ちーちゃんのブログ。

ポンコツ系エニートが言葉を綴る何でも日記。

N高のあれこれについて語る。

こんにちは!すーです。

昨日、N高等学校から教科書以外の荷物が届きました!

生徒証の顔写真は出願した時の写真がそのまま使われてました… 私が出願した写真はさっと身なりを整えただけのむくみまくった顔の時に撮った写真だったのでかなりショックです…笑

これから出願するって方はちゃんとした写真を撮っておくことをお勧めします😅

そして、N高専用のメールアドレスやslack、N予備校の登録をさっと済ませました!ハンドブックにわかりやすく載っていたので意外と簡単に済ませることが出来ました!

slackではいろんな話が出来て楽しいです!でも使い方が難しいのと説明みたいなのが全て英語なので「私、英語アレルギーなんですっ」という方は使い慣れるのに時間がかかりそうですね。

授業はスマホで受けました!(自宅のPCが古すぎて使えなかった笑) 動画で授業を受けるスタンスなんですけど、動画が数分に分かれているので意外と集中できていいです!私は集中しすぎて3時間ぶっ通しで授業受けてました笑 授業受けるのも慣れるまでに少し時間はかかりそうですが、なんとか頑張れそうです。あと、スマホで見るよりもPCで見た方が楽かもと思いました。

教科書が届いていないので授業大丈夫かなと思いましたが、動画は教科書を詳しく説明する感じなので、割と問題なく受けられたように思います。でも選択と記述のレポートは難なく出来ましたが論述のレポートはさすがに教科書がないと解けないかなって感じですね。(教科書はよ来い!)

とりあえず、今日のN高での生活?について書きました!

これからは投稿頻度がガタ落ちするかもしれませんがこれからも時間があれば読んでいただけると嬉しいです!

∞----------------------∞∞----------------------∞すー

 

N高に入ろうと思った理由

こんにちは!すーです。

今日は私の数少ないお友達とお茶しに行きました(´∀`*)

平日なので友達は制服、私は私服って感じでちょっとした違和感?を感じたもののゆっくりした時間が過ごせました!

Twitterを見たところ、N高等学校について気になっている方がいましたので今日は私がN高等学校に入ろうと思った理由を書きたいと思います!

9月、私が学校に馴染めないなと感じ、今だったら転校してもやり直せるのではと思い転校を決意しました。

いろんな通信制高校あるなかで、N高等学校を見つけました。

第一印象は「ネットの高校かぁ」って感じでした。

学校の雰囲気が少し苦手だった私は学校に通わず、好きなところで勉強ができることにとても良いなと思いました。

色んな課外授業もあって、特に文芸小説創作授業が目を引きました。前にも書いた通り、私は青春基地の編集部に参加させてもらっていて文章の勉強が出来るのはいいなと思いました。

N高生の皆さんもとても個性のある人達で皆さんと交流することで自分の考えの視野も広がるのではとも思いました。

そして、N高等学校の説明会に行った時に普通の通信制はどちらかと言うと放任主義?みたいな感じだけど、N高はレポートの進捗状況を電話やメールで担任の先生がこまめにチェックしてくれるそうで少し忘れっぽい私でも安心して勉強に取り組めそうだなと思いました。

特に私が気に入った所は2016年、つまり今年開校したばっかりで新しい形の高校だという事です。

今までの学校だと馴染めず学校に通えませんでした。でも、N高等学校だったらいい再スタートが切れるのではないかと思って転学をしました!

まだ、授業が始まってないので(早く教科書届いてほしい!)どんな感じかは詳しく説明出来ないので申し訳ないのですがこれからもN高のことを書けたらなと思います。

また、N高のことでなにか気になることがあったらこのブログでコメントしてくだされば頑張って答えます!

それでは最後まで読んでくださりありがとうございました(*´ч ` *)

∞----------------------∞∞----------------------∞すー

 

 

最近の私のお話

こんにちは!すーです。

今日、なんと今月のアクセス数が100超えました!!自己満ブログなので伸びないと思ってたのでビックリしています。笑

昨日まで、不登校時代の話やら、学校についての話とか…真面目すぎた話でちょっと疲れたので今日は箸休めの記事を書きますね(*´ч ` *)

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昨日、N高等学校の入学許可の連絡が来て晴れてN高生の一員になれました!

でも、まだ教科書や生徒証などが届いてないので授業が受けられません…( ˘•ω•˘ )

N高から荷物が届いたらブログにもN高のことを書きたいなと思ってます。(´∀`*)ウフフ

今からとても楽しみです!

最近は、授業もなく(荷物が届いてないだけ)暇なのでこんな風にブログを書いたり、キャスをやったり、ひたすらニュースアプリを見たり、たまに英語の勉強したりしています♪

でも、家からあまり出ないので土日は写真を撮りに外にでようかななんて思ってます。

今、ハマっていることはハフィントンポストの記事を読むことです。青春基地のイベントでお会いした方に「ハフィントンポストの記事がいいから読むといいよ」と勧められたので読んでみたら、高校生の私にはちょっと重いかなって内容でも意外とスルスル読めちゃいました!とてもオススメです!さくっと読めるので気になった方は読んでみてください(´∀`*)

今後もこんな感じでゆる~い記事も書きたいなと思ってるので、暇だったらまた読みに来てくださいね!

∞----------------------∞∞----------------------∞すー

学校に行くのが全て??

こんにちは!すーです。

今日、N高から入学許可の連絡が来て「早く教科書こないかなぁ」 とワクワクしています(´∀`*)ウフフ

今日、書きたいと思ってる内容はタイトルの通り学校に行くことが全て?なのかです!

私が学校に行けなかった時、両親は私にこう言いました。

『テストでいい点とらないでもいいし、いい子でいなくてもいいから、せめて学校にだけは行ってくれ

『なんで学校に行くなんて簡単なことが出来ないの?』

学校に行くことが一般的に考えると簡単なことくらい分かってます。でも私にとって学校に行くという事は、いい子でいる、自分を偽るという事でした。それを毎日やるのはしんどい。でも行くのが当たり前。でも!行けない…そんな私はダメな人間だ。そんな風に思っていました。

確かに学校に行って勉強して友達とお喋りして部活して帰ってきたら授業の予習やら復習をして(しないかも?)寝る。これは多くの学生が当たり前のように過ごしている日常です。でも、これがしんどいと思ってる人も少なからずいると思います。(私もその1人です)

学校に行くことが当たり前だとしても、学校に絶対行かないといけないという考えはちょっと違うのでは?と思います。

だって学校に行かなくたって、世の中には動画で授業を受けれるサービスがあるくらいですからきっと勉強はできます。学校に行かなくたってバイトやフリースクール、学生団体とかに行けば人間関係を学ぶことだってできます。このようなたくさんの選択肢があるのに学校に行くのが辛い人にも学校に行くことが当たり前だからって行くことを強要するのはきっと違うと思います。

でも、私が提案したような選択肢を見つけることは結構難しいことだと思います。なぜなら私たちのような年代にとって学校は唯一の社会と繋がってるコミュニティだからです。

学校というコミュニティが私たちの全てなら必死について行こうと思います。すると本当に学校が全てになってしまいます。そうなると学校に行けなくなった時に「終わりだ。」と思うようになってしまう可能性がある。それはあまりにも悲しいことだと思います。

多くの人が学校というコミュニティが全てではないということを知らない気がします。だから学校に行くことが当たり前、学校に行かないといけないという考え方になるのかなと思いました。

だからもし、学校に行くことが辛くなった時学校以外に目線を移してほしい、学校に行くことが全てではないということを知ってほしいと思います。

なんか言いたい事がぐちゃぐちゃすぎて伝わらないかもしれないので、私が言いたい事をまとめると

学校に行くことが当たり前だとしても、学校だけが全てではない

ということです。

最後まで、ぐちゃぐちゃな文章に付き合っていただきありがとうございました!!

 

∞----------------------∞∞----------------------∞すー

 

 

 

 

私という者について その3

こんにちは!すーです。

アクセス数がちょびっとずつ伸びてきて嬉しいです!(自己満ブログだから見られないと思っていた笑)

今日も前回の続きです。また長いので気長に読んでくださいね。

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青春基地を見つけた私は両親にも相談せず、急いで応募しました。そして次の日くらいに青春基地のオフィスに来てくださいというメールが届きました。私は速攻、返信しました。

オフィスに着いて、編集長さんから青春基地について色んなことを教えられて、どんな記事を書いてみたい?と聞かれました。私は学校に行けない人のための記事を書きたいと答えました。私の不登校時代、新聞やウェブマガジン、YouTube、テレビなどのメディアを見たり聞いたりして過ごしていました。特に不登校についての記事を読むと同感したり、それは違うなどと考えたりしていつか自分の不登校について考えを誰かに伝えることが出来ればと思っていました。だから学校に行けない人のための記事を書いて昔の自分や今の自分、あわよくば日本にいる学校行けない人たちの心の支えになりたいと思うようになりました。

編集長さんはやろう!と言ってくれました。その後、他の編集部の人が何人か集まり、いろんな話をしながらさくらんぼを食べる会に参加しました。編集部の皆さんはとても優しく、自分の意見をしっかり持っている人達でした。だから、皆さんと話すことはすごく楽しく勉強になることだらけでした。

青春基地での体験は私に大きな意味をもたらしてくれたように思います。

特に11月に行われた青春基地の1周年記念のイベントは私の方向性をガラッと変えました。イベントには有名なウェブマガジンで働いている方やNPO法人で働いている方、おじいちゃんや高校生、大学生の方も来ていました。いろんなことにチャレンジしている方の話を聞いているうちに私にもっと何か出来ることがあるのではないか?記事を書くだけで終わりになるようではいけないと思いました。11月にはもう既にN高に転校することを決めていたので、自由になる時間を不登校や学校に行けない人、それ以外でも悩んでいる人の少しでも力になるために費やそう(もちろんちゃんと勉強やバイトなどもするつもりですが)と思いました。

だから、イベント終わった次の日から悩んでいる人が気軽に相談やお話ができるようにツイキャスにてお悩み相談キャスをはじめました。

そして、私の不登校や学校関係についての考えや気持ちを気軽に発信していく場としてこのブログを開設しました。

私は嫌なこと、苦手なことからずっと逃げてきた弱い人間で、ちゃんとした人間ではないからいろんな人からバカにされたりするかもしれないし、無駄な挑戦だと思う人も多いかもしれないけど自分のペースで突っ走っていきたいと思います。

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これが私という者です。プロの文章書く方と違って文章がおかしいかも知れませんが、これからも読んでくださると嬉しいです。

最後までお付き合いいただきありがとうございました!!

∞----------------------∞∞----------------------∞すー

 

私という者について その2

こんにちは!すーです。

今日は前回の続きです。長くなりそうなので気長に読んでくれると嬉しいです。

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不登校というものになってからは、毎日のように先生が家まで来るようになり怖いと思いながら自室に籠るようになりました。外に出ることが怖くなりました。そのせいか塾に行くのも止め、中学受験することも諦めました。

そんな私でも通うことが出来たのが小1の頃から通っていた英会話教室でした。週1回の英会話のレッスンは唯一私が外に出る機会、そして私の憩いの場でした。レッスンを受けるうちに「やっぱり外国語に力を入れているあの中学校に行きたい」と思い、もう一度中学受験することを決めました。

それからは学校に行かない代わりに塾で午後1時から午後5時まで自習をして午後5時半から塾の授業を受けることにしました。

そして1月、入試を受けました。結果は1次試験だけとおり、面接で落ちました。落ちると分かっていながら受けた入試でしたが、やっぱり悔しくてたくさん泣きました。そして地元の中学校に入学することに決まりました。

嫌がらせの件が解決していないまま入学することは自分にとって少し不安でした。でも塾の友達も地元の中学校に入学すると聞いて「あの子も落ちたのか」と少し残念に思う一方で少しほっとしました。

そして春、私は小学校の卒業式には出席しないまま卒業して私は中学生になりました。

中学校では普段の自分では友達がつくれないと思い、小学生の時以上に性格を学校モードに変えて慣れない自分の性格に疲れ果てて家に帰ったらご飯も食べずに寝るという生活をしてました。

日が経つにつれて、学校モードの性格で一日を過ごすのはとても難しくどれが本当の自分なんだろうと迷うようになり素の自分を見失いました。そうするうちに「どうでもいいや。全てテキトウでいいや。」と思うようになり学校に行くのをやめました。そしてまた不登校になりました。それは中1の11月くらいのことでした。

不登校の間、私は元々学校に馴染めない性質をもっているのではないか、高校になったら馴染めない性質も直るのではないか、どうやったら無理せず学校に行けるのか、など色々考えました。でも、答えは出ませんでした。

学校に行ったり、行かなかったりを繰り返し、そうこうしているうちに中2になりました。

中2こそはちゃんと学校に行こうと決意しました。そんな私にチャンスが舞い込んできます。それは市のオーストラリア国際交流派遣団への募集でした。私は知らない街で知らない人と交流することで見失っていた自分の存在や新しい自分に出会えるのではと思い、国際交流派遣団に応募しました。結果は合格。派遣団の一員になりました。

派遣団員同士の交流は苦ではありませんでしたし、オーストラリアに行く前のレッスンもとても楽しかったです。

そして7月、私は派遣団員としてオーストラリアへ飛び立ちました。オーストラリアの海は私の心を感動させましたし、地元の学生の日本への関心の高さには驚きました。また、自分の意見をはっきりと伝えられる、自分の個性を持っている地元の学生達に憧れを抱きました。その時私は、自分の意見や気持ちをはっきり伝えられる人間になろうと思います。そして、たくさんの思い出と経験をもって日本へ帰りました。

2学期に入って、友達からオーストラリアのことについて聞かれいろんな話をしました。また、私がオーストラリアに行ったことをよく思っていない人から悪口を言われたり、悪い噂を流されるようになりました。それがエスカレートしていくと心がズタボロになり、先生に相談しました。先生は「そんな噂は気にするな」それだけでした。「やっぱり教師は助けてくれないんだ」 以前から学校を信用していませんでしたが、少し裏切られた気がしました。先生の言う通り、気にしないようにしてても私の悪い噂は耳に入ってきます。悪い噂を耳にする度、心の傷がもっとえぐられるような気持ちでした。私は耐えきれなくなり、また学校に行くのをやめました。

どうしてこんなにも自分は弱いんだろうとどんどん自分を追い詰めていきました。そして中3で最後だし、受験もあるからと中3こそはちゃんと学校に行こうと決意しました。

中3はクラスメイトに恵まれて、小中学校生活の中で一番過ごしやすい1年でした。ちょくちょく学校を休んでいた私は内申が低く、当日の試験で頑張るしかないのでひたすら勉強しました。新しく塾にも入りました。(前の塾は中学受験が終わったあとやめました)そこで同じ中学校の友達が出来ます。その子は今では本音で話すことができる大事な友達だと思ってます。

私の志望校は地元の英語科のある公立高校でした。学力は足りていたものの内申があまりにも無いため、滑り止めの私立高校を3校受けました。結果は公立も滑り止めの高校も全て受かりました。高校生になったら学校に馴染めるようになるのではとおもっていたのでとてもワクワクしていました。

そして春、中学校を卒業して高校生になることが出来ました。

でも、私は学校に馴染めませんでした。どうしてみんなのように過ごしているのに馴染めないんだろうと怖くなりました。学校に行くのが不安でたまりませんでした。不安でしかたがなくて声が出なくなりました。英語の授業では発音の練習や英語で討論したりしなくてはいけないため、声が出ないのは私にとって致命的でした。そうなるのであればこの学校にいる意味がない。更に自分にとって辛いことを消し去るようになりました。学校の授業もクラスメイトや先生の顔も学校での思い出も思い出せなくなってました。テストの点数もガタ落ち。こんな自分がこの高校にいたらダメだと思い、学校を休みはじめました。

そんな不登校の私が唯一率先してやっていたものがありました。それは文章を書くことです。自分は声に出して気持ちを伝えることは出来ないけど、文章にのせて伝えることはできる。だからひたすら自分の思いを文章にして書いていました。そして文章を書くということを社会に触れるためのツールとして使うことにしました。学生ライターを募集しているところを探しているうちに青春基地という所にたどりつきました。

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私という者について その1

こんにちは!すーです。

今日は私についてを更に詳しく書きたいと思います。

長くなりそうなので分けようと思ってるので気長に読んでくださいね ´ω` )/

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幼稚園に通っていた頃、私は自分の気持ちを伝えることがとても苦手で友達の輪の中にも入ることが出来ないコミュ障のような子供でした。

クラスの子から嫌なことを言われても「やめて」と言えず、よく仲間はずれにされたりいじめられたりしました。ですから、家に帰ってからよく泣いていました。

幼稚園の性格は直ることなく、そのまま小学生になりました。最初は上手くいってたのですが、小1の夏からだんだんクラスの子と性格が合わなくなって来たので自分の性格を繕うことにしました。

自分の性格を繕うようになってからは、いじめられることも少なくなり友達も増えて俗に言うスクールカーストの上位に属するグループと仲良くなるなど順風満帆な生活をしていたように思えます。

でも小5の春くらいから性格を繕うことや今のグループの友達と仲良くすることに疲れはじめ、元の性格に戻していきました。そして、グループの友達と違う中学校に進学するために中学受験することを決意しました。また、中学受験のために塾にも通いはじめました。

性格を繕うことを止め、受験勉強に専念したせいか友達は少なくなりましたが学校に行くのがとても楽になりました。

塾での勉強は宿題も多く、苦手な数学も特訓しなければなりませんでした。昔から好きだった作文を書くことも塾の先生の言う通りに書かなければならなくなり嫌いになりました。それでも、受かるために必死に勉強しました。

小6になってからは塾の授業が増え、更に友達が少なくなりました。そしてだんだん前に仲良くしていたグループの子から嫌がらせを受けるようになりました。

最初の方は嫌がらせを受けても笑って流すような素振りをしていましたが、だんだんそれが出来なくなり辛くなりました。両親にも相談し、担任に相談することを決めました。

そして小6の夏頃、「学校に行きたくない」と担任に言いました。また嫌がらせを受けていることを全て話しました。しかし、担任は私が言っていることを信じてはくれませんでした。そして、校長先生に呼び出され「嘘をつくな」「中学受験をすると友達に伝えたから嫌がらせを受けたのでは」と言われました。

学校のいろんな先生に「嘘をついた」と言われ、私は学校のことが信用出来なくなったと同時に嫌いになりました。

学校に馴染めないこと、学校が信用出来なくなったことが重なって学校に行くことをやめました。

そして、私は不登校というものになりました。

 

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                                           次回に続きます