「生きる」義務なのか、権利なのか。
こんにちは!
最近は、夏なのに寒くて、7月なのに長袖を着ていて、何だか不思議な気分ですね。
今年は「冷夏」になるそうです。張り切って買った夏のワンピースをどうしようか迷ってしまいます…笑
さて、夏休みが近くなりました。私にとっては数年ぶりの夏休みだし、少し心が締め付けられるような時期でもあります。
「9月1日」、若者の自殺の問題、毎年のように悩み、何かを発信したいと心が揺さぶられます。
今年は、ヒカリテラスでも、個人でも、チャレンジしていきたいなぁと思っているのですが…。
最近は「生きる」って義務なのか、それとも権利なのか、なんなんだろうって考えてるんです。
今日はそんなお話をここで書いていきたいなと思います。
「生命を大切に」ってどうして?
私は小心者の死に損ないなので、こうやって今も生きていているのですが、昔はGoogleとかTwitterとかで「死に方 簡単」「死にたい」「消えたい」って検索をかける時期もありました。匿名のサイトで「死にたいんです。」とかって投稿してみたりね。
そういう時って「生命を粗末にするな!」「生命は大切にしなきゃいけない!」とかって言葉がすごい勢いで入ってくるんですよ。
当時は、自身を真っ向否定されたような気がして、悲しかったり、苦しかったり、「何くそ!」と思ったりしてたんです。
でも今になって考えると、誰も「生命を大切にしなきゃいけない」理由は教えてくれなかったなって思い返しました。
親からもらった大切なものだから、とか。生命はひとつしかないから、とか。この世には生きたくても生きられない人がいるから、とか。答えになってない理由とか、感情論とか、ばっかりじゃないですか。
そもそもね、勝手にこの世に産み落とされて、勝手に生命をもらって、勝手に生きているだけ。じゃないですか。
お母さんのお腹の中にいる時の記憶が無いので、なんとも言えないのですが、生命が欲しいと思って、生きることを願って、この世に生まれて来たわけではないと思うんですよね。
なんか知らないけど、生まれて、生命が始まって。
気づいたら、「生きる」ことが素晴らしくて、「死ぬ」ことが良くないことみたいな価値観が蔓延していて。
気づいたら「生きる」ことが義務みたいになっていて。「死にたい」と思ったら、「生きる」義務を放棄するのか〜!?みたいな感じで社会から怒られて。
そんな社会で生きているけど、その社会の人たちは誰も「生命を大切にしなきゃいけない理由」は教えてくれないし、もしかしたら「生命を大切にしなきゃいけない理由」を知らないのかもしれない。
私たちはもしかしたら、「生命を持って生きる義務」を背負ってるわけじゃなくて、「生命を持って生きる権利」があるだけかもしれない。
と最近は思っていたりするわけです。
どうして「生きる」のか。
ちょうど1年前、虐待によって自殺した人について語ったことがあって。「その人は自殺を選んだことで、これ以上惨めな人生になることを食い止めたんだ。」って話をしたことを覚えてます。
その話を聞いてからというもの、「闇雲に死ぬのは良くない」ってメッセージを投げかけ続けるのはどうなんだろう、私たちが「生きる」ことは本当に義務化されているのだろうか、勝手に義務感に駆られているだけではないのか、って思うようになりました。
どうして生きなくてはいけないのか、って考えた時に、ちゃんと筋が通った理由が思い浮かばないんですよね。本当に個人的な話とか、感情論でしか、語れないんです。
きっと、義務的な意味で「生きなきゃいけない理由」や「生きる意味」は存在していなくて、あくまで自身で「生きる意味」を見出すものなんだろうなって。
そう思った時に、「生きる義務」は無くて、「生きる権利」を保有しているんだろうなって。
だったら、自殺について「自分で死ぬなんて何考えてるんだ」とか、「死ぬことなんて良くない」とかって言うのはお門違いじゃないのかなって。
それに「死ぬことは良くない」わけではないし。だって、今もたくさんの命が果てているわけで、私たちにもいずれ死はやってくるのでね。
自殺は悪いことではないのかもしれない。もしかしたらね。自分の人生をこれ以上惨めにしない為にも、自分自身の尊厳を守る為にも。
そんなことを思う中でも、自殺という選択は最後の最後にしてほしいって願いを込めて、今も自殺防止とか、若者の自殺問題について考えてたりします。
私自身が自殺できなくてよかったって思えてるし、自殺をしなかったからこそ、今、少しずつ幸せに生きることができているんだと思うので。
自分勝手だけど、私の価値観の押し売りだけど、自殺という選択肢もあるけど、できる限りなら一緒に生きて欲しいというか。せっかく、言葉を通じてとか、いろんな形で出逢えたのだから。
そんなことを考えた、1週間でした。
おやすみなさい!