ちーちゃんのブログ。

ポンコツ系エニートが言葉を綴る何でも日記。

なりたい私になれてる?

こんにちは!

大学がオンライン講義になり、N高を懐かしむ毎日を送っています。N高の授業システムがなんだかんだ良すぎて、N高に再入学したいとさえ思ってしまいます笑

 

オンライン講義はさておき、最近はあまりの精神衛生の悪さに付随してブラッキーで病む病むプリンな毎日です。

 

今日は私が憧れてた生き方について、綴っていこうと思います。

 

 

「人間らしい」に憧れてた

 

私は、これ以上自分を殺さずに生きたいな、自分らしさを保って生きていきたいな と思った頃から、人間の持つ様々な感情を 人間らしくて美しい! と感じて、

 

私自身もそんな人間らしい生き方をすれば、私を好きになれるかもしれないと、そういう生き方をしたくて頑張ってました。

 

 

このブログを読んでくださる方やTwitterを見てくださる方のほとんどは、私のことをとても素直です人間臭いなと思ってくださるでしょうが、

 

ブログやTwitterは、私の感情を表に出すトレーニングのようなものでした。

 

 

高校を退学するまでは、私自身の無個性コンプレックスや感情の鈍感さにずっと悩んできていて。

 

モヤモヤした感情はなんなんだろうと思ったり、うまく感情を消化できない、感情の波を察知できない私自身に苛立ちを覚えたり、それ故に味気ない人間であることに酷く落ち込んだり……。

 

「まじ私って生きてても死んでても変わんねぇな。」

 

希死念慮があった高校1年よりも前から、死にたいなんて思わなかった頃から思ってました。

 

 

だから、自分の感情を表現したり、曝け出したり、伝えることが出来る人間に憧れを抱きました。

 

 

「感情があるって人間らしくて美しいな。」

 

とも感じはじめました。

 

 

 

私には表現できる技法が、書き言葉しかなかったから、ブログとTwitterでトレーニングしました。

 

私自身の持っている感情や考えていることを見える化するトレーニングです。

 

 

ブログを書いて、Twitterで呟いて、感情が高ぶって涙する瞬間が1番、私が好きな人間らしく居られたし、私が生きてると実感出来ました。

 

 

嬉しいことも楽しいことももちろん、苦しかったことや悲しいこと、全ての感情が溢れる一瞬いっしゅんが人間臭くて、大好きでした。

 

 

兎に角、人間らしく、様々な感情を殺さずに生きることに大きな憧れを持っていたんです。

 

 

昔の私に逆戻りした?

 

それでずーっとブログを続けて、Twitterでも書いて、時たま話す機会があれば話して、そういう生活をしていたら、

 

言葉が認められるようになりました。

 

それはある意味、私の感情や思考、人生が認められるような、そんな感覚がありました。

 

だから天にも登るかのように嬉しかったです。

 

高3までは。

 

考える時間も物思いに耽る時間もたくさんあって、湧き出てくる感情もたくさんありました。

 

だから言葉を紡ぐことを容易だったわけです。

 

最近になって、

考える時間も物思いに耽る時間も無くなって、目先のことにしか目が向かなくなっている、感情を見失ってる私ばかりが浮かぶようになりました。

 

「あれ、なりたい私に近づいてたのに遠ざかってる?」

 

感情を見ることが怖くて、蓋をすることが増えるようになりました。

 

 

社会では受け入れられないから。

 

見せることで人が離れていくから。

 

醜さに私自身が苦しむから。

 

 

でもそれは、昔の私がやっていた「仮面を被る」ことなんじゃないのって、また怖くなりました。

 

それに私自身が感じていた「持っている感情を認められない生きづらさ」を自ら倍増させている気がしました。

 

 

仮面を被ることをやめよう。

 

感情そのものを受け入れよう。

 

私を好きになろう。

 

そうやって決意した昔のことを忘れてたんだなぁって悲しくなりました。

 

でも、なりたい私というのは変わってはなくて。

まだまだ「人間らしい私になりたい」という思いは健在で。

 

 

不器用なりに、人間らしい通り越して人間臭く生きていた私が、正直とても恋しいです。最近。

 

 

ここ最近、 気分が落ちていて、前向きな言葉を書いて終わりにしようと思っても、気持ち悪くて書けないんですけど、

 

誰のための私でもないし、人生でもないんだから、私の向くまま、でも好きな私で生きていけたらなぁと思います。

 

 

こんなブログにする予定だったっけ?笑

 

まぁともかく、今日はこれにて〜!