劣等生になりたかったんだ。
今日はぼーっと語るように書いていきますね。
今回は、「競うのが好きじゃなかったので、劣等生になりたかった」って話。要は昔話。
競う世界から逃げたくて。
昨日、私も去年参加したマイプロジェクトアワードの東京大会があったことを知りました。
そのためか、去年のことを思い出して不思議な感覚に陥ってました。
全国大会に行く気でメラメラと闘志を燃やしている周りの子たちに着いていけない私が、そこに立ってるのが見えました。
正直なところ、全国大会に行けたのは嬉しかったのですが、特別嬉しい訳ではなく、単純に今まで頑張ってきたことを認めてもらえたことが形となったので安心したという表現の方が正しかった印象があります。
もし仮に全国大会に行けなかったとしても、ケロッとしていたかもしれません。
同じように、これまでの英語のスピーチ大会やコンクール、部活の大会、高校受験に大学受験。
周りの人が緊張する中で、私はそんなドキドキを味わえなかった。
優勝できなくても、賞取れなくても、不合格でも、その場に立った経験だけで満足、そんな気持ちでいました。
正直、勝ち負けで競う環境に居ることがとても違和感でしかなかったし、あまり好きではなかったんです。
勝ち負けや優劣を付けられることが苦しかったし、いろんな物事に対して順位を付けられることが辛かった。
テストの順位や、模試の順位が、上位であればあるほど苦しく感じ、下位であればあるほど安堵した。そんな経験があります。
コンクールで選ばれたり、県大会に出場したこともありましたが、実はすごく苦しかった。
テストの結果が良ければ周りに変な目で見られて嫌われるし、コンクールや良い結果を出しても、そういうイメージが悪い意味で着いてしまう。きっと学校に行ってなかったのが理由ですけど。
それに順位や優劣を付けられることで、「この前のテストで何位だった人」「この前県大に行った人」というイメージしか頭に付かなくなって、真正面から私として向き合ってくれる人が居なくなるんじゃないかと思ったりしたこともありました。
多分この考えは、肩書きを持つことが好きじゃないというのと同じものです。
だから私は、私として向き合ってもらえるように、影の薄い劣等生にとてもなりたかったんです。
劣等生になりたかった
この前、中学時代の先輩の話を書いた時に、優等生に憧れた劣等生というタイトルを付けたのですが、その優等生の先輩に憧れたのは事実です。だってどんなレッテルを貼られてようと凛としていた強い人だったから。
でもそうなれないと悟った時に、劣等生であることの気楽さに気付いてしまったんです。
どうせ競われる社会から逃れられないなら、いっそ底辺に落ちてしまった方が楽じゃないか。
距離を置かれて嫌われるより、バカだって真正面から笑われた方が楽なんじゃないか。
何でもできる、何もしてあげなくても大丈夫、一人でも大丈夫だと、放っておかれるよりも、
助けてあげないと、教えてあげないとって思われる愛される劣等生の方がいいじゃん。
何でもできて、良い子って思われるより、何も出来ないの、バカだねぇ笑って言われる方がよっぽど幸せかもしれない。
劣等生って羨ましいなぁ。
劣等生という烙印は、私にとっては憧れでした。
今でも、劣等生になりたいと思ってます。
でも、もう必要ないかもしれません。競われる社会から離れることが出来そうなので。
競われる社会から離れることができたら、勝ち負けも優劣も関係なくなるし、縛られなくなる、そう思ってます。
あぁ。
いつか、優等生とか劣等生とか、何位の人とか、そんなレッテルを付けられない世界になるといいなぁ。
結果が全てな世の中が無くなってくれたらいいなぁ。
一人ひとりが、一人ひとりとして、個性を感じながら愛されるようになればいいなぁ。
そんな事を思った日曜日でした。
物思いを辞めたら、世界がグレーに見えた。
こんにちは!
この一か月の間、色々あって色々ありました。(このブログで察してくださいw http://suzie126.hatenablog.com/entry/2019/02/11/025041)
いつも感情やメンタルの波は激しい方だと自負しているんですけど、今回はいつも以上にやばめ。
何度か久しぶりに地元のお友達と遊びに出かけたりしたけど、正直しんどかった。w
まぁ、そんなこんなありまして、今月はしんどい時期でした。言葉を紡げない、物思いに耽れない、私じゃないみたいでした。
(今回のブログはいつもそうだけど、可哀そうだと感じてほしくて書いているわけじゃないです。悪しからず。)
言葉を紡ぐことは、心と向き合うこと。
大前提としてブログにしても日記にしても、言葉を紡ぐのは私の感情や感じていることを私の中で嚙み砕き、理解するためです。
要は、言葉を紡ぐ時間は心の声に耳を傾け、向き合う時間と言う事です。
頭の中の考えを巡って、色んな感情を知って、物思いに耽るのがいつものルーティーンのようなものでした。
今まではそれが大好きだったし、逆にそうしないと私自身が人間らしく過ごせない気がしていました。
言葉を紡ぐことで、私自身の目指す生き方ができるようになり、心の安定が保てていたんです。
でも二月に入って、カクシカ色々ありまして、言葉を紡ぎたくないと思うようになりました。
私の心の声を聴きたくなかった、どんな感情を抱いているのか知るのが怖かったんです。きっと、今心と向き合えば、私が壊れそうになるんじゃないかって思ったのかもしれません。
何も考えたくないし、何も感じ取りたくない。
ただ、そこらへんに転がってる石ころみたいに、感情を忘れて、他人の内情とか小難しいことも全部どこかに投げ捨てて、ぼーっとしていたかった。
そうやって思っていたら、自分の部屋に引きこもってました。正直なところ、体調が悪かったのも理由にありますけど。
この時期、急に激しい腹痛を起こして、失神しかけたり、何を食べても味を感じなかったり、食後に気持ち悪くなったり、それなのにお腹に食料をあるだけ詰めたりしてて、かなり異常なことをしてたなぁなんて思います。原因はわかってないけど。
本当に堕落した生活を送っていました。まぶぃーずだって今が力の入れ時なのにサボってたし。
全部辞めてみたら、世界がグレーに見えた。
考えることも、言葉を紡ぐことも、色んなことも全部全部ストップして辞めてみたら、私が人間として生きている感触がなくなって、世界がグレーに見えました。
こんな生産性のない自堕落な生活をして、どんどん私の価値はなくなっていってるのかもなぁ、こんな生活明日もしてたら、私なんて必要なくなるなぁ、なんて自暴自棄になってました。
だから、何故かg.o.a.tってところでブログを作って、無理くりにでも言葉を紡いでいました。私には言葉しか取柄がないと思ったから。
言葉も紡げない、何も出来ない私は、屍と一緒だと思ったから。
でも、このブログみたいに文章を連ねることはできなくて、本当に私ってクソだなって思ってすぐに辞めてしまいました。それでまた、自暴自棄。笑
この時は、あまりにも何も考えてないし、感じ取ってもないから、心が空っぽで、そのモノ寂しさや、悲しいほどに使えない表現力と語彙力と脳みそに怒りを覚えて、一人で号泣してました。
昔よりも自己肯定感を高められてきた、自信を身につけられてきたと思ってはいたけど、それはただの幻想だったみたいです。
こんな時に、私を守ってくれない自己肯定感とか自信なんてって思いましたし、本当の意味での自己肯定感も自信も持ち合わせていなかったんだなぁと感じました。
特に一番に恐れていた心が空っぽな味気ない人工物みたいな人間に近づいていて、すごく怖くなりましたね。
人間らしい色鮮やかな感情を持った生き方をしようと、すーちゃんを辞めた時に決めていたから尚更。
グレーの世界で、人工物みたいな私になっていくのを、何もしないで見つめているのが一番怖かったかもしれない。今でもそんな感覚に陥ることが多くて、めちゃくちゃ怖いです。
この文章すら、何も心を動かさず、書いている現状も怖いです。
今の目標は、グレーに見えるフィルターを外して色鮮やかな世界を見ることです。
まぶぃーずイベントまでにはそうなっておきたいです。新しく出会う人とかお世話になった人と、瑞々しい感情を持ってお話がしたい。トークセッションにも参加するし。
あぁ、頑張ろ。生きるのも、前を向くのも。
皆さんも一緒に頑張ってくれたら嬉しいです。
【ありがとう♡】まぶぃーず2周年イベントやります!
今日、多分はじめて公開した記事をゴミ箱にポイした。
どうも、こんばんは!ちはるです。
色々ありました。そして、文章が書けなくて自暴自棄でした!正直、色々癒えていなかったり、疲れがとれなかったりしておりますが、!
そんなことより、ご報告です!(最初からこう書けばよかったのに笑)
私が活動している団体『まぶぃーず』が、今年の4月1日をもちまして、設立2周年を迎えることとなりました!
そ・こ・で!
まぶぃーず2周年のお祝いと更なる発展、これまで暖かく見守り、応援してくださった皆さんに感謝の気持ちを込めて
『まぶぃーず2周年イベント 再出発~Restart~』を開催します!!!
まぶぃーず自体、昨年から活動がストップしていて、表でも裏でも動かない状況が続きました。
私たち最年少メンバーの大学受験もありましたし、お姉さんメンバーもとても忙しい時期で、個人個人がバラバラになってしまうこともありました。
すごくすれ違ってしまう事も、地雷を落として踏んずけてしまう事もありました。
でもそんな状況もこれでお終いにして、また新しいスタートを切ろう。再出発しよう。
そんな思いで、今回のイベントを企画しました。
だから、ぜひより多くの方に来ていただき、まぶぃーずの再出発を見届けていただければなと思います♡
私自身、多分メンバーの誰よりもまぶぃーずの再出発をしたいなぁ、まぶぃーずをもっと良くしたいなぁと思っていたので、この2周年イベントが出来てほんっとうに嬉しいです。
そのせいか、今まで以上に過去最大にこのイベントに燃えています笑
すごくメラメラしています笑
やっぱり、すごくまぶぃーずに思い入れが深いんです。
私を変えてくれた居場所だし、私を成長させてくれた居場所だから。何もできないと思っていた私に、暖かい目線で私の力を探してくれて、その力を発揮させてくれた場所もココでした。
そんな大切なまぶぃーずを、もっと多くの人に想われ、愛される居場所にしていくために更に頑張っていきたいです。
そんな決意を込めて、イベントの準備と運営を頑張っていますので、何卒応援していただけたら嬉しいです笑
それでは!イベントの詳細をお伝えいたしますね!
まぶぃーず2周年イベント 再出発~Restart~
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まぶぃーずイベント『再出発~Restart~』 イベント概要
日時:2019年3月16日(土) 12時(11時45分開場)~17時
内容:元不登校で現在通信制高校に通う学生らによるトーク
風見穏香によるライブ
交流会・オフ会 など
場所:〒103-0004 東京都中央区東日本橋3-3-3 野田ハーベストビル 1階
(元)わなびばKITCHEN333
参加費:一般 1000円 学生(大学生まで) 300円
(どちらの区分に当てはまるか分からずご相談されたい方は、お申し込みフォームにその旨お書きください◎)
主催:元不登校生グループ「まぶぃーず」
HP https://mavie-s-41.themedia.jp
メールアドレス 41mavi.s@gmail.com
《こんな人に来てほしい!》
🙆今、不登校、引きこもりの方
🙆社会に生きづらさを感じている方
🙆不登校、引きこもり、生きづらさを感じている方のご家族、お友達
🙆不登校、引きこもり、生きづらさについて活動している方、支援をしている方、関心がある方
《参加申し込みフォーム》
https://goo.gl/forms/6pszRQEcBGKxhfod2
《詳細はこちら》
https://mavie-s-41.themedia.jp/posts/5737586?categoryIds=1223185
《Facebookイベントページ》
https://www.facebook.com/events/570431233458748/?ti=cl
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このイベント詳細には書いていないのですが、
個人的には
- 社会や誰かの役に立てる活動がしたい!
- 新しい生活、新しいスタートが不安…
と思っている人にも、ぜひ来てほしいです!
今回もまぶぃーずオフ会を少しの時間ですが予定していますので、一緒にその不安をワクワクにしたり、活動についてお話できたらいいなぁなんて思ってます( ゚д゚)ウム
今回のイベント、たくさんの方と出会い、お話できることを楽しみにしてます!
それではっ!!!
劣等生が憧れた優等生。
地元の情報誌に、今年の成人式の特集が組まれているのを見た。
新成人のインタビューのコーナーで見覚えのある顔。
「……あ、先輩だ。」
不登校だったとは言えども、多少部活もしたし、上級生の人とも少しだけでも関わっていて、それなりに覚えていることもある。
でも、この先輩だけは格別だった。
だって、私の憧れの人だったから。
真面目で、勉強もスポーツも出来て、誰にでも分け隔てなく接してくれる聡明な人。
中学校で何気なく陸上部に入部して、部活のルールや上級生の人との関わり方やマナーを手厚く教えてくれた。
部活内でグループができてしまって、馴染めなかった私に一番最初に声をかけてくれた。
不登校になって部活を辞めた後も、先輩が卒業してからも、気にかけてくれて、会う度に話しかけてくれた。
最初は「何でこんな落ちこぼれ劣等生なんか
気にかけてくれるんだろう。」「何でこんなに優しくしてくれるんだろう。」って思ってた。
でも何度も先輩の優しさと色んなことに挑戦するかっこいい後ろ姿に救われた。
先輩みたいになりたいと思った時もあった。
先輩に憧れて、先輩が参加していた国際親善派遣団に応募して、選ばれてオーストラリアに行ったっけ。
先輩の卒業式のとき、勇気を出して名札をもらいに行ったのも懐かしいなぁ。今でも部屋に大事に飾ってある。
私にとっては、心の美しいステキな憧れの先輩。
でも良い意味でも悪い意味でも目立ってた。
多分、考え方が大人で優等生すぎたからだ。
学校って、思考が大人びてる人が馴染みにくいコミュニティだって誰かから聞いたことがある()
陸上部に入って、はじめて県大会に応援で行った日。2年生の先輩に裏でこう言われたことを思い出した。
「先輩、良い子ぶっててしんどい。」「あんまり関わらない方がいいよ。」
観戦席、2年生の先輩と私たち1年生から少し離れた所に、先輩が1人座ってるのを見て、すごく悲しくなった。今でも覚えてる。
2年生の先輩が、先輩のことを辛辣な言葉で話しているところも、きっと先輩は聞いていた。
でも先輩はその後も引退するまで、2年生の先輩にも私たちにも優しく接してくれた。
言われ慣れてるのか、全く気にしてないのか、我慢しているのか、分からなかったが、私には先輩が強い人に見えた。
何でここまで、自分自身には厳しいのに他人に優しいんだろう…なんて考えてた。どこまで先輩は、完ぺきな優等生なんだろうとも。
真面目で賢くて、考え方が大人び過ぎている心が強く美しい先輩。
後輩の私からは、完ぺきな部分しか見せてくれていないだけかもしれないけど。
私はすごく好きだったんだなぁ。
そんな事を、インタビューを受ける振袖を着た先輩のキレイな笑顔を見て考えていた。
また、少しでもいいから逢いたいし、お話したいと思ってるけど、私にはまだ合わせる顔もない。
まぶぃーずも、ヒカリテラスも、私にとっては胸を張って素晴らしい活動だと言い張りたいけど、きっと先輩を目の前にすると何も言えなくなるかもしれない。
いつかは分からないけど近い将来、劣等生から自分自身を誇りに思える私になった時、また先輩に逢いたいなぁ。そして欲を言うなら活動を見に来てほしいなぁ。
先輩は今、どんな風に過ごしているのだろうか。
インタビューの写真を見る限りだと、また一段とキレイになってたから、ステキな日々を過ごしているんだろうなぁ。
またいつか逢える日まで、もっともっと成長できるように色んなことに挑戦していきたいなぁ。
言葉を、心を、紡ぐ。
この世界には必ず生と死がある。
この世界に産み落とされたからには、死に向かって生きていかなきゃいけないらしい。
それがこの世界の条理とやららしい。
ずっと永遠に存在するものなんてない。
ドラマでも映画でも歌でもあるよね、そーゆーの。
だから、分かってる。多分、この世界のみんなも、私も。
でも、理解しているのと実際に経験するのでは訳が違くて、なんなら物凄くギャップがあった。
強がりな天邪鬼は、誰もいないお風呂場で涙を流してる。
簡単に「ご冥福をお祈りします」だなんて言ってくれるな。
簡単に「可哀想」って言葉で片付けられてたまるか。
確かに居なくなるには早すぎた。でも多くの愛してくれていた人の心がある内に、居なくなり、その後も想ってくれる人が沢山居ることは幸せだと思う。
美しい生き方だった。柔らかく穏やかだった。
そうやって思って、強がる度に、針が刺さるように心が痛くなる。
何も無いふり、気丈に振る舞う度に、ポッカリ空いた場所が悪目立ちする。
ココロの声が聴こえない。
だから、言葉を紡いだ。
堰き止めていた感情が湧き上がった。
悲しい、つらい、わかんない、苦しい……。
今更過ぎて、虚しい。
あー、何やってんだわたし。
カッコ悪、わたし。
圧倒的に、生きるのに不器用で弱く脆い。
何も出来ない、何も動けない、何も感じられない。
そんな私と毎日睨み合い、毎日失望して、毎日何かを繕う。
吐き出す訳にもいかない感情しか持てない。
この感情の居場所は私の心にしかない。
私の心はもう限界。
じゃあ、この感情を何処にやればいいんだろう。
あぁ、生きづらい。
生きづらくて堪らないよ、こんなの。
みんなが大っ嫌いなこの感情。怪訝な顔して睨みつけられるこの感情。
でもこの感情に罪はない。どんな感情も抱きしめられるべき存在だ。
だって、美しい感情だけを持つなんて人間じゃない。汚い感情、嫌われる感情だって持つのが人間だから。
そうやって思わないと報われないでしょ、心が、創り出した自身が。
正直、この感情を出すだけで苦しい。
でも言葉に乗せて出してあげるだけで少しはきっと楽。
「可哀想」「残念だったね」って言ってほしい訳じゃない。
気遣ってほしいわけでもない。
何かを感じなくても、同情しなくてもいい。
誰かに伝えたいから、ここに紡いでるわけじゃない。
私が私のために、ここに紡ぐだけだ。
私の言葉をありのままに紡ぐことの出来る居場所はここだから。
いつか振り返った時に、ここに紡ぐ感情を抱きしめてあげられるよう、ここに記す。
幸せ。
皆さん、少しお久しぶりです。
私はついこの間まで、岡山で大変エモーショナルな女子旅をしてきました❤︎(可愛い後輩が企画してくれたよ!ありがとう♡)
制服を着て撮影会をしたい!卒業写真撮って欲しい!って、受験が終わった頃から言ってて、とっても写真の上手い後輩が撮影してくれました!(ありがとう♡)
そ、れ、に♬︎転校してからずーっと仲の良いお友達にも来てもらって、一緒に写真に写ってもらいました!中々こういった機会が無かったから嬉しくて感動した(˘•̥ω•̥˘) (ありがとう♡)
湯原温泉というステキな温泉街にお宿をとって、温泉に入り、わちゃわちゃして、夜遅くまでギャーギャーしたのもとても良い思い出になりました🎶
(関係各所の方々には、大変なご迷惑お掛けしました、すみません♡)
真庭市にある町並み保存地区と呼ばれるオリエンタルな雰囲気のある町並みを散策して、お写真パシャパシャしたのもとっても楽しかったなぁ…!
最近はあまり、カメラと戯れる機会がなく、お出掛けも出来なかったので、カメラの腕はだいぶ落ちましたが(落ちる腕も無いけど)すごく楽しかったので、またボチボチカメラとも戯れ、写真を撮れたら良いなぁと思います。
〘ステキな旅行の写真たち〙
写真の貼り付け方テキトーで申し訳ない😢
何だかんだ、幸せだなぁ。
死に物狂いで外の世界に飛び込んだ日のこと、多分私は一生忘れられないと思う。
その出来事が、傍から見たらすっごくどうでもいい小さなことだったとしても。
死という存在が脳内を蝕んだこと、その狭間で過ごしたこと、私に絶望したこと。
その状態を変えたくて仕方がなかったこと。
色んなモノが消えていって、捨てられていった。
きっとそんなこと言ったら、甘っちょろいこと言ってんなって怒られちゃうけど。
転校して、友達なんか作らない、学校なんか信用しない、ただ卒業するために耐えるんだって、そう思ってたんだけど。
飛び込んだ先には、優しい人がいて、輝いてる大人がいて、生きることを楽しんでる世界があって。
そんな世界があって、私は「変わるタイミングはここだ」と感じた。
それは、正しく正解だった。
本当に信頼したいと思えるお友達に出逢った。この先生を信じたいと思った。この場で楽しんでみたいって思った。
私を知りたいと思った。
信頼したいと思う人が増えてく度に、私という存在を知ろうとする度に、たくさんの人が光を当ててくれた。
私が言葉を紡ぐたびに想ってくれる人がいて、手を差し伸べてくれる人がいた。
チャンスをくれた大人だっていた。
私はラッキーだ、そして幸せだ。
幸せってなんだと思う?
昔の私は「お金持ちになって、人を使う人間になること」と言ってた。(そんな記憶がある)
けど、お金でも名声でもないかもしれない。
今は「私のことを想ってくれる人がいること」だと思ってる。
このブログを通して、Twitterを通して、直接でも、私のことを想ってくれる人が周りにたくさん居ること。
とても幸せだと思う。
あの時、掴んだものは幸せを知る鍵だったんだって、思ってる。
昨日ね、とあるイベントに行った。
そこで出逢ったカッコいいおじさんは「心を満たしてくれるものはお金じゃ絶対に買えない。」って笑って話してくれた。
またもう1人のおじさんは「人との出会いが人生を変えてくれるんだ。」って真っ直ぐな目で話してくれていた。
そのおじさん達は、山あり谷あり、良い事悪い事たくさん経験したらしい。傷もいっぱいつけたらしい。
でも、今が一番楽しいと思って生きてる姿が何よりも美しくかっこよかった。
あの人たちも、幸せを知る鍵を掴んだんだと思った。
今が一番楽しいかって言われたら、私もそんな気がする。わかんないけど。
少なくとも、私は幸せだと思ってる。
お友達がいて、仲の良い後輩に恵まれて、年齢の差関係なく、同じ何かに向かって努力を重ねられる仲間がいて、夢を語れる居場所がある。
ありがとう。
そんなことを思った、岡山旅行からの1週間でした。❤︎⃜
弱虫でしかない。
今日はさくっと。
私は周りの人が思うほど、面白い人間でも、優しい人間でも、変な人間でもないです。
お腹の中は真っ黒いものがフツフツとしているだろうし、シンプルに根暗だし、でもそういう奴って実際社会に巨万と居るものなんだろうなと。
私は普通の人間で、何者にもなれなくて、性格の悪い弱虫でしかない。多分きっと。
変わっていくのは周りの環境ばかりで、そのギャップに追いつけていない弱虫の心は黒々とした何かに飲まれていくんだなぁ。
そんな風に思った、ハニーミルクラテを飲んだお昼。(病院帰りなんす。)
結局のところ、同族嫌悪。
逃げまくって、何も見えてないフリをして、可哀想なフリをして、上の存在、優しくしてくれる存在に甘やかされていたいがために甘え倒した時代とカブる。
だから、嫌なんだ。
自らを正義と見立てて、正義の鉄拳を振りかざす真似なんか大嫌いなのに、そうしてしまう私も嫌だ。
正義のヒーローになんかなれないんだよ、今更。ただの弱虫なんだから。
1年前、
「私なんか嫌われてもいいから、曲がってしまった軸を真っ直ぐにしたい。」
そんな風に思っていた事を思い出した。馬鹿馬鹿しい。
でも、曲がっていたのも、歪みきっていたのも私だ。
そんなに、人間できてない。美しくない。真っ当な人間じゃない。
でも、社会に生きてるみんながみんな、真っ当な美しい人間に見えてそうじゃないかもしれないし、脆いのかもしれない。
真っ直ぐな人間なんていないからこそ、一人じゃなくて、お互いに曲がっている同士をフィットさせて、お互いの歪みを補うように支えているんじゃないかなって。
私はそれを知らなかった、独りよがりの弱虫だから。
支えられることも、支えてあげることも知らないで、協力し合う心も分からないで。
曲がっていること、歪んでいることを「ダメ」だと決めつけていたことこそ、悪だと思う。
私は未熟者。ミノを探す弱虫。ミノを見つけていきがってる弱虫。
そんな事、昔から分かりきってることじゃん。
どれだけミノの種類が増えても、ミノがオシャレになっても、中身の弱虫は弱虫のままでしかない。
いつもだけど、ずっと変わらないけど、弱虫は弱虫なりに足掻くんだ。
カッコ悪いとか言ってられない。どうせ正義のヒーローにはなれない。きっとヒールにすらなれない。モブでいい。
私は、弱虫だ。昔から変わることはなくずーっと弱虫だ。
でも、立ち上がれる場所から追い出されない限りは足掻き倒そうと思う。
大切なものをくれた大事な場所を守りたい。
大切なことを教えてくれた居場所を守りたい。
弱虫はミノがないと足掻くことも、前に進むこともできない。
でも、守りたいものがあれば立ち上がって、足掻くことだけはできる。
逃げたいなら逃げたらいい。立ち向かいたければ立ち向かえばいい。
でも、立ち上がれない場所から追い出したりしない。
動かない限り、何も起こらない。進むこともない。
何も言わずに何も動かずに消え去ろうとするのは、私と同じ弱虫だ、私と同じ卑怯者だ。
私は弱虫だから、声を聞かなきゃ力になれない。どうすることもできない。
立ち上がれる場所があるなら、前向きでも後ろ向きでも進もう。
私は足掻きながら、這いつくばって、進むことにした。
大切なものを守っていくために、もっともっと上に有る目指すものに向けて。
時間を止めないで、私たちが生きた証も何もかも残さないようにしないで、消さないで。