だったり、引きこもりだったり、体罰を受けたり、辛い思い出を経たことで、

似たような経験をした子の気持ちが、経験していない人に比べて理解ができて共感ができます。

 

でも、いつまで通用するんだろうとも思ってます。

 

別に「当事者」にこだわり過ぎることもないんじゃないかとも考えました。

 

だから、ちょっと昔の「当事者」として、できることはなんだろう。

 

不登校生や生きづらさを抱える若い人に向けて、できることを増やすにはどうしよう。

 

と今は思っています。

 

現在進行形でやっていることでもっと役に立てそうなのは、

 

不登校ということに対し、不安になっている人に向けて、ロールモデルを発信すること。

これは、言葉の発信地ヒカリテラスでもやりたいことの1つです。

 

私の人生をもって、色んな人の生き方を教えてもらって、ロールモデルを増やしていきたいです。

 

不安の渦中に居る人には届きづらいかもしれません。でもスマホの画面で検索できるようになった時に届いてくれたら幸せかもなぁ……。

 

 

あとは、不登校生や子どもが持つ権利を学ぶこと。

 

私は「学ぶ権利」があり、学校でなくても勉強する機会は確保されることを知っていたラッキーな不登校生でした。

 

だから高校や大学に進学することもできました。(そうじゃなくても行けると思うけど。)

 

不登校生を持つ親御さんが陥ってしまうのは、

 

この先、息子さんや娘さんが生きていけるのだろうか、という心配からくる焦り。それによるプレッシャーかと思います。

(私の両親の例:「全日の高校行かなきゃ働けない」「通信制高校なんか卒業できない」「中卒なんか働き口がない」「学校にも通えないようじゃ社会で生きていけない」など)

 

親子共倒れになってしまいそうなくらい、家族みんなが精神的に苦しくなってしまいます。

 

それをサポートするための知識が必要で、その知識を発信できるようになりたいですね。私が救われたように。

 

 

あともう1つは、「生きづらさ」に関する知識をつけること。

(いや圧倒的にやりたいことだけど。ただの。)

 

理解することに置いて、知識や勉強は必要なことだと思っています。

これまでは「当事者」だからわかると疎かにしていたけど、「当事者」であることに慢心しすぎては良くないと思って、勉強しようと思いました。

 

特に「生きづらさ」と深く関わっているであろう「居場所コミュニティ」や「自己肯定感」についてはもっと文献を読み漁りたいです。

 

知識がつけば、より寄り添えるだけではなく、次に進むためのサポートを考えたり、手を差し伸べたりもできると思います。

 

今はこの状態だから、少し経過すればこれができるようになるかもしれないから勧めてみよう。みたいな思考が生まれたら強いなぁって感じです。()

 

 

 

 

当事者だったという肩書きに持たれすぎず、自分の気持ちや思いと勉強してつけた知識をもった大人になりたいってことです。

 

当事者であることは永遠に消えないと思います。今もなお、不登校だった時のトラウマに苦しんでいるのだから。

 

でも、当事者である意識は薄れていくかもしれません。記憶はわりと曖昧なので。

 

 

当事者であることは強いことには変わりはないけど、必殺技程度ではありません。

 

当事者だからといっても、それぞれの生き方があり、それぞれの苦しみがあり、それぞれの経験があるので、当てはまらなきゃ共感こそできません。

 

もう20になるし、私は「当事者」とは言い難くなってきたので、

「当事者」であることに慢心せず、知識をつけることで、更に考えて行動できたらなと思います。

 

おやすみなさい。