ちーちゃんのブログ。

ポンコツ系エニートが言葉を綴る何でも日記。

「生きづらさ」と「自死」の話。

こんにちは!

夏休み終わってから、ずっと読んでみたかった、読まなきゃいけないって思ってた「自殺対策白書」をようやく読むことができています。

 

最近になってポツポツと子どもの自死について、いじめについて、ニュースに出てくるようになってきました。

 

過去最大だ、過去最悪だ。。。でも数年前からずっと言われてきていたよ。。。

 

今日は「自死」について、所感みたいなこととか思ったこととか書きたくて、スマホから失礼してます。

 

結局、世の中生きづらいんだ。

色んなデータを見て、年齢別、男女別の死亡原因や自殺理由、10代の自死について……。

 

見れば見るほど、深刻なように見えて、でも実はそうでも無いかもって思えてしまいました。

15〜39歳までの死因要因の1位は「自殺」なんですね、その他の年代も、2位や3位に「自殺」と載っています。

 

医療技術が発達して長生きする人が増えたっていうのと同じ感覚で、

単純に昔なら亡くなっていたはずの病気も治るようになったから、様々な病気の死因が減って「自殺」が試飲で亡くなった人が増えたように見えたのかなとか。

 

考えようと思ったら考えられるんですよね。データや数字の難しいところです。

 

まぁそんなことを思っても、色んな国と比較すれば自殺する人が多いなぁって思うんですけどね。

 

個人的に見てて印象に残ったのは、原因・動機のデータ。

10歳代のデータを見ると圧倒的に高いのが、学校問題。いじめや学校内のコミュニティでの人間関係、進路の悩みなどが細分類の表では挙げられていました。

 

今の10代において、学校でのコミュニティで過ごす時間って、生活の大部分を占めているからこそ、そこでの悩みや不和はすごく苦しいですよね。

 

私もすごく苦しかったからすごく理解できる。当時は死にたいというより、存在ごと消し去りたかったし、これからの将来に希望が持てなかった。

学校でまともに生活できない、通えないってことは、社会でやってけないって誰からも脅されてたし、本当にそうだと思ってた。

 

次いで、健康問題、家庭問題となるわけです。

 

健康問題って、すごく重篤な病に侵されて生きてても仕方がないから自殺するみたいな感じをイメージする方も多いと思いますが、

健康問題による自死の殆どは、うつ病統合失調症、依存性などの精神疾患なんです。

 

その発症理由を辿ると、学校や家庭、経済や勤務の問題に流れてくるわけですが……。

 

そして、家庭問題は、2018年で数値が上がってるように見えます。ここでも色んな問題が見え隠れしてますが、ここで上がってるのは今まで見えなかった家庭問題での自死原因が見えるようになってきたからなのかななんて思ってます。(いじめのデータと同じような感じで)

 

考えれば考えるほど、世の中ってどう足掻いても生きづらいなって。誰もが自死の選択をしてもおかしくない状態になってきたなって。

 

自殺対策白書のデータや、自死に関する本を読み漁ってみて、

自死が個人の問題として扱われる時代は終わって、社会問題として扱われはじめてきたなと思う反面、

他人事じゃなくて、社会にゴロゴロと転がってる問題になってきたなって感じました。

 

「生きづらさ」は単にマイノリティだから感じるものではなくって、

やっぱり、普通に学校に行って、仕事をして、家庭を持ってる人でも感じてしまうものなんだって。

 

そう考えると「生きづらさ」は社会に蔓延している。のに理解は追いついてない。他人事だから理解しなくてもいいやって思ってる人がいる。気付かない人がいる。

 

日々、そこに苦しさを持って生きてます。

現にとてつもなく、特に何も無いけど「生きづらさ」を持ってる身としては。

 

社会って、生きづらいなぁ。生きてるだけで褒められたいよ、しんどい中生きてるんだもん。

 

なんてね。笑

 

希望の喪失と生きる力と。

 

とある自死に関する本の中で(若干日が経ってるのでうろ覚えですが)、

 

「彼らは、死ぬエネルギーさえ持っていないために仕方なく生きている。」だからある意味、自死をする人には、自死するためのエネルギーが残っているということだ。

自死」という行為は「生きたい」と思う気持ちの裏返しである。

 

という文章があって、納得いったけどすごく心が苦しかったです。

 

「生きたい」と思ってる。でも早くこの苦しみから開放されたいとも思ってる。だから残ってる生きる力を振り絞って、自死を選択する。

 

それすらできない生きる力が無い人は、ただただ苦しみから耐えるだけで、死んだように生きていくしか方法がない。

 

自死を選択した人も大きな苦しみを持っていたけれど、死んだように生きるって本来の苦しみよりも苦しみが増大されたように感じてしまいます。

 

その苦しみからも逃れることもできない、もはや何もできない、本当に苦しいです。

 

だからそういった人の中には、アルコール中毒や薬物中毒に陥る人も多いそうです。

 

生きる力を補給できないんですよね。すり減ってしまうだけで。

 

自殺対策基本法第二条、基本理念のところに

 

自殺対策は、生きることの包括的な支援として、全ての人がかけがえのない個人として尊重されるとともに、生きる力の基礎として生きがいや希望を持って暮らすことができるよう、その妨げとなる諸要因の解消に資するための支援とそれを支えかつ促進するための環境の設備充実が幅広くかつ適切に図られることを旨として、実施されなければならない。

 

とあります。

だから生きる力を補給するためには、生きがいや生きるための希望がなければ、補給ができないのかなと思いました。

 

確かに、自死は希望の喪失から生まれるものだろうし、自死は生きる力の裏返しなら、苦しみを和らげて、希望を見つけて生きてほしい。

 

実際、私も生きる希望を見つけるために生きてるようなものだし。

 

結局、「自死」の問題も、希望の喪失から生まれるものだと思います。

 

これから先、生きていても仕方が無いと思ったから「死にたい」と思ったし、

大人になるために頑張って生きてたのに「学校でやってけないなら、大人になって社会に出てもやってけない」なんて言われてしまったら、もう希望のへったくれもないから死にたくなったし。

 

希望の光がちょっとでも見えなくなったら、生きてても仕方がないって思うのも無理ないじゃん?って思ってます。

 

じゃあどうすればいいんだろう?

どうすれば自死が減らせるんだろう、どうすれば人生に希望を見いだせるんだろう。

 

そこが私にとって、1番の悩み。

何となく死ぬのを延長してる身分で、ずっと人生に希望を見出したくて、生きている意味を探したくて、何となく生きてるけど、これと言って生きる希望は見つからなかったので。

 

今を生きるのに必死すぎて、先が見えなすぎてます。正直。

 

でも圧倒的に、

まぶぃーずやヒカリテラスを通して一緒に生きる仲間を見つけたこと。

そして、私という存在が求められている環境、居場所があること。

 

が今の生きていく中でのセーフティネットになってます。

 

私は運が良かったと思います。こうやって生きる希望を疑問視してるけど見つけられているのだから。

 

こうやって生きる希望を見つけるほどの力やパワーがない人もいっぱいいて、補給も出来ずにずっと死んだように生きている人もいっぱいいるわけです。

 

私はどのように力になれるんだろうか。

彼らと一緒に生きていけるのだろうか。

 

そもそも、私はこれから先、生きていて、人生に希望や意味を見い出せるのだろうか。

 

今はまだ生きていけるけど、数年後ちゃんと生きていける未来が見えないな。

 

それくらい今の社会って希望が見えませんよ。正直。

 

これからの未来を作るのは私たちなんだから、もっと希望を見つけにサバイブして行かないといけないなぁ、じゃないと死んじゃうなぁと思いました。

 

それじゃぁ!おやすみなさい。

(何伝えたいかよく分からない文章になっちゃった。)