(主に)N高の後輩に捧ぐ、AO・推薦入試のあれこれ。
こんにちは!
今回は私の中の振り返り、備忘録的に受験の話を書いておきたかったのと、ちょっと趣向を変えた切り口でブログを書いてみたかったので、N高生のAO・推薦受験の話でも書こうと思います。
役に立ったら嬉しいけど、私の中で失敗が多かったと思ってるので役立たないかもしれないです。
ついでに他のエリートなN高の先輩に聞いたほうが良い話は聞けるかもですので、私のこのブログでの話は参考程度でお願いしますね…♪ (ネガキャン激しいw)
質問したい!話聞きたい!と思ったレアな方は、ブログのコメントでも良いですが反応遅いので、Twitter(@c_shv2)のDMにぶん投げてくださったら、小さい頭フル回転にして返答させていただきます♡
最初にマストでやっておくべきこと!
AO・推薦受験において、絶対やっておくべきことがあるので書き留めておきます!
- 学校のレポートを6月までに半年分、8月までに1年分を終わらせておく!
個人的にこれはマストです!
新年度に入り、担任の先生に「なるべく早く出来るなら6月までに前期分(半年分)のレポートを終わらせないと大学に出す成績が出せないよ~。」と言われました。
だから、少なくとも6月~7月までに半年分のレポートを終わらせておくことが最低条件で、提出していないと出願できない恐れがあります……。
それに受験シーズン真っ只中になると、エントリーシートや資料制作、小論文や面接練習などで、レポートどころじゃなくなります。私も受験シーズンだった8月~10月にかけては、レポートを進めるページはほとんど手を付けられませんでした。
だからレポートは早めに終わらせておいて、受験シーズンに色んな心配を抱えることなく集中できるようにしておきましょう♪
- 受験する大学・専門学校は何度かオープンキャンパス、学校見学に行っておく!
私は受験する大学は決めてあったものの、一回も学校見学、オープンキャンパスに行ったことがなく、8月に慌てて学校見学、オープンキャンパスに参加しました。
行っておいてよかった。行かなかったら面接上手くいかなかったかもしれないw
学校見学に行くことで、感覚的に大学の雰囲気を理解できるし、自身がその大学に通うイメージがしやすくなって志望理由書も書きやすくなると思います。
それに面接試験で、オープンキャンパスに行ったかなど質問されることが多いようなので、確実に一回以上は行っておきたいところ!
あと大学によっては、オープンキャンパスに行ったことで加点になったり、ブース内で志望理由書の添削が受けられたりと、受験生には嬉しいサービスがあるので、行っておいて損はないです👍
- 自分自身を見つめ返す時間を作るべし!
AO・推薦受験は、自己PRする場がいっぱいありますし、志望理由でも自身の経験や考えを基に書くことが多いです。私も志望理由書や自己PR欄では、高校生の間に行ってきたこと、活動、自分の好きな事、得意な事、性格、どんな生き方をしてきたか、これからの自分の未来をどのように生きていきたいか、を基に書きました。
志望校や学部が決まってると言うことは少なからず、自分の将来をどうしたいか、どんな勉強がしたいか、はわかってるはず!そこを基に自分自身について広げて深く考えることで志望理由書も書きやすくなると思います!
考えすぎると頭がパンクしがちなので、頭の中のワードをメモやマインドマップで整理してあげると良いです♪
得意な事や性格は、正直自分ひとりで考えるのは難しいです。だから周りの人に直接聞いてみたり、よく言われる事を思い出してみたり、無意識にやってしまう事、当たり前にできちゃう事を考えてみるといいかも!
困った!失敗した! 個人的、受験あれこれ
志望理由書、エントリーシートで困った!
志望理由書、エントリーシートを書くときは、1か月半くらい前から書き始めたほうがいいです。
自分自身では大丈夫だと思っていても、他の人が読んだら「文章おかしい」「意図が伝わらない」「内容が薄っぺらい」という事がいっぱいあります。
添削にも結構時間がかかることが多かったり、試行錯誤するので少なくとも5回くらい書き直したりします。ですので、余裕をもって書き始めるのがベスト!
私自身、志望理由書を書き始めたのは一ヵ月前、添削してもらったのは2週間前から……w 添削してもらった人にいっぱい迷惑かけました。時間がなかったので、深夜まで付き合ってもらって書き上げた、苦笑いしかできない思い出です。
また一部の人間だけじゃなくて、色んな人に見てもらい、色んな意見をもらうといいです。添削する人によっては遠慮してしまったりして、思ったよりアドバイス、添削してくれない事があったり、マチマチなことが多い印象です。
私が添削してもらう時、最初は5人ほどお世話になった人や学校の先生に添削をしてもらったのですが、遠慮してしまったのか全然添削してもらった形跡がなく、ひどい状態で大学に提出する所でした……。
面接練習、全然できなくて失敗した!
面接練習は、学校の先生だけじゃなく、色んな先輩、大人に協力してもらい何度も練習しておくのが大事……!
最初は、「めっちゃ面接の本読んだし、イメトレしたし、いけるでしょ~」と思っていたけれど、ボロボロで帰ってきました。(どこから出てんだ、その自信。)
当時、学校の面接練習の話でいい話を聞かなかった(「見当違いなアドバイスをもらった」「雑でちゃんと練習できなかった」など)ので、それだったらやってもらわなくてもいいやぁと思っていたら、受験前日まで別のことでバタバタし過ぎて、あっという間に本番が来てしまったという失敗。
面接練習を行うことで、本番の流れを掴めたり、無意識のクセや返答などを指摘してもらったりはもちろんですが、何度も練習すると緊張しすぎであがることが少なくなります。
面接自体は滞りなく終わったのですが、面接の順番が最後の方だったこともあり、緊張が止まりませんでした。
自分の意見をハッキリ話すことが大事かも…♡
面接時にこんな質問をされました。
「なんのために法律が存在していると思いますか?」
多分この質問、模範解答がある質問だったと思います。でも私が考えたのは模範解答とはまた違う意見だったので、
「一般的には社会の規律を守るためだと思いますが、個人的には社会で生きている中で弱者になってしまった人を守るためにあるとも考えています。」
と答えました。そこで私の活動について繋げることができたのでここだけは成功かもしれないです。
N高について質問されすぎて、自分の話ができない…!
困った事案でN高に興味を持っている教授に、N高の質問しかされずに面接試験の時間が終わっちゃう〜ってこともありました。
質問には律儀に返しつつも、学校での活動とか私のPRに繋がるように話しては見たもののなんだか微妙ですごく困りました……。
質問された事柄きちんと返して、「最後に何か聞きたいことはありますか?」と言われた時に押しがましいとは思いながらも、志望理由と自己PRをさせていただきました。(これが正解かわからないですが……。)
制服がなくて、困った!
基本N高って制服が絶対必要ではなく、任意の購入のため持っていない人も多いと思います。私自身もリボンとスカートしか持っていません。
一般的な高校生は、通っている高校の制服を一通り持っているので気にしなくても大丈夫ですが、私はめちゃくちゃ困りました。
ググったり、本読んだりしても、良い答えは見つからず、挙句の果てにブラウスの上に春秋用セーター、リボンをつけて、スカートは短いので腰履きでベルトで止めて挑みました。
個人的に言うと、N高のブレザーを持っていたとしても私は着ていかないなぁと感じました。男の子は辛うじて着れなくはないとは思いますが、女の子のデザインがフォーマル向けじゃないので向かない気がするんです。(公式では冠婚葬祭で着れるフォーマルなデザインと言ってますが。)
最終的な答えを言うと、簡略的な制服で挑みましたが合格をいただいたので、恐らく服装はある程度清楚かつフォーマルであれば大丈夫そうです。
(ブラウスやシャツにカーディガン、セーター、ジャケット。膝が隠れる程度で無地のスカート、男の子ならジーンズじゃないカッチリ系のパンツ。キレイめな革靴とかかな?)
私のように心配性の方は、イーストボーイやCONOMiなどの制服が売ってある所でなんちゃって制服を買うか、いっそのことスーツで行った方が安心です。(受験の時にスーツの方も何人かいらっしゃいました。)
最後に!
グダグダと思い出す限りを書き留めてみましたが、当たり前の事ばっかりで、思った以上に参考になりそうなことは書けなかったのがちょっと申し訳ないです。(しょうもないこと書いてもなぁと躊躇った)
一番大事なポイントである、面接、志望理由書は失敗ばかりで、本番は頭真っ白であまり覚えてないのです。思い出したらリライトしたいです!
AO・推薦入試は、簡単そうに見える入試形態だと思いますが、大学との相性や、熱意や思いが判断基準に入ってくるため、一般受験とはまた違う準備が必要だったり、自身と向き合うことが多く、心身共にすり減りがちです。
でもそれ以上に、大学に入ってどのように学びたいか、大学卒業後どんな自分になりたいか、考える必要があるため、じっくり将来設計を立てられるし、受験の準備の間に自分自身の素敵なところを見つけることもできます。
私自身もAO受験を経験して、更に私が目指しているものや将来どんな私でいたいかが鮮明になったと思うので、この受験形式を経験できたことは良かったなと思ってます。
N高生は一般受験の人も多いですが、AO・推薦受験も同じくらい多い印象があります。卒業後の進路が偏らず、色んな形があることも、どのように進路を決めるのにも多様性がある部分を見ても、N高らしいと言えば、N高らしいですけどね。
このブログが、多く人の知恵や何かの力になれば嬉しいです。
それでは~!!
2019、新しい感情の動き。
こんにちは!
そして、明けましておめでとうございます!(三賀日なので許してくださいw)
Twitterでボヤいてた通り、新年に記事更新する予定でしたが、このタイミング失礼しまーす。と言うよりも三賀日過ぎてるかもしれないです。
これまでの1週間強、色々ありすぎました。そのせいか体調優れません。言葉も出ません。言葉が出ないことなんて、実はどん底期ぶりです。
でも色々あったので、色々書いてみます。忘れないように。
京都に帰りました。
12月26日、ちょうど誕生日のブログをアップした日に京都に帰りました。あんまりいい意味ではない方の帰還ですが。
だから正直、誕生日とか新年とかどうでもいい、それどころじゃないなぁって内心思ってます。
何なら、お正月には埼玉に帰ってきて(帰らされて)いたので、余計にそう感じてたり……。
私の家系って割とラッキーな体質を持ってる人多いと思ってるんです。私にしても、父も祖父も。
昔から祖父母と父からは「ここの家の子はみんなラッキーなんだ」と言われていたこともありますが。
宝くじに当たるとか、懸賞が当たるとかじゃなく、ポロっと思い描きもしていない成功ルートが開けたり、やりたい事への一歩が思いがけない所に繋がってたり……。
それに祖父は古稀のお祝いに、本人たっての希望でみんなでステーキを食べに行ったり、私がオーストラリアに留学する前も「いっぱいワニのビフテキ食べておいで」なんて言うくらいパワフルでお茶目な人です。
だから、京都へ行くまでの電話の声で嫌なワードがたくさん溢れていたけど、最悪の事態にはならないだろうと思ってたりもしてました。実際何とかなりましたが。
京都に到着して、バスに揺られて、大きな病院のICUに入って。
色んな機械を付けられて、たくさんの点滴打たれている祖父を見て、耐えきれない気持ちになりました。
こんな簡単に弱ってくもんだっけ、こんな直ぐに弱々しくなるもんだっけ、私どうしようか……。
最初に思ったこと。
京都に先に着いたのは、私と父の2人だけ。弟は冬期講習があり、母も後から来ると言っていたので。
この場をどう乗り過ごそうか。どんな対応すればいいのかもわからずに立ちすくむだけで、訳も分からず涙が出るのを我慢するだけで。
思ってる以上に何も出来ないものだなと。
ICUの看護師さんに慰められながら、病室を後にしたこともあって、すごく嫌になりました。
でも次の日には、少しずつ体調も良くなっていって、何とか持ちこたえて最悪の状態から逃れたので、そこはまず安心なんですが。
すごく何かに対する焦りを感じていて、後悔はもう出来ないなとか、成長した姿を見てもらえるように報告できることがもっと増えたらなとか、思ったりしました。
その理由のひとつに、私の大学が決まった時から、祖父の体調が優れなくて、電話でも直接でも報告が出来なかった事がありました。住む場所が離れてるから仕方ないよね、て意見もあるけど、なんかそんな気にもなれずにいました。
何か新しいことをはじめた、学校を入学した、辞めた、転校した、色んなことがあった中で誰よりも理解を持って応援してくれてたのが祖父でしたから。
人間誰しもが、いくら時が過ぎても当たり前にいる存在ではないし、生まれた時から死へと向かってることくらい分かってるけど、それでもいろんな思いが煮詰まる体験をしました。
そんなことがあってすぐのお正月、新年。
目標とか、あんまり考えられるほどのメンタル持ててないけど、またじっくり考えるけど決めたことがあります。
着実に歩き、力強く握りしめる
最近、旗を掲げる覚悟を強く持ちたいと言ってます。
まぶぃーずにしても、ヒカリテラスにしても、何よりも大事にしてきたものです。
今まではいろんな環境に甘んじてきていたし、単純に活動して意味があった、楽しかった、と思えたらそれで良いと思ってました。
でも大事にしたい、守りたい、旗を掲げられるようになりたいと思ったら強くなりたいと考えるようになりました。
まずは旗を力強く握って、高く掲げられるように。大好きなまぶぃーず、ヒカリテラスの仲間たちや応援してくださる皆さんの居場所として帰ってこられるように。
これは前からずっと思っていたこと。また話が変わってくるけど、ジャンヌダルクみたいに先陣で旗を掲げて、戦士を鼓舞し続けた姿に感銘を受けた小学生時代を思い出し、そうなりたいと思ってたのもあります。
その次に、私自身の生きてる証として少しずつでも着実に歩いて足跡を残していけるように。成長の過程、挑戦した過程の一歩の濃度を濃くしていきたい。
しょうもない事でもいいから、たくさん報告したい私の足掻きですね。
何事も大事に着実に力強く歩んでいきたいですし、何気ない日常の中でも何かを感じ、学び、自身の糧にできる一年でありたいです。
それに前年にもらった沢山のラッキーを活かせるようになりたいです。
いつも私は強くないから、せめてしなやかに生きたいと思ってました。
でも強さにも色んな強さがあって、私の気質に合う強さもきっとあると思ってます。もしかしたら、それがしなやかさなのかもしれませんが。
今年はニュータイプの強さを持てるように努力します。!
目指すは、私の中の芯の部分を強く!かな?
今年の目標はこれだけじゃなくて、もっと色々ありますが、また後日ブログに書き込みますね!
せっかくのお正月なので、ゆっくり過ごします。
1月は楽しいことがいっぱいあるので楽しみです♡(プライベートだったり、大学関連だったり!)
その出来事もブログにしたい!
書きたいことはいっぱいあるのですが、最近は言葉が上手く流れ出てくれないのが悩みでブログも上手く書けませんね……。Twitterも最近そんな調子が続いてます……( ˘•ω•˘ )
(あ、どんな事も垂れ流しにしてブログ書いてるわけじゃないのよw)
時間かかっても、ブログ書くのはやめないので気長に待っていてくださると嬉しいです!
それでは!
ステキなお正月休みをお過ごしくださいね!
18
こんにちは!12月26日になり、18歳になりました♡
ブログをはじめて2年が過ぎ、毎年誕生日には一年の振り返りをしていたので、例年通り、17歳の振り返りをしたいと思います。
ブログや日記などで自身を振り返って理解することは、重要な事だったり、密かな楽しみだったりします。w
大きな挑戦と向き合った17歳。
17の歳は、大きな挑戦へのチャンスがゴロゴロ落ちていたり、節目があったりと、毎年同じことを言ってて新鮮味に欠けますが、挑戦と向き合い、成長してきた一年であり、今までの私をじっくり振り返った一年でした。
ライターのお仕事やマイプロを通して、たくさんの大人から多くの価値観、インスピレーションを感じとることも多く、大学受験に向けて私の生き方やライフミッションを考える良いきっかけになりました。
そしてN高文化祭の実行委員では、同じ実行委員の仲間と意識を高めあい、より良いコンテンツに仕上がるように毎日たくさんの話し合いと作業を繰り返しました。いつもは独りよがりになりがちで、単独作業の多い私ですが、チームワークや団体の中の一人として動くときに大事なことを再認識しました。
「生きづらさ」と向き合い、ヒカリ照らした一年。
何よりも、まぶぃーずのイベントを地元で開催できたことが大きな挑戦の一つでもありました。
一からイベント概要を企画し、まぶぃーずのお姉さま方の協力をあおりながら一緒に創り上げたことがとても楽しかったです。そして地元の不登校や生きづらさを持つ人の現状をリアルに知ったり、行政側の思いやたくさんの支援を学べたことは私の中で大きな糧になりました。また地元で街を歩くことすら怖かった私が、多くの公共施設を回ったり、市内の小中学校にお話を伺えたことが大きな成長ポイントでした。
イベント企画をしっかり実現に持ち込めたことや、まぶぃーずのみんなを地元に連れてこれたこと、都内の会場以外で開催した実績や地元の人に「生きづらさ」に関心を持っていただくきっかけをつくることができたこと。私にとって大きな挑戦でしたが、挑戦できたことは今思ってもよかったと感じました。
一番の挑戦は「言葉の発信地 ヒカリテラス」を作ったことです。特にこの一年間はこれまでのまぶぃーずや色んな場所での活動や学びを通して「生きづらい」というワードにこだわりを持って向き合ってきました。
多くの人は「生きづらさ」を他人事で片づけてしまいがちだったり、マイノリティと同じようなイメージを持つことが多いですし、私自身もそのように考えて活動していました。
しかし改めて「生きづらさ」というものと向き合い、新たに私なりに定義づけた時に「至って普通で、思った以上にシンプル。」だと感じました。
私が当事者だからそう感じるだけだと思っていましたが、社会の中で「生きづらい」というワードが蔓延していなくても、それに似た感情からの言葉が多く存在していたことから、私は「生きづらさ」は思った以上に身近にありうる問題だと思いました。
「生きづらいって普通。」「当たり前にある感情だよ。」「一人じゃないよ。」「そんなに考え込まないで。」
そんな言葉は、当事者にとって心の支えや光になれるかもしれない。私たちには関係ないと影に追いやっている社会の人に「生きづらさ」を感じてもらうスポットライトになれるかもしれない。
そんな思いから「言葉の力でヒカリを照らす」をコンセプトにした「言葉の発信地 ヒカリテラス」を立ち上げました。
今まで、代表という立場になることを怖いと感じていました。未成年だから自身で責任を取ることができない、完璧主義の独りよがりの癖にお豆腐メンタル……。未熟な私がその場に立つなんてできない、代表、リーダーなんて向いてないと思って敢えて逃げていた節がありました。
でもそれは言い訳にしか過ぎないことと、周りに支えてくれる人がいっぱいいて、助けてくれることを知り、私なりの代表としての在り方を模索してきました。
責任が取れないなら最大限の予防策を張ればいい、独りよがりならその性格にあったリーダーになればいい。
少しずつ、「言葉の発信地 ヒカリテラス」という旗を持つ覚悟を持てるようになりました。
受験ともたたかいました。w
また色んな活動を表立ってやっている水面下で、大学受験の準備をしていました。
今までの私の出来事、黒歴史になりうる所も、そうでない所も全部振り返り、活動や思いを踏まえて、これからをどのように生きていきたいのかを考えました。
これまで私の実体験から「生きづらい」というワードを中心に色んな社会問題やマイノリティ、「生きづらさ」と向き合ってきました。
また私が昔から好きだった「言葉」と関わることも普通の高校生以上に経験させてもらいました。
昔からメディアの世界に憧れを持っていたり、ライターの先輩や編集長のお姉さんの言葉から言葉の持つ力の可能性を感じていたこともあり、言葉、メディアについて学びたいと思うようになりました。
そう思う一方、社会に生きづらさを感じる人の力になる学びを身につけたいとも思っていました。ネット特進に所属していた時に、学習コーチのお姉さんに言われた「コーチという仕事にとても向いてるよ。」という言葉がずっと頭に残っていました。コーチは元々馬車を意味していた言葉で、その人のゴールに道筋を立ててあげて導いてあげる人をコーチと呼ぶのだと教えてもらいました。
その時に、コーチではなくてもそういう人間になりたいと考えていたこともあり、生きづらいと思っている人の生き方に光を照らし導ける人間でありたいと考えていました。
そんな中で決めた進路は、法を学ぶという道。
ここまで読んでいて「文学部」「社会学部」「心理学部」などが頭に浮かんだかと思うだろし、「なんで?」って思う方も多いと思います。
「生きづらさ」を定義づけし、根本的な解決策を考えていた時に、「当事者に向けた取り組みばかりじゃ現状維持にしかなりえない。その考えのまま、色んな方法を学んでも根本的な解決にはならない。」と思いました。
だからこそ、メディアや当事者自身の心理状態、社会の生きづらさを勉強しても大して私がやりたいことには結び付きにくいと考えました。それにそれらは独学でも学びやすく、深く探求したいと考えていなかったから、大学4年間かけて学ぶなら、他の学びを私の血肉としたいと思いました。
昔の私は何が好きだったか、何に興味があったかを考え直した時に深夜にやっている政治関連の討論番組「朝まで生テレビ」でした。w(渋いなぁ。)そこから法学の道に進むことを検討し始めました。
進路を決めた大きなきっかけは、法は社会を作る骨組みだと考えられたことです。
社会は多くの人が存在し、人が考えを持ち行動することで社会は動きます。人は好き勝手行動しているわけではなく、社会のルール、法の中で行動します。だから法は社会を作る骨組みだと考えました。
社会が大きく変わるとき、法も変わりました。男女共同参画社会基本法は、男性と同じように社会で活動できない社会を変えたい女性たちが声をあげ、多くの偏見とたたかいながら、男女平等を訴えてきました。だから今の社会は、まだ男性の方が強いイメージはありますが、女性も働きやすくなり、社会にも進出しやすくなりました。(いやまだまだだけど。)
そういった社会の動きに大きく影響する、社会の骨組みである法を学ぶことが、生きづらい社会を解決する糸口になるかもと思い、進路を決めました。
それに「生きづらさ」を和らげる手立てとして、心療内科に通ったり、セラピー、カウンセリングを受けたりという手段があげられますが、どれも医療や心理、コミュニケーションというカテゴリになり、法から視点での手段はあまり聞かないことが多いです。
でも法は、社会の骨組みだけでなく、どの人間も社会に参加できるようにつくられた手助けの機会でもあると感じているので、法的な視点を持つことで、色んな解決策を提示したり、苦しみを和らげることもできるのではと思ったことも、進路を決めたきっかけになりました。
そんな風に私のこれまでとこれからを考えられたことも、大きな成長になったと思います。
18歳の抱負。
17歳としての一年間は多くのことを経験させてもらったり、自身がたどってきた道のりをじっくりと眺め、これからを考えられた期間でした。たくさんの人生の先輩の価値観や生き方を学び、活動の大きなキーワードであった「生きづらい」を掘り下げ深く考えた期間でもあり、広く深い学びを私の力にすることができました。
18歳はその学びを更に私の力に変え、ヒカリテラスやまぶぃーずの活動をより多くの「生きづらさ」を持つ当事者の人の力や支えになれるよう、パワーアップと進化を重ねていきたいと考えています。また今の知識に満足することなく、今まで以上に「生きづらさ」について勉強し、その学びを実際の活動に生かせるようになりたいです。
そして春からは晴れて大学生になり、高校生の時に感じた色んな年齢による制約が外れていくので、今までの活動も少しエネルギッシュに活動できると思うので楽しみです。でも、まだ未成年には変わりないし責任を取りきれないので、今までのように慎重に判断、行動したいです。
あとはとにかく大学生活が楽しみです。新しいことを学んだり、その学びを実際に生かせる場だと思うので、大学での4年間、まずは1年を有意義に過ごしたいです。
また実際に学校に通ってリアルな場で勉強するという機会自体が約2年ぶりなので、若干不安ではありますが、着実に通学や学ぶ環境に慣れていきたいです。
卒業までの数か月の間で、高校生活も味わい尽くしたいと思いますし、ちょっと面白いことも企画しているので、その企画も実行できるように、また成功できるように、一つひとつの作業を楽しんで取り組みたいです。w
18歳は新しい環境で過ごすようになって生活もガラッと変わるかもしれませんが、今までのように、やりたいこと、挑戦したいことにも、少しずつ手を伸ばしていきながらも、大事にしているヒカリテラスやまぶぃーずの旗を持ち、前進していけるようになりたいと思います。
ブログも細々とですが続けて、私自身の変化や成長、道のりを楽しんでいけたらいいな~。
これからも、私自身とブログの方も、暖かい心で見守っていただけたら嬉しいです。
気づいたら4000字でビビってるので、本日はこれまで!w
それでは~!!
「私の中では変わったとは思いません。」
こんにちは!
最近「お話を聞きたいです」とおっしゃってくださる方がいて、私や活動のお話とか、質問をいただいたりすることが増えてきました。
内心、嬉しいような恐縮なようなで、ビビってます。
私のブログを読んでくださる方や、活動のことを応援してくださる方、暖かく見守ってくださる方も最近になって増えてきて、なんだか嬉しいです。
いつもありがとうございます。
今日は私のブログに出てきたり、よく質問でもいただく内容だったりする
「自分自身で変わったと感じますか?」
「なんで変わることができたんですか?」
という問いについて、心の中を深堀りしていきたいなと思います。
このブログでは「変わった」とは言いますが。
結局の所このブログの目的として、私自身が私の中の心情や色んな部分の成長・変化を知ったり、私の人生の色を実感する、という所があります。
だから、ほんの微々たる変化や感情の起伏、人生の中のほんのちょっとの出来事も、このブログでは事細かに記しています。
その結果、よく「過去と比べて変わった」という表現をしている所が多いし、私と同じように不登校だったり、引きこもりの経験がある人や生きづらさを抱える人は「変わった」と感じると思います。
でも本当に変わったのは、私自身ではなく、私が生きてる周りの環境だと感じています。
このブログを初めて約2年が経とうとしていますが、環境がメキメキと変わっていく様子が文面からも分かると思います。
学校を転校したり、バイトをしたり、辞めたり、色んな大人と出逢ったり、団体を立ち上げて活動したり……。
でも正直言うと環境が変わったところで、そう簡単には変われないだろうし、変わってないです。w
どんな環境にいても、どんな肩書きを持っていても、どんなことをしていても、私は私でしかなくて。
感じていることも、悩んでることも、苦しんでいることも、思ってることも、持っている傷も、光も、何も変わることはなくて。
環境が変わることで、見える色も変わっていくけど、私という形に変化はないと感じてるので、私は変わってないと思います。
私が苦しんでいた時、周りの優しい人は
「時間が解決してくれる」
と言ってくれてました。
でも時間が解決してくれるものは、時間に制限があるものだけでした。
生きづらいと感じる心も、私の中の傷も、何もかもに打たれ弱い私自身も何も変わらないまま、環境だけが変わっていきました。
そう思ってるから、「私の中では変わったと思ってません。」と前置きを添えてお話することが多いです。
そういう反応を聞きたいわけじゃないと思うけど、誠意を持って話を聞いてくださる方には嘘はつきたくないので。
変わることは、それほど重要なのか。
昔から、私が持つ性格や気質があまり好きではありませんでした。その為、何度も「変わろう」と色んなことをしてきました。
性格を繕ったり、偽ったり、心の違和感、苦しみを我慢したり。
そんなことを繰り返す度に、色んな人に嘘をついている罪悪感や、本当の私を知ったら離れていくんじゃないかという恐怖心、私らしさが消えていく喪失感に心が耐えきれなくなったり、何か生きづらさを感じていきました。
そう簡単に人が変われないことはわかってる。
変わることで得られることはなんだろう。
変わって、どんな事が起きるんだろう。
私にはよく分からなかった。あれだけ「変わろう」と思ってやってみて、残ったものがあまりにもしょうもないものだったから。
もしかしたら、「変わる」ことよりももっと大事なことがあるのではないか。
今の私が思うに、深く知る、そして認めることが大事なことな気がします。
ゲームに例えると、ゲームに勝ちたいならまずは自分が使うキャラクターの特性、弱点を探る所じゃないでしょうか。
ゲームのキャラとかって、得意なものをやらせるとめっちゃ強いし、苦手なものをやらせると全然弱いんです()
実社会も同じだと思っていて、誰もが得意なこと、苦手なこと、特性とかを持っていて、得意なことはめっちゃ強いし、苦手なことは激弱なのではないかなと。
だから、自分を深く知る、得意なことも苦手なことも自ら認めてあげることが大事で。
環境が大きく変わって、いろんな景色を見てきた中で、私は変われなかったと落ち込んできました。
でも、それだけじゃなくて「変わる」こと以上に「私自身を受け止める」ことが大切であったり、人間として豊かになれるのではと考え、少しずつ挑戦してきました。
私自身を理解していくために、このブログを含めて、日記やノート、言葉を綴るという行動はとても重要なもので、何が苦手でどんなことが得意で、どのような性格を持っているのかを文面から探っていくことができました。
受け止めるまでには至ってないけど、大きな進歩だと感じています。
「変わってない」とは言っても何もしていないわけではなく、私を知るために挑戦を重ねた期間でした。
嫌いで、嫌いで、たまらない。
そんな時ばっかりで、本当に変えたくなる。
「こんな性格だから友達できない」
「こんなんだから、生きづらい」
いっぱい責めて、自己嫌悪に押しつぶされる。
どうしても「変わる」=すごい事、ってなってしまう事が多くて。
憧れてる人が完璧な人間に見えてしまって。
だから、完璧を目指したくなって。
自分の嫌なところしか見えなくなってしまって。
自分の嫌な部分をひたすら削り落として。
そうすると、自分の好きな部分すらも嫌な部分に見えてしまって。
また、削り続ける。
気づいたら、何も無くなってしまってる。
「変わる」ってなんかかっこいい。
「変われたら」きっとすごくなれる。
でも、本当に必要なことでしょうか。
今じゃなきゃいけないことでしょうか。
嫌かもしれないけど、自分を見つめてみることで、いびつで完璧でない自分を受け止めることが出来るかもしれない。
そしたら、もう削らなくていい。
「ありのまま」なんて、くさいこと言うべきじゃないけど。
私は「ありのまま」で生きていきたいと思いました。
今書いて気づいたけど、この心情の変化こそ「変わった」って事なのかな?w
それでも私は「変わってません」を突き通すと思いますが、読んでくださってる皆さんもそうだと思っておいてくださいw
キリが良いので、今日はこれにて!
いつも読んでくださりありがとうございます(*'ω')
「孤独」と「居場所」の話をしよう
「孤独」というものは「生きづらさ」を助長すると思ってる。
誰にも理解も共感もされない、仲間もいない。不安だし、生きてる社会が冷たく感じるし、息が出来ない感覚になる。
きっとそんな状況下が「生きづらい」で、「生きづらさ」を更に助長してるんじゃないかって。
私は、人が多い場所が苦手だ。竹下通りも、新宿駅の構内も、渋谷のハチ公前、清水寺の大きな坂道も。酷い時は、学校の子がお喋りしている廊下ですらも苦手で、吐きそうになっていたほど。
人酔いっていうか、行きかう人々の感情に酔ってしまう。
怒り、苦しみ、悲しみ、嫉妬、殺意とか、喜び、憧れ、安心、そういう感情がゴロゴロと転がってて、揺さぶられる。
知らないうちに、心も体も疲れ果てて帰ってきたりする。何故か、冷たくて、息が出来なくて、苦しい。
私だけ取り残された気分になる。並々ならぬアウェー感を覚える。
かといって、地元に帰ってきてからも、知り合いに会うたびに怖くて逃げてるから、私には「居場所なんてないんじゃないか」って孤独を感じた。
私は今も昔も、ずっと「生きづらい」。多分、虐められたとか、体罰にあったとかなんて関係ない。不登校になったのも、学校には「居場所がない」と感じたからなんだと思う。
外の世界を知らないだけだ、思い過ごしに違いない、そんな事ない。
誰からもそう言われた、私自身も何度も何度もそう思おうとした。
「孤独」は人の視界を暗く狭くしていくものだ。よく言われることで、だからそう思いたかった。
両親とか、塾の先生とか、相談員の人とか、色んな大人に話してみたりもした。でも大抵の人は「もっと苦しい思いをしている人がいる」「私の方が苦しい」って簡単に言う。
私の苦しみを理解してくれる人はもういないと思ってた。孤独だなぁって思った。息が苦しいなぁ、もう嫌だなって。
更に心にふたをして、塞ぎ込んでいった。
カウンセリングを受けても、せっかく相談にのってくれても、「何でもない」と言い張った。
私が感じる違和感も、苦しみも、息苦しさも、誰からも理解できるものでない限り、私の中でなかったことにした。
私の中で起きる不調や、違和感を無視して、でも周りの感情に揺さぶられて、その揺れだけは無意識に反応し続けているサマを見て、「からっぽ」と感じるようになった。
何が起こってるのかもわからない。ただただ悲しい。訳も分からずに泣き、叫び、怒り、私を傷つけた。
私は空っぽ。何もない人間。価値がない人間。
そっから変わりたかった。一歩でも前に進んでみたかった。その一歩までに何年もかかった。
その一歩がつい最近かもしれない。
未だに何も言えないけど、簡単に苦しいことも、今起きていることも言えないけど、居場所づくりというモノを通して変わろうとしている。
私が欲しいと感じた居場所をつくろうとしている。
共感と理解が生まれる場所を、孤独を和らげられる居場所を。
私がこの社会で生きていくために必要だと思った。
居場所づくりを始めた時は、私がどうしてこんなに苦しいのかわからなかった。何かわからないけど、無性に息苦しい、そんな感情を抱いていた。
勝手に、不登校になったからだ、引きこもりになったからだ、うつ病だったからだ、と決めつけていた。
本当の理由はもっともっと深いところにあった。
「孤独」と「共感」と「居場所」。
だから、「孤独」と「圧倒的な共感のある居場所不足」は「生きづらい」を助長するだろうし、
「生きづらい」は何かの病気、何かの障害とかに関わらず、そのような孤独を含めた苦しみ、辛さを感じたことで、社会参加が難しい状態を指すのではないかと思った。
そのように指した時に、誰しもが「生きづらい」と感じる可能性がある。「生きづらい」によって苦しむ可能性がある。し、「生きづらい」はマイノリティではないと思う。
だから、共感・理解が生まれる場所をつくることに意味がある。私にとっても、当事者にとっても、きっと社会にとっても。
傷を負ったからこそ、それは知恵にでも力にでも変えられる。
今は自信がないけど、正直めちゃくちゃ怖いけど。
ポジティブに、ハッピーに生きよう!前向きになろう!なんて言わない。いつか、そうなりたいけど、心が痛い。そんな居場所、私はお呼びじゃない。
出来るのは、理解と共感。寄り添うだけ。何もできない。だけど私はそれで充分。
上手く生きられなくて、不器用で、敏感で、弱くて、傷つきやすいなら、その傷だけでも癒せる場でありたい。また傷ついたら戻ってリスタートすればいい。
私はそれだけのために立っていたいなと思った。みんなが戻ってこれるように旗を持ってお留守番役をしたい。
そういう居場所をつくりたい。言葉の力で。リアルな世界で。
だって今、生きづらいから。居場所が少なくて、欲しいから。
私も一緒。生きるの自信ない。生きづらい。不器用。
だから、居場所づくりをしています。
波に揺られて色々。
深夜にこんばんわ、ちーです。
ここ最近、ほんと〜〜〜に心の波が激しくて仕方がなかったです。でも今月からまたスイッチ押し直して頑張ります。(いつも通り)
いつも人前には見せることは無いけれど、私の心の波は毎回毎回大荒れ状態です。w
ほんのちょっとの事でバランスが崩れやすく、ポロポロと壊れやすいのです。
自分のことであっても、家族や友達や仲間のことであっても、何も知らない他人のことであっても、すぐに感情の波が崩れやすい……。非常に脆すぎるw
そうなったら盛大に心を塞ぎがちになるし、自ずと引きこもりがちになるし、めっちゃ自分で自分を傷つけがちになって、その後に哲学的なことを考えがちになるのが、通常通り。
波に揺られて、色々あった(メンタルのところ)ことをただ綴っていきますね、今回は。
トラウマ多め、地雷も多め。
約18年間、それなりに普通に山あり谷ありで生きてきて、人並み以上にトラウマと地雷を抱えて生きてます。あと、生きるの不器用すぎて避けたりガードする方法も知らずにガッツリ当たって生きてるような人生です。
今までも割と何度かぶち当たって、瀕死状態に陥ったりもしてたんですけど、今回もまさにそんな感じ。
ここ一年近く、トラウマにも地雷にも運良く遭遇してなかったから、今回は長引いちゃいましたね。w
それで、そーいった状態になると身体って正直で、風邪引いたり、持病悪化したり、色んなモノに敏感になったりするんですよね。
だから、いろんな活動に距離置かせてもらってました。迷惑も割といっぱいかけました。
本当に何も手につかなくて、文章も人に見せられるような事は頭に浮かばないので書けてないし、外も出る気ないなぁみたいな。(まさに廃人化)
そーゆー時って無理にでも何かしないと自己嫌悪になってメンタルやばめになるので、何かやろうと思うんだけど、周りのみんなが気を使ってくれて作業が何も無くてw
なんか、そんな事今まであんまり無かったからじんわりと嬉しかったんだけど、周りに迷惑かけてる感じとか、何も進んでない状態見てて、めっちゃ自分責めてました。()
でもそんな中でも、ちょっと嬉しいことがあって、まぶぃーずのイベントに来てくれてた子から「ヒカリテラスについて興味あるんだけど」「いつまぶぃーず再開するんですか〜?」とか連絡をくれたり、「ちーちゃんと一緒にこんな事がやりたい」って言ってくれたりして、私が思い描いていた事が少しずつ周りにも広がっていってるのを感じて嬉しくなりました。
それに今はお休みしてるまぶぃーずも、ずっと思ってくれてる人がいる事にとても救われました。
そんな嬉しいこと、救われることが積み重なって、色んなことを考えるようになりました。
私が大事にしていたことを大事に思ってくれている人たちが、もっと生きやすく、幸せに生きられる何かを増やしたい、パワーアップさせたい。その為には私を何とかしなきゃ。
パワーアップするには今を知っていかないと、勉強していかないと。
ってずーっと思ってたので、「生きづらさ」とは何かを私の中で研究?したり、コーチングを俄ながらに勉強したり、今の社会を知りたくて、新聞やらニュースやら、ネットニュースとか色んなモノにかじりついて生活してました。
それと同時に、ずっと行きたかったタピオカ屋さんに行ったり、ウィンドウショッピングをしたり、図書館で本に囲まれたり、親子でカフェ巡りをしたり、美容院行ったり、勉強したり、ゲームをしたり、私を大事にする時間をたくさん取りました。
周りから、サボりだの、ニートだの、引きこもりだの言われても、それが事実でも、私にとっては大事な休養の時間なので、そういったタイミングが取れて良かったかもしれません。
不器用なりに生きてるので。
こういうトラウマと地雷にぶつかった時には、いつも生きるの不器用だなぁ、生きづらいなぁ、人間辞めたいなぁって思います。
文章の中だけは、素直で正直であろうと決めているので、このブログやTwitterとかを見てる人は感じてないと思うけど、
自己開示も、感情や意見を表現したり、伝えたり、そもそも人と関わるのが苦手です。(好きだけどね)
だからリアルな場所に居ると、頑なに私を塞ごうとするし、感情や意見も必要最低限だけ正直でいて、大抵は人に流されてるような奴です。簡単に言えば、嘘つきなコミュ障。
本当に一部の人以外は、私自身が私の感情とか考えてる事とか分からないまま、一緒に過ごしてたりします。
私と関わってくれる人との感情とか感じてることの境界線が元々曖昧というか薄くて、人付き合いが苦手なんです。
最近は少しずつ、濃くなっていった感じがしてて、人と関わるのがもっと好きになってきました。
でも色々、心の波が荒れて、ポロポロ崩れていった今は、せっかく濃くなってきた気がした境界線もまた薄くなろうとしていて、人と関わるのに怖気ついてます。
人に私の素性を見せるのが怖い、嫌われて孤独になって勝手に傷つけられるのも怖い、生きてく中で色んなものが怖い。
それでも、人と関わることや、感情とかは大好きだし、私が大事にしていることを守っていきつつも発展させていきたいと思ってるので、弱気なこと言ってられないんですよね。
自分のためにも、大事なもののためにも、弱くてもしっかり生きたい。
だから、頑張って生きてるのやめたいけど、頑張って生きてます。
チキンだから、元々めっちゃ弱いから、生きるの不器用だから、頑張って生きてます。
いつか不器用でも、めっちゃ弱くても、幸せに生きていけるように。
今月、今年最後だし仕切り直しますね〜(๑′ᴗ‵๑)
私も18歳の誕生日迎えるからね〜(๑′ᴗ‵๑)
頑張ろうねぇ〜(๑′ᴗ‵๑)
あぁもう、N高も卒業かぁ……
こんにちは!(て書くけど、いつも深夜なんだよな)
今日は、在籍してるもうそろそろ卒業するN高についてお話がしたいので。
この前のブログにちょっと書いたやつとか、卒業することについてとか、思いとか、今のうちに書きとめておきたいです。
この前、遊びに行ってきましたw
この前、学校のお友達と制服デートをしてきました。w
無理言って、制服を着て、片道1時間かけて来てもらい、ランチに行って、色々お話して、プリ撮って、高校生らしい一日を過ごしました。
とても楽しかったし、嬉しかった(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)
来てくれたお友達は、一般の高校では後輩にあたるんですね。
私は卒業なので来年はないけど、彼女たちには来年はあって、来年が最後なんです。
来年の文化祭についていろんな話を聞いて、頼もしいなぁと感心したのと一緒にものすっごい悲しくなったのが本音。
だって、私もう居ないんだもんw
でも、こうやって真剣になって来年の文化祭をより良いものにしようとしてくれる姿がとても嬉しかったです。
正直、普通の高校なら文化祭にそこまでの労力もかからないし、力を入れるって言っても期間で表すとせいぜい2ヶ月ちょっとです。
でも、N高の文化祭は半年かけて企画から、フードの試作・価格設定も、進行台本も、BGMも、当日のタイムスケジュールも全部決めていきます。
何よりも、どの学校よりも真剣で熱心、パッションがあると思ってます。これは本当に。
改めて不思議な高校、やばい高校だと感じました。
でも私はそーゆー子がいっぱい居る所が好きです。
卒業って早いし、あっという間。
私は高1の冬、逃げるようにN高に転校してきました。
「友達とか作らない」
「高卒の資格取れたらいい」
「楽しめなくてもいいから、穏やかに過ごしたい」
そんな思いで転校しました。
なのに、早々にお友達ができて、文化祭の前線で活動して、超パで合唱して、後輩って呼ばれる子と更に仲良くなって……。
知らないうちに、全国各地にお友達ができてました。w
超パの時、私は参加できなかったけど終わったあとに、友達に会いたいがために新都心に向かって、何も言わずに会いに行きました。(実は)
その時にたくさんの子から、「合格おめでとー!!!」って言ってもらえて、幸せでした。ていうか泣きそうだった。
素敵なお友達に恵まれてるなぁ、出会えて良かったなぁと思いました。
なんだかんだ言って不思議と一番楽しかった高校生活でした。
小学校も中学校も、学校に行かなくていい思い出も無かったし、周りに進路が決まっても素直に報告出来る友達も、素直に喜んでくれる友達もいなかったから。
正直、とてつもなく濃い高校生活でした。
嫌なことも辛いことも、許せないこともいっぱい経験したけど、人間らしくなれた気がしました。
大学が決まって、高校最後の学校行事も終わって、思ってるのは、
ただ悲しい。
ってことだけかもしれません。
もう学校のイベントでN高生として、みんなと肩を並べて何かをするなんて出来ないから。
外で見守るしか出来ないから。
当たり前のことなんですけどね、すごく寂しいです。
この遊びに行ったり、会いに行ったりして、来年はいないって事を強く感じさせられました。
卒業するって、こういう何とも言えない悲しいって感情になるんだ、みんなと一緒に何かをするって事がなくなるんだって。
多分絶対そうなるって訳じゃないけど、N高生としてはもう終わりですから。
普通の高校に通ってたら、こんな感情になることはなかったと思います。
なってたのかな?なってたとしてもここまでではないと思いたいw
良い事も悪い事も沢山あった高校生活でした。
多くの人と関わって、素晴らしい思い出を作れて、仲間を作り、友達と出会い、私は幸せだったと思います。
単純なことしか言えないけど、
卒業までのあと約5ヶ月、悔いの残らないように過ごしたいです。
大切な仲間たちと過ごす時間も、友達と話す時間も、高校生だから楽しめる時間も。
やりたい事リスト、近いうちに作ろうと思います。
高校生活、やりきるために。
大事に過ごしていきたいですね。それでは💓