ちーちゃんのブログ。

ポンコツ系エニートが言葉を綴る何でも日記。

「やらない」と「できない」は違うもの。

こんにちは!ちはるです。

 

つい先日、ものすご~くラッキーな出来事がありました。

公な場所で話せる内容ではないのでブログでは憚らせてもらいますが、

私がブログを始めてなければ、皆さんが読んでくださらなければ、周りの人が私にチャンスをくださらなければ、このラッキーな出来事はなかったと思います。

 

改めて私は、今こうして好きなことをしてパッションを感じながらも、心穏やかに生きていられること、そしてたくさんのチャンスに恵まれていることを幸せに感じています。

 

まだまだ未熟ですが、いつもブログを通して見守り、応援してくださる皆さんに感謝してもしきれません。涙 いつもありがとうございます。

 

最近は「やらない」と「できない」の違いについて考えているので、そのお話をば。

 

不登校にも色々あるよね。

最近、また不登校の話題がでてきました。「不登校は不幸じゃない」ってYoutuberの男の子が言っているやつ。

私、あんまり気乗りしません。

「子どものくせに何言ってるんだ」「社会を甘く見すぎだ」とか思っているわけでは一切なく、何故だか、すごく心苦しくて、悲しくて。

言っていることも正しいし、やっていることも素晴らしいことは重々理解しているつもりです。いや、小学生の少年が賛否両論で騒がれててもなお、活動しているのはすごいと思います。

 

でも、彼が不登校の代表として公の場に出ることについて、懐疑的な目線で見ています。

 

というのも、彼は「学校に行きたくないから学校に行かない」という選択をしただけなんですね。私が勝手に言うところの「非登校」の部類なんです。

非登校の子は最近とても増えてきました。学校や学校での学習に違和感を持ったり、違和感から苦痛を抱えたり、そういう子も増えてきてもおかしくはない時代になってきました。

 

でも世の中には、「学校に行きたくても行けないから、学校に行けていない」という不登校の人も数多く存在しているのも事実です。

 

だから、彼だけを不登校の代表としてメディアに出ることに対して、ちょっとしたゾワゾワそた感情や、危険だなぁと思って見ていました。

 

私の不登校経験は、不登校と非登校を行き来した感じなので、どちらが不登校として正しいとか言うつもりは全くないけど、

 

もし仮に、「学校に行きたくても行けない」不登校の子が彼の言葉を何かを通して見聞きした場合、反感を持つだろうし、傷つくことだってあるんじゃないかなとも思うし、彼みたいな子のほとんどが不登校だと思われた時のことを考えて、怖い思いをすることだって無くはないと思っています。

 

それに非登校タイプ(わかりやすくタイプ化するのを許してw)は未だに一般社会では受け入れ難い存在です。

今は教育法が変わって学校外の教育も受け入れやすくなっていましたが、あまり認知はされていませんし、昔の固定概念のまま「学校に行かない=サボり」と思う方も多いのです。

 

私は、「学校に行きたくても行けない」不登校から、「学校に行くのを諦めて、学校外での学習にシフトした」非登校になりました。

だから、どちらも社会的に苦しい思いを持っているのもよくわかるし、反発して発信する行動に出たのもすごいことだと思いました。

 

でも、「やらない選択をする」のと「やろうとしてもできない」はあまりにも根本的な問題が違いすぎるからこそ、彼が不登校の代表としてメディアに出てしまうことが実は怖かったのです。

 

「やらない」と「できない」は根本が違うよね。

「やらない」と「できない」は、行動的に見たり、表面的には同じことのように感じますが、私は根っこの部分が全く違うものだと思います。

 

「やらない」は自らが決断をして、故意的にやらないのに対して、「できない」は「やろう」と思っていても、何らかが邪魔をして達成できないのです。

つまり、表面的には同じように見えても、根本が違うから、考え方もアプローチ方法も全然違うわけです。

 

だから、不登校の子、非登校の子に同じように「学校に行きたくなかったら、学校に行かなくてもいい」と言っても、非登校の子には共感、賛同を得られますが、不登校の子からすれば、「諦めろ」と言われたような気がしたり、苦しんだり、反感を買ってしまいます。

 

それと同じように、不登校の子、非登校の子、それぞれ同じように「学校復帰しよう」とアプローチをしても、不登校の子は現状が回復すれば学校復帰できる可能性はありますが、非登校の子は「自分の考えを認められなかった」と嫌な気持ちになったり、受け入れられなかった苦しみを抱くと思います。

 

とどのつまり、私が今日お話したかったのは、

某Youtuberの彼にしても、メディアにしても、社会の大人にしても、「やらない」と「できない」は似て非なるものなので、一緒くたにまとめてアプローチをかければ苦しむ人は出てくるよ~って話をしたかったのです。

また、色んな形の不登校が存在しているから、そのうちの1タイプを不登校の代表みたいにメディアに出すと、そりゃ叩かれるし、荒れるよねって。

 

でも一番は社会に生きる人は、不登校をはじめとする「生きづらさ」に目を向けて、少しでも考えてくれること。

 

そんな暖かい社会になれば、こんがらがってる糸も、ちょっと解れていってくれると思っています。

 

だから、ヒカリテラス。頑張ろうって思いました。!!

 

P.S.

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