No title
正直言って、私に本音を話せる場所はほとんどない。そもそも私の本音すら、私が把握できてない。
わけもわからぬまま苦しいし、何かわからない勝手な怖さに怯えている。
理由がわからないことに怯えて、募っていくマイナスな感情を封じ込めるように、前向きに生きよう、強く在らねばって空回りを続けている。
去年も、一昨年も、同じようにこんな時期があった。
去年も一昨年も、人に会いたくなければ会わなくて済んだ。怖いものは見ずに済んだ。だから、時間が経てばもとに戻った。
だから、もうその怖さは勝手に克服したと思っていた。逃げていただけなのに。
でもそう思っていたから、高校卒業してすぐに大学へ進学することを決めた。色んな道だってあったし、大学進学こそ急がなくてもいい事柄だったのに。
結局のところ、全くもって怖さは克服できていないどころか、増大している有様。
トラウマにトラウマが重なっている。思い返したくないことばかりが頭に浮かんで、色んなことに恐怖や不安が押し寄せる。
今、人に会いたくない。というより、人が怖い。
元々は人間が好きで、勉強だって好きで、楽しかった。
のに、今は布団から起き上がって、電車に揺られるのがやっと。
毎日、どうしたらいいのかわからないまま、壊れかけの仮面と身体を使って生きている。
きっと、また嫌われる。また孤独になる。また……。
私には、私として愛してあげられる自信がないし、生きていく自信がない。
これまで自己肯定感少しずつ生まれてきたと思ってた。
でも履き違えてた。それは自己効力感で他人軸だった。
私は、周りの目線と感情に怯えて生きてる。周りのなにかに影響され続けている。
だから昔から仮面を被って生きてきた。もう結局、どれが素の私かわからないけど。
その弊害として、私は私がどんな感情を抱いているかわからなくなったし、漠然と恐怖を覚えることに怯えるようになった。
多分、恐怖とか怯えの要因はトラウマだってわかってるけど、何かを怖いと思う方が精神的に楽なのかもしれない。そんなわけないけど。
こんなこと書いたら、構ってちゃんだの、心配してほしいだの、ウザいだの、思われるんだろうけど、そうじゃないのかもしれないけど、
文章を書かないと、とにかく言葉や色んなものを文章として吐き出さないと、心が硬直してしまう。
このわけもわからない怖さすらも生きている証としないと、何も支えになってくれない。
私の気持ちや感情を吐き出す場所がどこにもないし、「いいよ」って言われたとしてもきっと吐き出せない。
せめて、ブログでも手帳でもノートでも、文章の世界だけでも、私の掃き出し窓になってくれないと……生きていて苦しい。
本当に、私は生きるのが下手くそすぎてどうしようもない。生きづらい。
もっと上手に生きられたらいいのに。そればっかり。
最近、こんなものばかり書いて申し訳ないな。ごめんなさい。
きっとね、理解されないと思っちゃうの。何もかも。
最近わかったのは、
私が如何に生きるのが不器用なのか、
そして周りの「当たり前」の尺度、「普通」の尺度は、随分違うし、しかもそれに厳格であること、
また、荒療治ではトラウマは治らないどころか悪化すること。
期待に満ちて、希望が見えた大学生活も、トラウマによって一気に恐怖の場に変わりました。
信用したくても信用出来ない不甲斐なさもトッピングされて。
おやすみ。