肩書き「ただの人間」
こんにちは!
先日、まぶぃーず2周年イベントのトークセッションでお話してくれる子たちと打ち合わせをしました。
再出発というキーワードをどのように受け止めて考え、伝えていくか、というお話をしたのですが、打ち合わせの時点でハチャメチャに素晴らしかったです……!
真面目に聞きに来てほしいなぁと思いました!
世間話はさて置き、今日はどんな話をするかというと肩書きのようなものを持つと、そのままの自分を見てくれないよねーって話。世の常だろうけど。
「私」=「私」でしかないじゃん
ところで皆さん、私を何だとして認識しているでしょうか。
N高の子、ブログの子、まぶぃーずの子、不登校だった子、ヒキニートの子、おかしい子、マイプロの子、青春基地の子、ちーちゃん……。
色んな認識があるでしょう。色んな場所で関わってくださる方が多いですので。
でも最近、個人的にすごくその「○○な人」っていうレッテルというか肩書きのようなものに悩まされてたりします。
例えば自己紹介をする際に所属を言わないといけない時、「N高のちはるです。」と自己紹介しますよね。
そうするとN高というビッグワードによって、伝えたいと思ってるワードが全く伝わってくれてなかったり、
私として向き合ってくれる方がほとんど居なくなってしまうなぁと最近感じているわけです。
また、そのN高に転入した経緯を聞かれれば不登校の話をせざるを得ないので、ちょっと濁らせながらも話します。
ワードが出なくても、相手側がそう受け取ってしまった時点で、不登校の子というフィルターを貼られてしまいます。
すごく不登校というワード自体もイメージが先走りしすぎる印象で、勝手に可哀想だと決めつけられて「それはつらかったですね」「大変でしたね」と言われたり、距離置かれたりすることが多いです。
自分自身を知ってもらう上で、所属や肩書きのようなものをつけることはイメージに残りやすくするという点で大事なことなのかもしれませんが、私はあまり好きではないんです。
私として生きていたい身とすれば、私として向き合ってくれる方が居ないのはすごく悲しいのです。
ただの人間になりたかったり……
多分、大学生になったり、大人になれば、自ずと肩書きで自己紹介する時がいずれ来ると思うのですが、
日常生活とか今生きているうちはただの人間として、アグレッシブかつユルユルと過ごしていたいと言うのが本音です。
不登校について関わるのがもう嫌ってわけではないけど、元不登校として不登校について関わる現場に立つのは「もういいかなぁ」と思ってます。
それなら、元不登校ってだけでは出来ないスキルを身につけて「ただの人間、私」として、誰かの力になりたいです。
このブログだって、未来のN高生や後輩たちの力や不登校だったり引きこもりだったりと似たような境遇で苦しんでいる人の力になってくれたら、それは本当に嬉しいことです。
でも、N高の人だからでも、不登校の子、引きこもりの子だから誰かの役に立つんじゃなくて、そういう経験がある「ただの人間、私」として力になりたいです。
やっぱり、肩書きやレッテルのフィルターを貼られてる状態で見られていると、私はそういう人間である事が求められてるのかと思うようになったり、やりたい事でも出来る幅が狭くなってしまう気がしています。
これからも人生を歩み続けていく中で、色んな出来事があるだろうし、いろんな肩書きもレッテルも背負ったり、経験を積んでいくことでしょう。
でも、いろんな経験がある、ただの人間として、自身の心が心地良いと感じる方向性でやりたい事をしたり、誰かの力になったりと、緩く生きていけたらとても幸せだなぁと感じます。
今も私のことを○○な人と思って、接してくれている方も多いと思うし、それも幸せなことですけどね!
これから、ただの人間として生きてくために色んなことを学んで、習得し活かしたいなぁと思いまーす!
それでは!!
心の選択を信じて生きる。
こんにちは、!
最近、私のこれまでについて、考えてたりブログに書いてみたりしてるのですが、こんな感情なんなんでしょうね笑
卒業式やら、入学式やらと人生の節目にビビっているのか、感傷にでも浸ってるのでしょうか。
月日というものは、あっという間に過ぎていくものですね。大切な思い出が多ければ多いほどあっという間。
昨日、学校で最後のテストがありました。
受験の前ギリギリまで仲の良かった友達、特進クラスにいた時の友達、写真同好会を設立した時の友達、色んな友達に出会いました。
別れる時は手を振って、「次は卒業式だね!」なんて言って。感慨深いものです。
そんな昨日の出来事も、私の昔の感傷浸りに拍車をかけているようですね。
今日は、「選択したことを後悔しないように生きよう」ってお話。
「後悔しない選択をしよう」じゃなくて「選択したことを後悔しないように生きよう」。
— ちはる (@c_shv2) 2019年2月26日
どんな選択肢があろうと、選択した道が一番だと思うしかない。だったら精一杯胸を張って生きよう。
選択した私自身を誇れるように、後悔しないように。
もう、生き方に自信を無くしたくない。
不登校になった。引きこもりになった。髪の毛がなくなった。皮膚が見せられないくらい酷くなった。odもした。頭の中で死がこびりついた。
でも、そこから抜け出したかったし、これ以上、私を殺して生きていたくないとずっと思ってた。
私を保ちながら、生きていく。
私らしい生き方を探っていく。
そう考えながら、いろんな経験をして、私の生き方について模索していたんじゃないかなと思います。
私が心地良いと思える心の形を探し、その形にハマる心の居場所を作り、心地良いと思える光がある道へ進んでいく。
それが今までだったのだと思います。
私の心にハマる居場所、道を見つけ、進むのにも、色んな壁があったし、辛いことも苦しいこともありました。
まぶぃーずを続けようとすれば、たくさんの人にバカにされたり、変な目で見られたりしました。両親とも数ヶ月、口を聞かない日も実はありました。
ライターという道に進むにも高校生や元不登校という所で壁を張られて、何十社以上も面接や会社訪問で渡り歩いて落とされ続けてました。
私自身のトラウマをどうやって乗り越えるのか、心に抱えている問題をどう解決するのか、そんな事を考えて心理の勉強をする時もありましたし、コーチングの勉強もその一環でした。
今も正直、抱えきれないほどたくさんの問題はあるし、乗り越えられていない部分も解決出来ていない部分もあります。
それでも、1つずつ解いていって前に進めたらいいと思って、人よりも遅いペースだけど歩こうと思ってます。
過去の出来事は捨てようとしても忘れようとしても、残ってしまうからこそ、認めてあげたいし愛してあげたい。
それが私の生き方に自信を持つ大きなステップだと信じてます。
どんな選択でも胸を張って生きよう。
この社会には、「これが一般的に幸せだ」と言われるスタンダードな生き方が存在してると思います。
そして皮肉なことに、どんな大人もそのレールに乗っかるように子ども達を導こうとするし、そのレールから外れれば、「可哀想だ」「社会から外れた奴」だという目で見ます。
でも、レールから外れることはよくある事、だから可哀想じゃないと思います。
むしろ、当たり前。
一般的に幸せだと言われる生き方(中退や退学をせず学生生活を送り、そのまま就職し継続的に収入を得る生き方)を送る人をストレーターと言うとすれば、今どきストレーター人生のレールに乗っていられる人は半分しかいないそうです。
そういうストレーター人生を生きている人は素晴らしいかもしれませんが、もう多数派ではないわけです。
なら、レールから外れても可哀想だなんて思わずに、自分自身が落ち着く幸せの形を求めて生きた方が良くない??
と思ったわけです。
だから、周りから「おかしい」「可哀想」だと言われても、私が私の心が心地良いと思える生き方だったらそれで良いんです。
周りから悲しいこと、辛辣なことを言われるより、自身が選択したことに後悔しながら生きていく方がよっぽど生きててつらいです。
どんな選択をしたとしても、後に引けません。だからこそ、選択したことに自信を持って生きてくしかないし、自身の心が選んだ選択肢を信じてあげることこそが良い生き方だと思います。
私はその方が誇りに思える生き方なんじゃないかと考えているところです。
選択した先の未来を、幸せにするのは自分次第ですから!
まずは高校の卒業という節目を大事に、そこから前を向いていきたいと思います。
それでは〜!
(書くのに3日くらいかかって時系列とかあやふや笑)
劣等生になりたかったんだ。
今日はぼーっと語るように書いていきますね。
今回は、「競うのが好きじゃなかったので、劣等生になりたかった」って話。要は昔話。
競う世界から逃げたくて。
昨日、私も去年参加したマイプロジェクトアワードの東京大会があったことを知りました。
そのためか、去年のことを思い出して不思議な感覚に陥ってました。
全国大会に行く気でメラメラと闘志を燃やしている周りの子たちに着いていけない私が、そこに立ってるのが見えました。
正直なところ、全国大会に行けたのは嬉しかったのですが、特別嬉しい訳ではなく、単純に今まで頑張ってきたことを認めてもらえたことが形となったので安心したという表現の方が正しかった印象があります。
もし仮に全国大会に行けなかったとしても、ケロッとしていたかもしれません。
同じように、これまでの英語のスピーチ大会やコンクール、部活の大会、高校受験に大学受験。
周りの人が緊張する中で、私はそんなドキドキを味わえなかった。
優勝できなくても、賞取れなくても、不合格でも、その場に立った経験だけで満足、そんな気持ちでいました。
正直、勝ち負けで競う環境に居ることがとても違和感でしかなかったし、あまり好きではなかったんです。
勝ち負けや優劣を付けられることが苦しかったし、いろんな物事に対して順位を付けられることが辛かった。
テストの順位や、模試の順位が、上位であればあるほど苦しく感じ、下位であればあるほど安堵した。そんな経験があります。
コンクールで選ばれたり、県大会に出場したこともありましたが、実はすごく苦しかった。
テストの結果が良ければ周りに変な目で見られて嫌われるし、コンクールや良い結果を出しても、そういうイメージが悪い意味で着いてしまう。きっと学校に行ってなかったのが理由ですけど。
それに順位や優劣を付けられることで、「この前のテストで何位だった人」「この前県大に行った人」というイメージしか頭に付かなくなって、真正面から私として向き合ってくれる人が居なくなるんじゃないかと思ったりしたこともありました。
多分この考えは、肩書きを持つことが好きじゃないというのと同じものです。
だから私は、私として向き合ってもらえるように、影の薄い劣等生にとてもなりたかったんです。
劣等生になりたかった
この前、中学時代の先輩の話を書いた時に、優等生に憧れた劣等生というタイトルを付けたのですが、その優等生の先輩に憧れたのは事実です。だってどんなレッテルを貼られてようと凛としていた強い人だったから。
でもそうなれないと悟った時に、劣等生であることの気楽さに気付いてしまったんです。
どうせ競われる社会から逃れられないなら、いっそ底辺に落ちてしまった方が楽じゃないか。
距離を置かれて嫌われるより、バカだって真正面から笑われた方が楽なんじゃないか。
何でもできる、何もしてあげなくても大丈夫、一人でも大丈夫だと、放っておかれるよりも、
助けてあげないと、教えてあげないとって思われる愛される劣等生の方がいいじゃん。
何でもできて、良い子って思われるより、何も出来ないの、バカだねぇ笑って言われる方がよっぽど幸せかもしれない。
劣等生って羨ましいなぁ。
劣等生という烙印は、私にとっては憧れでした。
今でも、劣等生になりたいと思ってます。
でも、もう必要ないかもしれません。競われる社会から離れることが出来そうなので。
競われる社会から離れることができたら、勝ち負けも優劣も関係なくなるし、縛られなくなる、そう思ってます。
あぁ。
いつか、優等生とか劣等生とか、何位の人とか、そんなレッテルを付けられない世界になるといいなぁ。
結果が全てな世の中が無くなってくれたらいいなぁ。
一人ひとりが、一人ひとりとして、個性を感じながら愛されるようになればいいなぁ。
そんな事を思った日曜日でした。
物思いを辞めたら、世界がグレーに見えた。
こんにちは!
この一か月の間、色々あって色々ありました。(このブログで察してくださいw http://suzie126.hatenablog.com/entry/2019/02/11/025041)
いつも感情やメンタルの波は激しい方だと自負しているんですけど、今回はいつも以上にやばめ。
何度か久しぶりに地元のお友達と遊びに出かけたりしたけど、正直しんどかった。w
まぁ、そんなこんなありまして、今月はしんどい時期でした。言葉を紡げない、物思いに耽れない、私じゃないみたいでした。
(今回のブログはいつもそうだけど、可哀そうだと感じてほしくて書いているわけじゃないです。悪しからず。)
言葉を紡ぐことは、心と向き合うこと。
大前提としてブログにしても日記にしても、言葉を紡ぐのは私の感情や感じていることを私の中で嚙み砕き、理解するためです。
要は、言葉を紡ぐ時間は心の声に耳を傾け、向き合う時間と言う事です。
頭の中の考えを巡って、色んな感情を知って、物思いに耽るのがいつものルーティーンのようなものでした。
今まではそれが大好きだったし、逆にそうしないと私自身が人間らしく過ごせない気がしていました。
言葉を紡ぐことで、私自身の目指す生き方ができるようになり、心の安定が保てていたんです。
でも二月に入って、カクシカ色々ありまして、言葉を紡ぎたくないと思うようになりました。
私の心の声を聴きたくなかった、どんな感情を抱いているのか知るのが怖かったんです。きっと、今心と向き合えば、私が壊れそうになるんじゃないかって思ったのかもしれません。
何も考えたくないし、何も感じ取りたくない。
ただ、そこらへんに転がってる石ころみたいに、感情を忘れて、他人の内情とか小難しいことも全部どこかに投げ捨てて、ぼーっとしていたかった。
そうやって思っていたら、自分の部屋に引きこもってました。正直なところ、体調が悪かったのも理由にありますけど。
この時期、急に激しい腹痛を起こして、失神しかけたり、何を食べても味を感じなかったり、食後に気持ち悪くなったり、それなのにお腹に食料をあるだけ詰めたりしてて、かなり異常なことをしてたなぁなんて思います。原因はわかってないけど。
本当に堕落した生活を送っていました。まぶぃーずだって今が力の入れ時なのにサボってたし。
全部辞めてみたら、世界がグレーに見えた。
考えることも、言葉を紡ぐことも、色んなことも全部全部ストップして辞めてみたら、私が人間として生きている感触がなくなって、世界がグレーに見えました。
こんな生産性のない自堕落な生活をして、どんどん私の価値はなくなっていってるのかもなぁ、こんな生活明日もしてたら、私なんて必要なくなるなぁ、なんて自暴自棄になってました。
だから、何故かg.o.a.tってところでブログを作って、無理くりにでも言葉を紡いでいました。私には言葉しか取柄がないと思ったから。
言葉も紡げない、何も出来ない私は、屍と一緒だと思ったから。
でも、このブログみたいに文章を連ねることはできなくて、本当に私ってクソだなって思ってすぐに辞めてしまいました。それでまた、自暴自棄。笑
この時は、あまりにも何も考えてないし、感じ取ってもないから、心が空っぽで、そのモノ寂しさや、悲しいほどに使えない表現力と語彙力と脳みそに怒りを覚えて、一人で号泣してました。
昔よりも自己肯定感を高められてきた、自信を身につけられてきたと思ってはいたけど、それはただの幻想だったみたいです。
こんな時に、私を守ってくれない自己肯定感とか自信なんてって思いましたし、本当の意味での自己肯定感も自信も持ち合わせていなかったんだなぁと感じました。
特に一番に恐れていた心が空っぽな味気ない人工物みたいな人間に近づいていて、すごく怖くなりましたね。
人間らしい色鮮やかな感情を持った生き方をしようと、すーちゃんを辞めた時に決めていたから尚更。
グレーの世界で、人工物みたいな私になっていくのを、何もしないで見つめているのが一番怖かったかもしれない。今でもそんな感覚に陥ることが多くて、めちゃくちゃ怖いです。
この文章すら、何も心を動かさず、書いている現状も怖いです。
今の目標は、グレーに見えるフィルターを外して色鮮やかな世界を見ることです。
まぶぃーずイベントまでにはそうなっておきたいです。新しく出会う人とかお世話になった人と、瑞々しい感情を持ってお話がしたい。トークセッションにも参加するし。
あぁ、頑張ろ。生きるのも、前を向くのも。
皆さんも一緒に頑張ってくれたら嬉しいです。
【ありがとう♡】まぶぃーず2周年イベントやります!
今日、多分はじめて公開した記事をゴミ箱にポイした。
どうも、こんばんは!ちはるです。
色々ありました。そして、文章が書けなくて自暴自棄でした!正直、色々癒えていなかったり、疲れがとれなかったりしておりますが、!
そんなことより、ご報告です!(最初からこう書けばよかったのに笑)
私が活動している団体『まぶぃーず』が、今年の4月1日をもちまして、設立2周年を迎えることとなりました!
そ・こ・で!
まぶぃーず2周年のお祝いと更なる発展、これまで暖かく見守り、応援してくださった皆さんに感謝の気持ちを込めて
『まぶぃーず2周年イベント 再出発~Restart~』を開催します!!!
まぶぃーず自体、昨年から活動がストップしていて、表でも裏でも動かない状況が続きました。
私たち最年少メンバーの大学受験もありましたし、お姉さんメンバーもとても忙しい時期で、個人個人がバラバラになってしまうこともありました。
すごくすれ違ってしまう事も、地雷を落として踏んずけてしまう事もありました。
でもそんな状況もこれでお終いにして、また新しいスタートを切ろう。再出発しよう。
そんな思いで、今回のイベントを企画しました。
だから、ぜひより多くの方に来ていただき、まぶぃーずの再出発を見届けていただければなと思います♡
私自身、多分メンバーの誰よりもまぶぃーずの再出発をしたいなぁ、まぶぃーずをもっと良くしたいなぁと思っていたので、この2周年イベントが出来てほんっとうに嬉しいです。
そのせいか、今まで以上に過去最大にこのイベントに燃えています笑
すごくメラメラしています笑
やっぱり、すごくまぶぃーずに思い入れが深いんです。
私を変えてくれた居場所だし、私を成長させてくれた居場所だから。何もできないと思っていた私に、暖かい目線で私の力を探してくれて、その力を発揮させてくれた場所もココでした。
そんな大切なまぶぃーずを、もっと多くの人に想われ、愛される居場所にしていくために更に頑張っていきたいです。
そんな決意を込めて、イベントの準備と運営を頑張っていますので、何卒応援していただけたら嬉しいです笑
それでは!イベントの詳細をお伝えいたしますね!
まぶぃーず2周年イベント 再出発~Restart~
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まぶぃーずイベント『再出発~Restart~』 イベント概要
日時:2019年3月16日(土) 12時(11時45分開場)~17時
内容:元不登校で現在通信制高校に通う学生らによるトーク
風見穏香によるライブ
交流会・オフ会 など
場所:〒103-0004 東京都中央区東日本橋3-3-3 野田ハーベストビル 1階
(元)わなびばKITCHEN333
参加費:一般 1000円 学生(大学生まで) 300円
(どちらの区分に当てはまるか分からずご相談されたい方は、お申し込みフォームにその旨お書きください◎)
主催:元不登校生グループ「まぶぃーず」
HP https://mavie-s-41.themedia.jp
メールアドレス 41mavi.s@gmail.com
《こんな人に来てほしい!》
🙆今、不登校、引きこもりの方
🙆社会に生きづらさを感じている方
🙆不登校、引きこもり、生きづらさを感じている方のご家族、お友達
🙆不登校、引きこもり、生きづらさについて活動している方、支援をしている方、関心がある方
《参加申し込みフォーム》
https://goo.gl/forms/6pszRQEcBGKxhfod2
《詳細はこちら》
https://mavie-s-41.themedia.jp/posts/5737586?categoryIds=1223185
《Facebookイベントページ》
https://www.facebook.com/events/570431233458748/?ti=cl
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このイベント詳細には書いていないのですが、
個人的には
- 社会や誰かの役に立てる活動がしたい!
- 新しい生活、新しいスタートが不安…
と思っている人にも、ぜひ来てほしいです!
今回もまぶぃーずオフ会を少しの時間ですが予定していますので、一緒にその不安をワクワクにしたり、活動についてお話できたらいいなぁなんて思ってます( ゚д゚)ウム
今回のイベント、たくさんの方と出会い、お話できることを楽しみにしてます!
それではっ!!!
劣等生が憧れた優等生。
地元の情報誌に、今年の成人式の特集が組まれているのを見た。
新成人のインタビューのコーナーで見覚えのある顔。
「……あ、先輩だ。」
不登校だったとは言えども、多少部活もしたし、上級生の人とも少しだけでも関わっていて、それなりに覚えていることもある。
でも、この先輩だけは格別だった。
だって、私の憧れの人だったから。
真面目で、勉強もスポーツも出来て、誰にでも分け隔てなく接してくれる聡明な人。
中学校で何気なく陸上部に入部して、部活のルールや上級生の人との関わり方やマナーを手厚く教えてくれた。
部活内でグループができてしまって、馴染めなかった私に一番最初に声をかけてくれた。
不登校になって部活を辞めた後も、先輩が卒業してからも、気にかけてくれて、会う度に話しかけてくれた。
最初は「何でこんな落ちこぼれ劣等生なんか
気にかけてくれるんだろう。」「何でこんなに優しくしてくれるんだろう。」って思ってた。
でも何度も先輩の優しさと色んなことに挑戦するかっこいい後ろ姿に救われた。
先輩みたいになりたいと思った時もあった。
先輩に憧れて、先輩が参加していた国際親善派遣団に応募して、選ばれてオーストラリアに行ったっけ。
先輩の卒業式のとき、勇気を出して名札をもらいに行ったのも懐かしいなぁ。今でも部屋に大事に飾ってある。
私にとっては、心の美しいステキな憧れの先輩。
でも良い意味でも悪い意味でも目立ってた。
多分、考え方が大人で優等生すぎたからだ。
学校って、思考が大人びてる人が馴染みにくいコミュニティだって誰かから聞いたことがある()
陸上部に入って、はじめて県大会に応援で行った日。2年生の先輩に裏でこう言われたことを思い出した。
「先輩、良い子ぶっててしんどい。」「あんまり関わらない方がいいよ。」
観戦席、2年生の先輩と私たち1年生から少し離れた所に、先輩が1人座ってるのを見て、すごく悲しくなった。今でも覚えてる。
2年生の先輩が、先輩のことを辛辣な言葉で話しているところも、きっと先輩は聞いていた。
でも先輩はその後も引退するまで、2年生の先輩にも私たちにも優しく接してくれた。
言われ慣れてるのか、全く気にしてないのか、我慢しているのか、分からなかったが、私には先輩が強い人に見えた。
何でここまで、自分自身には厳しいのに他人に優しいんだろう…なんて考えてた。どこまで先輩は、完ぺきな優等生なんだろうとも。
真面目で賢くて、考え方が大人び過ぎている心が強く美しい先輩。
後輩の私からは、完ぺきな部分しか見せてくれていないだけかもしれないけど。
私はすごく好きだったんだなぁ。
そんな事を、インタビューを受ける振袖を着た先輩のキレイな笑顔を見て考えていた。
また、少しでもいいから逢いたいし、お話したいと思ってるけど、私にはまだ合わせる顔もない。
まぶぃーずも、ヒカリテラスも、私にとっては胸を張って素晴らしい活動だと言い張りたいけど、きっと先輩を目の前にすると何も言えなくなるかもしれない。
いつかは分からないけど近い将来、劣等生から自分自身を誇りに思える私になった時、また先輩に逢いたいなぁ。そして欲を言うなら活動を見に来てほしいなぁ。
先輩は今、どんな風に過ごしているのだろうか。
インタビューの写真を見る限りだと、また一段とキレイになってたから、ステキな日々を過ごしているんだろうなぁ。
またいつか逢える日まで、もっともっと成長できるように色んなことに挑戦していきたいなぁ。
言葉を、心を、紡ぐ。
この世界には必ず生と死がある。
この世界に産み落とされたからには、死に向かって生きていかなきゃいけないらしい。
それがこの世界の条理とやららしい。
ずっと永遠に存在するものなんてない。
ドラマでも映画でも歌でもあるよね、そーゆーの。
だから、分かってる。多分、この世界のみんなも、私も。
でも、理解しているのと実際に経験するのでは訳が違くて、なんなら物凄くギャップがあった。
強がりな天邪鬼は、誰もいないお風呂場で涙を流してる。
簡単に「ご冥福をお祈りします」だなんて言ってくれるな。
簡単に「可哀想」って言葉で片付けられてたまるか。
確かに居なくなるには早すぎた。でも多くの愛してくれていた人の心がある内に、居なくなり、その後も想ってくれる人が沢山居ることは幸せだと思う。
美しい生き方だった。柔らかく穏やかだった。
そうやって思って、強がる度に、針が刺さるように心が痛くなる。
何も無いふり、気丈に振る舞う度に、ポッカリ空いた場所が悪目立ちする。
ココロの声が聴こえない。
だから、言葉を紡いだ。
堰き止めていた感情が湧き上がった。
悲しい、つらい、わかんない、苦しい……。
今更過ぎて、虚しい。
あー、何やってんだわたし。
カッコ悪、わたし。
圧倒的に、生きるのに不器用で弱く脆い。
何も出来ない、何も動けない、何も感じられない。
そんな私と毎日睨み合い、毎日失望して、毎日何かを繕う。
吐き出す訳にもいかない感情しか持てない。
この感情の居場所は私の心にしかない。
私の心はもう限界。
じゃあ、この感情を何処にやればいいんだろう。
あぁ、生きづらい。
生きづらくて堪らないよ、こんなの。
みんなが大っ嫌いなこの感情。怪訝な顔して睨みつけられるこの感情。
でもこの感情に罪はない。どんな感情も抱きしめられるべき存在だ。
だって、美しい感情だけを持つなんて人間じゃない。汚い感情、嫌われる感情だって持つのが人間だから。
そうやって思わないと報われないでしょ、心が、創り出した自身が。
正直、この感情を出すだけで苦しい。
でも言葉に乗せて出してあげるだけで少しはきっと楽。
「可哀想」「残念だったね」って言ってほしい訳じゃない。
気遣ってほしいわけでもない。
何かを感じなくても、同情しなくてもいい。
誰かに伝えたいから、ここに紡いでるわけじゃない。
私が私のために、ここに紡ぐだけだ。
私の言葉をありのままに紡ぐことの出来る居場所はここだから。
いつか振り返った時に、ここに紡ぐ感情を抱きしめてあげられるよう、ここに記す。